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おひとりさまが「がん患者」に……遺品の手帳に記されていたこと
死後、見つかった手帳には、死への不安や心の整え方がつづられていた——。2017年8月に54歳で亡くなった一人の女性を支えていた妹や仕事仲間が、当時の様子を語ってくれました。医療費や生活費といった家計の不安から一時期トリプルワークも。単身者のがん患者を取り巻く厳しい療養環境も浮かび上がってきました。「おひとりさま」と言われる単身者の知人に、がんが見つかり、予後が厳しいとなったら、みなさんはどうしますか?
これは、浦野芳子さんが生前記していた手帳の1ページです。乳がんと肝臓などへの転移が見つかった年に書かれたものです。手帳を見せてくれたのは、東京都内に住む妹(51)です。姉の人となりや闘病について振り返ってくれました。
浦野さんは、新潟県出身。高校を卒業後、東京都内の専門学校を出て、広告代理店、編集プロファクションの勤務を経て、フリーライターをしていました。著名なファッション誌などで海外旅行、グルメ、バレエといった分野を中心に取材・執筆していたそうです。
「姉は病気になったときから覚悟を決めていたのか、悩みを打ち明けませんでした。誰かに弱い部分を見せてくれたらよかったけど、ケロッとしていて、今思えば、冷静に耐えていたのかなと思います」
仕事仲間の浦野さん評も、転移したがんを抱えつつ、「なんて楽天的なんだろう」という印象を持っていました。ただ、取材をしていくと二つの不安を抱えていたことが分かってきました。
妹は、浦野さんがこう言っていたことを覚えています。
「仕事をしていかないと、死ぬっていうこと。お金がない人は死ぬっていうことだよね」
浦野さんは、医療の進歩に期待し、治療することをあきらめていませんでした。故郷の新潟を拠点とする舞踊団を世に出そうと応援していたり、がんが悪化した後でも放送大学に入学してメンタルヘルス系の勉強をしようとしていたりしていました。
一方、単身者は、医療費だけでなく、自分の生活費も工面していかなければなりません。
本人の貯蓄には限りがあります。民間保険は、初めて見つかったがんの治療には手厚い保障があっても、転移したがんの治療には保障が薄い場合があります。
別家計を営む家族からの支援を誰もが受けられるわけではありません。特に女性のがんの好発期は、老いた両親の老後と重なります。物心共に頼るには限界があり、入院治療の保証書や治療の同意書にサインしてくれる人にも苦労する人がいます。
ふだん明るい浦野さんが抱えていた不安、それは「経済的不安」と「死への不安」でした。
発症からの看取りまでを振り返ります。
胸にしこりを見つけたのは2011年。胸の形が左右で違うと分かるぐらいになっていたそうです。別の病気の定期検査で血液検査などをしたところ、がんの疑いがわかり、その後の精密検査で肝臓に転移したがんと原発の乳がんが見つかりました。
ステージ4。
とても仲の良い姉妹だったこともあり、医師の説明を一緒に聞いていた妹は、その場で涙を流さないことに集中していました。浦野さんは「こんなに元気なのに、おかしくないですか」と質問したそうです。
治療は、抗がん剤の効果があり、胸のしこりは小さくなり、肝臓の水玉模様もほとんどなくなりました。体調も回復しました。
2013年、浦野さんから吐き気やめまいを訴えるメッセージが妹に届きました。後日、病院で検査をすると、がんが脳に転移していることが見つかりました。
新潟で一人暮らしをする母に来てもらい、緊急入院した病院での看病をしてもらいました。体調を整え、脳の腫瘍に放射線の照射をした結果、家族で舞台を見に行けるほどまで回復したそうです。
2016年秋ごろ、電話などでこんな会話をしていたそうです。
浦野さん「介護の仕事始めたんだ」
妹「健康な私でも迷うような仕事だけど大丈夫?」
浦野さん「大丈夫、大丈夫、人にかかわる仕事が好きだから」
すでにこの時、浦野さんは家政婦の仕事をしていたようでした。仕事のことは日ごろ、こんな風に語っていました。
「掃除機もない家があるんだよ」
「散らかった子どもの家を片付けに行ったこともあるよ」
「人間観察できるから、面白い」
「指名も入るんだよ」
高級住宅街にある介護施設のことはこう話していたと言います。
「虎屋のようかん、食べさせてあげたいと施設の人に話したら、全員にあげないといけないからダメと言われたんだ」
「性格のいい人も、性格の悪い人もいて、面白いよ。でもどっちもかわいいんだよね」
妹は、浦野さんが亡くなった後、預金通帳を確認しました。本職のフリーライターとしての収入は限られているため、治療費や生活費などをまかなうには他のアルバイトが必要だったのかな、と振り返っています。
浦野さんは当初、渋谷区内の1Kの賃貸住宅にネコの「そら」と暮らしていました。新潟から母親が看病のために上京すると、新たな問題がでてきました。
庭いじりができず、毎日病院と家との往復で、友だちは新聞だけ……。
母親はこんな生活になじめず、ストレスが重なり、結局、体調を戻すため新潟に帰りました。
浦野さんは2013年の脳転移の治療後、同じ渋谷区内の賃貸住宅に引っ越しました。古くて階段があるアパートですが、広さが2DKあったからです。妹はこんな言葉を覚えています。
「すごく安いところ見つけたよ」
「母が看病してくれるなら2部屋必要だからね」
ただ、脳への転移は、フリーライターの仕事に影響を及ぼし始めてきました。メールに誤字脱字が交ざるようになり、妹が尋ねると「文字が二重になってキーボードが打てない」と打ち明けたそうです。
仕事と治療の両立はどうだったのでしょうか。
バブル時代とは違い、出版不況に伴い仕事が減ってきていました。そのうえ、病気のため、グルメや旅行の取材は受けるのをやめざるを得ず、ライターとしての減収を補おうと、知人を通じて仕事を求めたのが、がん経験者の復職・就労支援などを行う「キャンサー・ソリューションズ」(キャンソル、東京都千代田区)でした。
スタッフは契約社員でダブルワークも可能です。家事や介護、治療などがあってフルワークで働けない人たちが、チームで一つのプロジェクトを進行していく仕事のスタイルです。月1回のミーティング以外はテレワークも可能です。
浦野さんは2016年に入社しました。ペアで仕事をしていたスタッフが、白浜若菜さん(45)です。
ある日、白浜さんが帰りの駅が同じだった浦野さんと一緒に歩いていると、平坦な道路をゆっくり歩き、地下鉄入り口の下り階段になると手すりをつかみながら慎重に下りていく様子を目にしました。
「足にしびれがあるから」
白浜さんはこの頃、「誤字や脱字、変換ミスが多いので、どうしてなんだろうと思っていました」が、指先のしびれや視力の低下があったためだったことを知ったのは、もっと後のことでした。
キャンソルの仕事仲間が、異変に気付いたのは2017年1月です。
浦野さん「体調が悪いので、出社が難しいです」
白浜さん「体調をみながら、もしメールで対応できそうなことがあればお願いします」
2017年1月下旬、体調が悪いことを知った妹は、毎日のように浦野さんのところに通うとともに、2月には母親も上京して看病を始めました。「このまま眠ったら起きないかも」と不安に感じたからです。
2月21日に入院。
「浦野さんが入院しているらしい」という情報がキャンソルにも入ってきました。浦野さんを紹介した知人からです。
社長の桜井なおみさん(52)と白浜さんが、東京都内の病院に駆け付けると、浦野さんはベッドから起きられない状態でした。
「介護保険の手続きと障害年金の手続きはすぐ進めよう」
2人ともがん経験者であると同時に、様々な相談を受けてきた経験から、単身者である浦野さんの病気の進行と今何を必要としているのかがピンと来たからでした。
桜井さんによると、帰りがけに看護師に相談したところ、「主治医の許可が必要。積極的な治療をしている間は無理です」と言われました。
妹が改めて病院の病棟の担当医師に相談すると、介護保険はまだ利用できないと言われました。また、ソーシャルワーカーのところへ相談に行くと、「宅食のチラシ」を渡されたそうです。
浦野さんの採用面接をしたキャンソルの藤田久子さん(54)は、社会福祉士と社会保険労務士の資格を持っています。この話を聞いた藤田さんらは、使える制度は使った方がいいと判断し、動き出しました。
これらの連携によって、浦野さんの療養環境が劇的に変わりました。
病院のソーシャルワーカーはなかなか動いてくれず、病棟の担当医は誤った解釈をしていました。しかし、妹が主治医にお願いすると、何事もなく意見書を書いてくれました。介護認定はすぐ行われたほか、早々に自宅に医療介護用ベッドが入るなど、介護サービスがスタートしました。
藤田さんはこう言います。
「相談窓口のソーシャルワーカーや医師、看護師が制度に関して理解が不十分だと、患者や家族が療養環境を整えるための動きが止まってしまいます。制度についての正しい理解に基づいた対応が医療機関に求められます」
障害年金は、請求手続きに詳しい社会労務士につなぎました。
次々と在宅療養の環境が整えられていきました。
7月中旬になると、母親だけでなく、妹も浦野さんの部屋に泊まり込むようになりました。一方、浦野さんを知る知人らは、浦野さんが大好きなきりたんぽ鍋を運んだり、ソフトクリームが食べたいといえば届けたりしていたそうです。
浦野さんは2017年8月3日、妹や母親が付き添っていた自宅で亡くなりました。
妹は今、自宅での看取りについてこう振り返ります。
「たわいもない会話で盛り上がり、姉が姉らしく生ききることをまっとうできたのも、たくさんの方が姉の最期にかかわってくださったおかげです」
「おひとりさまということで、闘病にかかわる資金の面ではきついこともありましたが、藤田さんのご提案で手続きした障害年金の遡及請求などで、結果的に私たちのお財布からお金が出ることはありませんでした」
「多くの皆様との出会いに助けられ、ご厚意に大いに甘えさせていただき、自宅で普段通りの日常の中で最期を迎えられたことに、改めて感謝します」
藤田さんには、浦野さんの件で少し反省があると言います。
「もうちょっと早い時期からやりようがあったかもしれません。お願いしていた校正の仕事が厳しくても、介護施設で働くような体を使うことはできるんだと、考えていました。生活にどれだけ支障があるのか、聞けていませんでした」
藤田さんも乳がん患者であり、今も治療を続けています。夫と二人暮らしです。昨年から徐々に仕事の整理を始めたそうです。
「今、一人だったら、もっとつらくてしんどかったんだろうな」
藤田さんは、単身者のがん患者の人にこうアドバイスします。
「一人でがんばるのはおすすめできません。がんは長期戦。周囲の信頼できる人や相談支援センターなどで、『助けて』って言うことも大切なこと」
乳がん経験者の白浜さんは、こうアドバイスします。
「浦野さんにとって、支えてくれる家族の存在は大きかったと思います。しかし、患者本人もつらいですが、支える家族も大変なので、家族のケアも必要です」
「医療や介護の専門家だけではなく、同じ病気を経験した仲間も力になってくれます。患者も家族も一人で抱え込まないよう、相談先を複数持つことは重要だと思います」
藤田さんのアドバイスにあるように、単身者のがん患者で家族や親族と疎遠な場合、自分の意思や状況が周囲になかなか伝わらないという大きな問題があります。客観的に振り返れば、もっと前から色々なサポートや制度が使えたのに、ということも出てくる可能性はあります。
今回、浦野さんの闘病やそのサポートを、妹や同僚に取材しても、何が正解だったのか言い切れない難しさがあります。
その上で「サポートしてくれる人を探しておく」ということは、がんや単身者に限らず、人々が社会生活を営んでいくうえで重要なことです。
人と人との付き合いがドライな世の中になり、インターネット上で匿名でのコミュニケーションができる時代になりました。人間関係の変化から、リアルなサポートをお願いできるように日ごろの人付き合いをしようとすると、「重い」と避けられてしまう時代なのかもしれません。
そのためにも、自分のことだけでなく、ともに周囲の人たちに目配りできる社会が望まれます。
日本では今、単身世帯が増加傾向にあります。朝日新聞の「声」欄では、単身世帯のがん患者が抱える課題やその解決方法、社会への提案など、皆さんの経験談や感想、意見を募集します。
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