IT・科学
「オウム」生んだテクノロジー 佐々木俊尚さんの忠告 仏教界の宿題

オウム真理教による地下鉄サリン事件から3月20日で24年になります。昨年は、松本智津夫元死刑囚らオウム真理教元幹部の死刑が執行され注目を集めました。平成を代表する大事件は、伝統的な仏教の存在も揺さぶりました。1995年の事件当時、新聞記者として取材をしていたジャーナリストの佐々木俊尚さんと、ネット上でお坊さんのQ&Aサイトを運営する井上広法さんが対談。2人が注目したのは「テクノロジー」や「データ」の存在でした。

大声で悪口を叫ぶ祭りが消えた現代の「心の闇の捨場」はどこ?
佐々木「現代は、あらゆるものがデータとして蓄積されている。過去の行為が当たり前のようにアーカイブ化されると、昔と違って悪いことをしても隠し通すことができない。その一方で人間には心の闇がある。全てが残ってしまう中、心の闇の捨て場がどこにもないという問題が生まれている。すべてが可視化されるからこそ、行き場のない暗がりをどこかに持っておく必要がある。それが宗教の役割ではないか」

井上「実はかつてから、仏教にはいくつかの対応策がある。村社会の時代には、年末、悪態祭りをするところがあった。その日だけ悪口を言ってよく、声が大きければ大きいほどいい。その奇祭のなかで日頃の闇を捨てていたのではないだろうか。現代においては、懺悔(ざんげ)ができる場があってもいい。それは、教会みたいな懺悔室や、人対人という場ではなくてもいい。仏像に手を合わせるだけ、心を吐露する場所というのは今後ますますキーワードになってくる」

仏教の考え方を捨てた「#僧衣でできるもん」
佐々木「国家権力や仏教も固定化して融通がきかなくなっている。日本の宗教界はオウムをまだ清算してない」
井上「どう現代化していくかを考えなければならない。そのなかで『#僧衣でできるもん』は、自分たち側が変化する必要はないという考えの表れかもしれない。後からできた法律がおかしいと言うのは、それ自体が無言の圧力になってしまう。実は、今の僧衣は『改良服』と呼ばれているもので、現代の生活に合わせて袖を短くしたり、ひだをなくしたりしている。すでに変化を受け入れていたのなら『改良服2.0』を議論すべきではないかと思う。かたくなに今のモデルに固執してしまう。そんな仏教側の精神構造に閉塞感を感じてしまう。ただ、ハッシュタグを使って全国の僧侶が同時多発的に意見を表明できるのはこれまでに見られなかった新しい動きだ。」
※その後、福井県警は僧衣を着て運転する件について福井県警は衣服規定を削除しています。
【関連リンク】僧衣運転で波紋、分かりにくい衣服規定を削除 福井県警

「オウムの信者の人は心底、いい人ばかりだった」
佐々木「ヨーロッパでもカトリック離れは進んでいる。フランス人でも教会に行かない人が増えている。なぜ行かないのか。宗教的なものを求めているけれど、教義がわからない。13世紀のトマス・アクィナスの時代から、ものすごく積み上げられていて身体感覚と適合しない。鎌倉仏教が始まった時は、身体と合わせて広がった。オウムは身体感覚に呼びかけた。そこに魅力を感じる人が出てくるのは当然だった」
井上「ヨガなどをすれば体が熱くなる。そういった身体の変化は予測ができるものだが、言われた通りの反応が体に現れたことが、指導者である麻原彰晃への信頼に結びついてしまったと指摘されている」
<宗教の話題は今も日常的にしにくいのが現実です。そんな中、佐々木さんは幸福の科学と対談イベントをしました。>
佐々木「今もネット上で、幸福の科学の宣伝塔と非難してる人たちがいる。でも、取材をしたオウムの信者をはじめ、宗教に入っている人は、いい人ばかりだった。なんでいい人なのか気になったから、きちんと話して考えを聞いただけ。それを狂信者として斬って捨てるのは簡単だけど、大きなものに入りたい、よりよい人生を送りたいという気持ちは否定できるのか考えてほしい」
井上「我々の社会で生きるのが苦しくなった人が一つの集落を作ったのがオウムだった。そこに境界線を引いて、より追いやってしまった。我々が押す力が強いほど、思考停止をしてしまう。汚いものとして吟味せず、存在を否定したのが昨年の死刑執行だと思う」

寺離れ、お坊さん離れの裏でパワースポットブームの矛盾
佐々木「日本では、オウムや幸福の科学など、宗教に対してタブー感が強い。一方で、パワースポットが人気で、スピリチャルなものも大好き。誰も疑問に思ってないのが不思議。それって、逆に宗教を求めていることの表れ。お墓はいらないけど、樹木葬や海洋散骨を求める気持ちは、宗教かもしれない。それをちゃんとすくいあげればいい」
井上「寺離れ、お坊さん離れはあるかもしれないが、生きる智慧としての仏教への期待は高まっていると感じている。だから『hasunoha』を作ったり、テレビ番組『お坊さんバラエティぶっちゃけ寺』に関わってきたりした」

宇都宮のラジオ体操に、埼玉から駆けつける真相
佐々木「今は、どんどん党派化が進み、異質なものを排除しがちになっている。政治や社会、あらゆる場所でそれが起きている。本来ならもうちょっとあいまいであっていい。選挙の投票はマルかバツかの二者択一しか選べない。ニュースアプリ『スマートニュース』の代表取締役でもある鈴木健氏が書いた『なめらかな社会とその敵』(勁草書房)では、テクノロジーを使った、1人の1票を分割できるような投票を提唱している。なめらかな社会において敵はいなくなる」
井上「弱いつながりを作るため、宇都宮市にある自分のお寺でラジオ体操を続けている。予想以上に評判となり、今はでは神奈川県や埼玉県、茨城県から車で来る人もいる。ラジオ体操だからどこでやっても同じだけど、ここでやりたいという人たちがいる。ネットやラジオで同じ内容を体験できるのに、そこにリアルな場を求めている人たちがいる。ラジオ体操を通じて考えているのは、場というもののもつ可能性だ。こういう場と関係性を育てることが地域におけるお寺の役割だと実感している」
テクノロジーへの無知が、第2、第3のオウムを生む
佐々木「本当はテクノロジーの知識が重要なのに、宗教や人文系の人間はうとい。未来の話になると、ステレオタイプになってしまう。過去は忘れられるからこそ美化できるし、教訓にできるもの。インターネットは、ある意味、過去を破壊した。昔の話が全部見られるようになった」
井上「ウィンドウズ95が生まれたのは地下鉄サリン事件が起きた1995年だった。その後の技術の進化で、デジタルアーカイブも劣化せずに持ち越せるようになった。オウムはその前の時代。だから、オウムは、美化されるんじゃないかと思う。しかも、今はマインドフルネスのようなものがブームになっている。YouTubeを使って上手に発信されたら逆らえないかもしれない。実際に当時のオウムも漫画、映画などをメディアとしてすべて使った。時代に応じて必要なリテラシーがある。我々が今、持たなければならないデジタル。お坊さんにもテクノロジーが必要。空海さんなどの留学僧は、中国からそういうものをもってきた人のはずだった」

誰でもオウム信者になり得た
佐々木「例えば、新聞の平和報道は、いまだに語り部を登場させる。その先にどういう平和報道があるのか、モデルとして成立していない。いま20歳の若者がオウムを自分ごととして認識できないのと同じように、私たちの世代も戦争を当事者視点でとらえられない。重要なのは当事者感覚。誰でもオウム信者になり得た。自分自身もそうだった。壁を作って変な人として見ないこと」
井上「パワースポットが人気だが、そこではパワーアップするスポットしか求めていない。パワーダウンできるパワースポットもあるはず。お寺はピットインするような場所。自分の何かを脱ぎ去って、また日常に戻っていく。そんなお寺の役割を伝えるには、ただひたすらに仏教の露出を高めるしかない。インターネットやテレビなどに出ていく。『#僧衣でできるもん』自体の賛否はあるが、若手のお坊さんがSNSを駆使して動いていくことは、もっと必要だと感じている。」