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「GLAY」のTAKUROが心酔、待ち合わせ2時間前に待機する「あの方」
ロックバンドGLAYのリーダーでギターのTAKUROさんが、2作目のソロアルバム「Journey without a map Ⅱ」を出しました。14日から始まったソロの全国ツアーを前に、「47歳の今も、俺はロックキッズ」と語ったTAKUROさん。個人会社で権利を買い取り、有料の公式アプリをリリースするなど、音楽ビジネスへの挑戦も続けています。そんなGLAYの25年間で最大の出来事は、「あの方」と共演したことだったそうです。(朝日新聞文化くらし報道部記者・坂本真子)
「俺が美しいと思うメロディーを提示して、気の合うミュージシャンたちが『今のTAKUROの気分ってたぶんこういうことでしょ』と付けてくれたコードがジャズ的だったんです」
その言葉通り、新作の第1印象はロックというよりジャズ。歌はなく、ギターが中心ですが、サックスやトランペットも主旋律を奏でます。
「俺が作った曲でも、俺はギターを弾かないで、ほかの楽器にメロディーを任せることもある。みんなが代わる代わる輝くような音の駆け引き、たしなみや流儀のようなものをステージで学びましたね」
2016年にソロ第1作を発表。17年と18年には、ソロ活動のメンバーで何度もライブをやり、発見が多かったそうです。
「なんか知らないけど気持ちいい、という音楽が一番。難しい言葉でいろいろ説明するより的確な一言がわかりやすいように、8小節や16小節を的確な一つの音だけでいけたら、一番美しいんですよ。それがたぶん俺の中のジャズだし、めざす未来像だと気づいたんです」
新作は、B’zのギター松本孝弘さんが前作に続いてプロデュースしました。松本さんの提案で、弦やポジションごとに一音ずつ弾いてみたそうです。
「俺のメロディーが求める音のイメージに一番近いものを選びました。ギターにとって一番いい状況で、それぞれのギターの個性を聞かせたいと思ったので」とTAKUROさん。使った楽器はビンテージの貴重なギターばかりで、それぞれの一番いい音を探したとか。まさに、ギターの弦1本1本、音の一つひとつにまでこだわった作品です。
今回は、松本さんが作曲したブルース調の「北夜色 Port Town Blues」も収録しました。松本さんに「ブルースをやってみない?」と聞かれたTAKUROさんが「でも俺、ブルースってあんまり作ったことがないんです」と答えると、松本さんは「じゃあ、俺書こうか」。
「デモテープの段階で松本さんが弾いているわけで、そのまま出したって何の遜色もない素晴らしい音だったんですけど、松本さんのフレーバーを取り入れつつ、自分の個性を出すのがなかなか大変でした。提供された曲を歌うシンガー、(GLAYの)TERUの気持ちがわかりました」とTAKUROさんは笑いました。
ソロ活動を始めたきっかけは、40代を前にギタリストとしての自分を見つめ直し、「もっと真剣に、人生をかけてギターと向き合おう」と意識したことでした。全てはGLAYのため、と言います。
「いろんなことを全部GLAYに還元したい。(メンバーの)3人が喜んでくれれば、それでいいんです。レコーディングもツアーも全部、今日できない自分に何かを課して、明日できるようにするため。修業の域を出ないんですよ」
5月からは、そんなGLAYのメジャーデビュー25周年記念ツアーが始まります。みなさんよくご存じのように、GLAYは数々のヒット曲を持ち、20万人ライブなどを開催。日本のポピュラー音楽シーンにたくさんの足跡を残してきました。
その25年間で最大の出来事は何だったのでしょうか。
「会社を作って自分たちの権利を改めて見直したことです」
TAKUROさんが設立した個人会社では、楽曲の原盤権や映像原版、ファンクラブ運営など、GLAYに関わる全ての権利を2007年までに買い取りました。こうしたGLAYの動きは、ミュージシャンの権利をめぐる音楽ビジネスのあり方に、一石を投じたと言われています。
その上で、TAKUROさんは「本当のピーク」が別にあったと明かします。
「(2006年に)氷室京介さんとセッションしたときが俺のピーク。一番楽しくて、一番うれしかった。あのとき以上の満足はもうないと思います。今はもう余生です」
氷室さんの話になった途端、TAKUROさんは目を輝かせて、まるで少年のように見えました。
「俺が47の今もどれぐらいロックキッズかというと、氷室さんとの食事の待ち合わせに、約束の2時間前に行きますからね。何なら前の日にその店の下見に行くから。遅れちゃいけないし、ロスはどんな交通渋滞があるかわからないので。それ級でございます」
思いがあふれる言葉です。その背景も説明してくれました。
「好きというか、ビートルズや氷室さんからいただいたもので、今、大部分の音楽的な要素はできているので、GLAYの生みの親なんですよ。そのGLAYのおかげで今、僕はいろいろな活動ができていることを考えたら……。この25年で一番舞い上がったのは、GLAYフィーチャリング氷室京介ですね。本当です」
80歳になってもギターを弾いていたいというTAKUROさん。究極の夢についても語ってくれました。
「他の3人が『GLAYに誘われて良かった』と言ってGLAYを辞められることが、会社としての最終目標です。人間としては、音楽とGLAYがいい関係を築きながら、音楽に裏切られることなく裏切ることなく、高校時代の夏休みに結成したような雰囲気で、行けるところまで続くことが一番の目標。3人が『ああ、GLAYで楽しかった』と言ってくれたら、もうそれで人生悪くなかった、と思えるでしょうね」
25周年を迎えたGLAY。95年に今の4人になってから、メンバーは変わっていません。4人とも北海道函館市の出身で、TAKUROさんとボーカルのTERUさんが結成したバンドに、ギターのHISASHIさん、ベースのJIROさんが加入しました。年齢はほぼ同じで、TAKUROさんは「15年前に笑った話で5年前も笑った気がするし、昨日また同じネタで笑ったような感じ。4人でいると時間の経過をあまり感じないんです」と話していました。2013年と昨年には函館で大規模なライブイベントも開催。地元への思いを強く感じます。
2018年にサービスを開始した「GLAY公式アプリ」は、GLAYの全楽曲や映像、電子書籍などを月額980円で楽しめるというもの。デジタル時代を見据えた取り組みも展開しています。
同じ故郷で育って一緒に年を重ね、今も友達同士。そんなGLAYだからこそ、変わらぬ4人で新たな挑戦を続けられるのかもしれません。
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