MENU CLOSE

エンタメ

広末涼子さん、いま明かす「2年間の休業」大学・結婚・出産……

広末涼子さん=柴田悠貴撮影
広末涼子さん=柴田悠貴撮影

目次

 広末涼子さんは、平成とともに活躍の場を広げていきました。「おくりびと」など実力派の女優になる前の2年間、芸能活動を休止していました。世間の注目を集めた早稲田大学への入学。結婚と産休。休む前は「なんのためにやっているのだろう、という強迫観念の中にいた」と振り返ります。2年間の休養で得たものとは何だったのか? あらためて話を聞きました。

【PR】指点字と手話で研究者をサポート 学術通訳の「やりがい」とは?
 
「広末が語った平成」7千字インタビュー
平成という時代とともに駆け抜けた広末涼子さん。「女優になるなら吉本」と言われたデビュー前。3児の母として「女性の選択肢を広げたい」と語る子育て論。ツイッターやインスタ-から距離を置く本当の理由。平成の次を見据えた「第2ステージ」への思い。7千字のインタビューです。
【記事はこちら】

【動画】デビュー当時「ポケベルの子」と言われた広末涼子さんは、まさに平成を象徴する存在です。そんな広末さんですが、地元では「女優になるなら広末は吉本」と言われていたそうです。あのドコモCMについては「謎というか、不思議でしょうがなかった」。広末さんに、デビュー当時の思い出を聞きました。

「大学入学後、想像以上に反響が大きかった」

 ――1999年、早稲田大学への入学は社会現象となり、多くのマスコミや学生が大学に集まった。2003年、結婚と産休のため、芸能活動を休止した。

 「大学入学後、想像以上に周りの反響が大きく、色々な声も聞こえてきた。イメージとのギャップをどう埋めていこうかと悩んで初めて壁に当たりました。今は埋めなくてもいいと思うのですが」

 「ひとまず自分がいる世界から離れてみようと思いました。女優さんの仕事の負荷がかかりすぎているなと感じました。例えば作品を選ぶとき、自分が出演する意味や作品のメッセージ性を考え、それらがなければ意味がないと思い込んでいました」

 「アウトプットするばかりで、インプットする時間がない日常が何年も続いてしまい、不安でした。外から自分がどう見えているのか、自分が見えなくなっていました」

早稲田大学に登校し、マスコミのインタビューに答える=1999(平成11)年
早稲田大学に登校し、マスコミのインタビューに答える=1999(平成11)年

「迷路の中にいるような感じになっていた」

 ――休む前はどのような状態だったのでしょうか?

 「一番大きかったのは、自分はこの仕事を好きで始めて、見るのが大好きで、自分もやってみたかった。やってみてその完成作品を見るのも楽しかったし、他の作品を見るのも楽しかったのに、見ている時間さえなくなって、迷路の中にいるような感じになっていた」

 「好きであることを忘れて、やらなければという責任感とか負荷ばかりがかかって、よろいみたいに重たくなってしまい、本末転倒だった。なんのためにやっているのだろうと、強迫観念の中にいました。それでお休みさせていただきました」

「一般人として見たドラマ、映画」

 ――女優としてあるべき姿に気付かされた?

 「お休みに入るとき、復帰はいつか決めていなかった。全然仕事に集中できていませんでした。この仕事が大事で、これが難しくて、これは簡単でとか、表面的に判断できないことなのに、若かったのでそういうことばっかり考えちゃっていました」

 「それが、自分が芸能人として出る立場で見るのではなく、視聴者、一般人として生活の中でドラマを見たり、映画を見たりしました」

 「すると、良い意味で私が思っていたほどみんな考えてないと気付きました。そこまでメッセージを受け取っているかわからないし、それよりもただほんわかしたドラマや、ちょっと笑えるような作品に癒やされたり、感動したりするんだと思いました。そのとき、私がすごく凝り固まっていたんだなって思いました」

広末さんは、芸能活動を休んでいる間、一般人としてドラマや映画を見ていたという=柴田悠貴撮影
広末さんは、芸能活動を休んでいる間、一般人としてドラマや映画を見ていたという=柴田悠貴撮影

「私に何を求めているかの方が大事だと」

 ――2年間で得たものとは?

 「改めて思ったのは、セルフプロデュースするようなことは私には向いていないことです。それは自分の視点でしかないので。もちろんマネジャーさんが考えてくれることですし、世の中や同じ職業の方、オファーしてくださる方が私に何を求めているかの方が大事だと思いました」

 「そこに身を委ねるというか、臨機応変に、まっさらでいることでいろんな色に変われたら女優さんとしてはいきてくる。年を重ねると共に役の幅も広がってくる。人生とか家族とか子育てに向き合うことで、本当に文字どおり取り戻せたなという2年間でした」

「おくりびと、本当に予想外でした」

 ――復帰後は「おくりびと」「ゼロの焦点」などの話題作で日本アカデミー賞優秀主演賞を受賞。演技派女優としての地位を確立しました。

 「『おくりびと』ではアカデミー賞に行ったことなど初めての経験がたくさんありました。いま思うと、すごく仲良くわきあいあいと『良い作品だったね』という作品よりも、そこまで期待されていない、苦労した作品の方が評価を得られることが多い」

 「『おくりびと』は語弊があるかもしれないが、誰も期待していなかったと思います。『おくりびと』の本はすばらしかったですし、監督の滝田洋二郎さんとは『秘密』でご一緒させていただいて、また呼んでいただけるだけで二つ返事で受けさせていただきました」

映画「おくりびと」の試写会で舞台あいさつ=2008(平成20)年
映画「おくりびと」の試写会で舞台あいさつ=2008(平成20)年

 「あの日本人の死生観だったり、葬儀内容だったりを、本読みの時はこの作品はどの世代にアプローチするのだろう、どうしたらヒットするのかと予想がついていませんでした」

 「パッケージ感としては黒とかグレーの葬儀のイメージだったのですが、できあがったらまさかのピンク色になっていました。あれは本当に滝田さんのすごい感覚だなと」

 「すごくまじめなところに実は人間の滑稽さがあったり、あんなに感動させられる内容なのに滝田さんのシャイさが出たり、泣かせに押さない。笑いがあったり、泣かせにいくところでぷちっと切っていたりするのですが、あのような演出が広い世代や海外の方にも受け入れられたんだなと。本当に予想外でした」

     ◇

広末涼子(ひろすえ・りょうこ)1980年、高知市生まれ。94年、クレアラシルのCMでデビュー。97年、「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビュー。「鉄道員」「おくりびと」「ゼロの焦点」など数々の映画やドラマに出演した。

 
「広末が語った平成」7千字インタビュー
平成という時代とともに駆け抜けた広末涼子さん。「女優になるなら吉本」と言われたデビュー前。3児の母として「女性の選択肢を広げたい」と語る子育て論。ツイッターやインスタ-から距離を置く本当の理由。平成の次を見据えた「第2ステージ」への思い。7千字のインタビューです。
【記事はこちら】

関連記事

PICKUP PR

PR記事

新着記事

CLOSE

Q 取材リクエストする

取材にご協力頂ける場合はメールアドレスをご記入ください
編集部からご連絡させていただくことがございます