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食の呪縛とサヨナラ「研究家じゃないから書けた」食事づくりの指南書
料理することが特に好きじゃない。今日はどうにも作りたくない。でも誰かを食べさせ、自分も食べなくちゃならない。時にやるせなくなる食卓を応援する本が次々出版され、いずれもヒットしています。著者たちの共通項は、料理を仕事にするけれど料理研究家ではないこと。「だから書けた」と言うのです。(朝日新聞文化くらし報道部編集委員・長沢美津子)
「料理が苦痛だ」(自由国民社)と、本のタイトルで宣言したのが本多理恵子さん(53)です。
「言いづらいことを文字にしたら、同じ思いの人を助けられるのではないかと思いました」。毎日の食事づくりがつらくなったら、いったん料理するのをやめてみようと提案しています。目標は思い切って1週間。外食や中食をフル活用して過ごすことで、自分が何に苦しいのか、状況を客観的に眺められるというのです。
本多さんは、小さなカフェ兼料理教室をひとりで切り盛りしています。神奈川・鎌倉駅からほど近い「Cafe Rietta(カフェリエッタ)」。店内で11年続ける料理教室では、最小限の手間で、食べた人からはほめられるメニューに力を入れています。
「家族の食を中心で担う、やりがいと孤独感は表裏一体です。黙って作り続けている限り、家族は食事が用意されていて当たり前に思う。時間がない時、くたびれた時、自分でどうにかした経験がないから『今日は簡単にカレーでいいよ』なんて言うでしょう」
料理教室に登場するのは、材料全てをひとつの鍋で煮込んでしまうマカロニグラタン、きれいに包むだけでよそゆき料理になる魚のホイル焼き……。これならできそう、食べてみたい、そして失敗のないメニューを特徴にしています。本多さんが作って参加者は見るだけ、食べるだけ。「手間ひまかけた本格的な料理を知りたい方には合わないと思います。目的は、食事づくりをしている人の心を軽くすることだから」
「私自身、仕事で料理をすることになりましたが、特に得意でも大好きでもない。周囲に怒られたこともあるけれど正直な気持ちです。だから料理研究家とは名乗りません」
きっかけは、子育ての環境を考えた都内から鎌倉への引っ越しでした。ひとりでできる起業を考え、選んだのが自宅の一部を使うカフェ。40代の本多さんが料理の先生に個人レッスンを受けての開店です。集客ができずに悩み、店内でレシピ紹介のイベントを始めたのが、いまの教室につながりました。
子育てや介護を抱えてパンク寸前という人もやってきます。
「若いお母さんが子どもの健康管理を完璧にやらなくてはと思い詰めていたり、ベテラン主婦が自分の家族と親の介護の二重生活の切り盛りでどうにもならなくなっていたり。全力で、いまのあなたで十分です、大丈夫ですって励ましたかった」
家の食事は、その日の分を作り終わったら、またすぐ明日のことを考えなくてはならない。「外での仕事は、仕事だからまじめにやらなくてはいけないけれど、嫌になったら辞められる。でも、家の仕事は……。教室で、食べた人からほめられるメニューを重視するのは、家族から食卓で『おいしいね』『すごいね』という言葉を自然に引き出してもらいたいからなんです」
本多さんの教室の参加者同士で「そうそう」って一番盛り上がるのは、料理の手抜きや失敗談です。「SNSにある誰かのすてきな投稿はスルーすればいいだけ。理想の食事のハードルを上げているのは自分だった、頼んでいなかっただけで家族が料理に興味を持っていたといったこともわかってきます」。
定員8人の教室は1日2回開いても満員が続く状態になり、本多さんは一時期、体調を崩してしまいました。「店を続けるかどうかも含め、この先自分は何ができるかと考えた。料理教室で経験したことならば言えると思いました。思い込み、強いんです。ツテもないので文章に書いてみて、出版社に送ったのが『料理が苦痛だ』です」
新たな気持ちで教室も再開しました。常連の参加者からは「本をリビングに置いていたら、夫が『苦痛だ』という言葉に驚いたのか、『大丈夫か。今夜はすしでも食べに行こう』って。ラッキーでした」と笑って報告を受けたといいます。
料理をやめることで、何が起きると本多さんは考えているのでしょう。
「外食や中食に、罪悪感ではなく楽しみを見つけたらそれでいいし、次第に『これなら私が作るほうがおいしい』『家のものを食べたい』といった気持ちがわいてきたら、また作ればいい。自分が機嫌良く過ごせるやり方を見つけられたら、それが一番です」
人生100年の時代をみすえて、フードライターの白央(はくおう)篤司さん(43)は、「自炊力 料理以前の食生活改善スキル」(光文社新書)を書きました。白央さんが、30歳で出版社勤めからフリーランスになるにあたって、自分の身を守るために「自炊していこう」と決めてからの経験が下敷きになっています。
日頃は全国の郷土食など、料理の喜びを取材することの多い白央さんは、ツイッターを使った情報発信をし、料理に対する意識を聞くアンケートも実践しています。「現実には料理に関心を持ったことがない、自分にはできないと思っている人は多かった。作る作らないに関係なく食生活について必要な情報はあるのに、届いていないことに気づきました」
自分で食事を用意することは「健康」と「経済」の安心につながる技術――。誰かを頼る暮らしがずっと続くかわからないなか、老若男女の関係なく必要なものというのが、白央さんの考える自炊力です。
本の中で、作らなくても選んで買うことから自炊だと定義しています。たとえば10代後半から20代、好きなものを気ままに食べ、体力に任せた生活をしがちですが、いずれ体は悲鳴をあげる。まさに「健康」と「経済」に直結する問題です。
コンビニが食生活のインフラになっている人が増えました。理想を言えば、ご飯などの「主食」、肉や魚の「主菜」、野菜や果物の「副菜」を一食にそろえたいけれど、家計の面からも現実的ではありません。
「自分が買っているものが、栄養のバランス的にどうなのか、何となくわかるようになるのが自炊力の第一歩。次に足りないものを加えられるようになればと思うのです」
最近、干し椎茸とナンプラーのスープにハマっています。よーく合うんだ、これが。 pic.twitter.com/mHHHgg0UjB
— 白央篤司 (@hakuo416) 2018年12月27日
野菜不足への漠然とした不安はよく聞きます。「料理をしない人ならば、いつものコンビニパスタに、コンビニで売っている冷凍野菜を電子レンジでチンして足すだけでいい。立派な自炊です」
さらには「いますぐでなくていい」としつつ、材料のやりくりを考えながら、料理する習慣を身につけていく道筋を示しました。
「それまで誰かが食事を作るのも、スーパーで買い物するのも見たことのない人にとっては、料理を始めるまでのハードルがそもそも高い。時短や省力のレシピを『これならできるでしょ』と教えられても無理なんです。ライターとして料理のプロと読者の間に立っていることが生かせたかもしれません」
「豚汁にキャベツ入れるんだ、変なの」と受け取る人。「豚汁にキャベツ入れちゃうんだ、面白いな」と受け取る人。私は後者の人間でありたい。自分がやるやらないは別にして、他者を否定しない。変と決めつけない。作ってもらってたら、文句いわない(笑)。#自炊力
— 白央篤司 (@hakuo416) 2018年12月17日
料理は技術だと割り切りたくても、つきまとうのが気持ちの問題です。食事作りをめぐっては、世代差や経験の違いから「いい」「悪い」「許せる」「許せない」の摩擦が起こります。
「人の価値観に振り回されず、もっと図太くなっていい」と白央さん。
見かけはともかく、魚肉ソーセージをピカタにしたらかなりよいつまみになりました。黒コショウひきます。#つまみ365 pic.twitter.com/AY3l7b2bad
— 白央篤司 (@hakuo416) 2019年1月3日
自身は2人暮らしで家事全般は2人で分担し、炊事に関しては白央さんが買い物と調理、パートナーが後片付けと、それぞれ好きな方を選んでいます。
毎日のお弁当も白央さんが作ります。料理に関する仕事をする自負もあり、栄養バランスやいろどりを考え、毎日違う献立を続けていたものの、4カ月ほどたつとネタ切れ。「こんなはずじゃ……」と焦りをおぼえたといいます。
「そんな頃、夕食に牛のすき煮を作ったら、ツレが気に入って『これ明日のお弁当にも入れてくれる?』っていう。同じものでよかったのかと拍子抜けしました。自分ひとりで意味のないものと闘っていたんです」
白央さんは、若い世代と話すとき、生活の質を上げるために料理する意識を感じるといいます。「暮らしやすく、日々の食卓を楽しめる。それが自炊力の最終形で、いつでも始められます」
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