連載
#20 #withyouインタビュー
学校に行けない…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで
「9月が始まると思うと、憂鬱でしたね」。タレントの中川翔子さんは、中学時代のこの時期をそう振り返ります。今はテレビやラジオ番組で活躍していますが、中学時代はいじめられ、不登校になったことも。「消えちゃいたいと思いながら、ひたすら夜をやり過ごしていました」。そんな中川さんがいま、あの時の自分に声をかけるとしたら、「大正解! それを続けてって伝えたい」と言います。(聞き手 朝日新聞記者・松川希実)
大人になると時間って早く過ぎちゃう。嫌なことも「切り替えていくしかない」って考えられるようになってきたけど、中学の時は1日ずつ1時間ずつがすごく長かった。
休み時間、給食の時間、授業の移動、全部がいやだったので。「ああ、もう9月が始まる」と思うと憂鬱でしたね。心を無にして行くしかないな、という感じでした。
中学でグループとか「スクールカースト」が出現しました。私はついていけなかった。最初の方でグループに入るのを失敗して、そこからずるずる。一人だけ、クラスで浮いてしまって。絵を描いていると、「なに、絵なんか描いてるんだよ、キモイんだよ!」って言われたり。「え? 絵を描くのってキモイの?」「私、ちょっと変な人って思われているかもしれない」って焦って、余計に空回りして。
小学校のときにすごく仲がよかった子は、クラスが別になって一個上の階。たまに会うと、すごく楽しそうで、キラキラしていて、違う世界の人みたいだった。普通に話しかけてくれるんですけど、私は一人でいるって勘付かれたくなくて、その子からも隠れるようになっちゃった。
休み時間は、教科書を整理して忙しいふりをしたりとか、図書室に隠れたりとか、試行錯誤していました。でも、それが「ただのふり」だって、周りにもばれていることは、自分でも分かっていて。
「なんで私がこんなこと言われなきゃいけないんだ」とか、「なんであいつらはやったもん勝ちなんだ」って、やられたことを憎んだりしちゃって、精神的には負のスパイラルでした。とにかく、私がいるところを見ないでくれという感じ。
悩み過ぎて、ずっと胃が気持ち悪くて。吐いちゃっているところを見られて、それでまた「ゲロマシーン」ってあだ名をつけられて。本当にしんどかったな。
学校って、本当に気を遣っていないといけない。ちょっとでも変なことを言うと「何あいつ」って、一瞬で色が変わっちゃう。「あ、やばい」と思っても、もう遅い。そんな細心の注意を払うことが、私にはできなかったんです。
中学1年、13歳のとき、祖母がパソコンを買ってくれたんです。インターネットもまだ普及しきっていないころ。よく買ってくれたと思いますね。
それが、思った以上に自分を助けてくれていました。
部活入らず、学校が終わり次第、直ちに家に帰っていました。でも、無の時間があると考えちゃうんですよね、今日何を言われたとか。だから、ちょっとでも楽でいられる瞬間を増やそうと思って、自分でも必死になっていました。
インターネットをつなげて、いつもの人たちとチャットしたりとか、好きな特撮やブルース・リー、映画、ゲーム、松田聖子さん、アニメソングとか、いろいろなものを調べたり。
そうしたら、「ああ、ここだったら、こんなに狭い趣味の世界のことも、語っている人がいる。もっと詳しい人がいる」と。パソコンがなかったら、外の世界に、同じ趣味の人がいるって分からなかったでしょうね。
夜中だけが救いの時間でした。インターネットやっているときは幸せだな。音楽聴いているときだけは楽しい。歌っているときはうれしいな、と。
ああ〜。でも、もしうまくやっていたら、部活入って、キラキラして、楽しくできたんだろうか(苦笑)
いや、逆に今になってみると、そのときに吸収したことが、めちゃくちゃ仕事だったり、人との会話や、出会いに、役に立ったりしたので、大正解だったなと言える時間でもあるし、いや、悔しかったなあれは、とも思えるし。
中3になると、けっこう派手なグループのみなさんが、やんちゃな感じになっていって。「こいつハブる」ってなったら、徹底的にハブって。ハブる人が日々変わったりもする。
「なんでこんなことに悩んでいるんだろう。明日も行かなきゃいけない。嫌だな。これが毎日ずっと続くのかな。長いな」って思っていました。
中1の時は違う階にいた、小学校のとき仲良しだった子が一緒のクラスになれたんです。私が聞こえるように悪口言われていても、気にしないで一緒にいてくれた。それが救いになりました。
「負けてたまるか」と思って、学校は行っていました。親や先生には相談しなかった。
でも、中3の最後の方でした。
あるとき、私の靴箱がへこんでいて。誰がやったのか、明らかに聞こえるように言ってきたんです。私、やりかえしちゃったんですよね。相手の靴箱に。そうすると今度は、私の靴箱がもっとベコベコになっていて。数少ない友達にそれを見られているのも恥ずかしかった。
ついに、靴がなくなって。これじゃ、帰れない。
しかたなく先生に相談したら、「このローファーを履いて帰りなさい」って貸してくださった。「ああよかった。分かってくれたのかな」と思っていたら、しばらくして、先生から「ローファー代払いなさい」って言われて。
「え、なに? やったもん勝ちなの?」って。もう、大人も信用できない。どうせ私は嫌われる星に生まれたんだ、と。そこから学校に行かなくなってしまって。
結局、一番やりたくなかった、泣いたり、学校休んだり、そういうことになっちゃったのが、すごく悔しかったから。「もう行かない」となったら、卒業式も行かなかった。
母は心配して、「学校だけは行きなさい」って。
怒鳴りあいになりました。私は自分で部屋の鍵をつけて、閉めて。でも、母にドアを蹴破られて。「行けー!」「行かない!」みたいな。
すごい心配だったと思います。母一人で育ててくれてたから、「今引きこもったら、どうしよう」「今どうにかしないと」って思ったでしょう。
でも、「もう無理」ってなっちゃってたときには、何も耳に入らなかった。「無理なもんは無理」って、ふたをしていましたね。
そういうとき、大人に軽く「卒業すれば楽になるから」って声をかけられても、「うるさいな。あなたは明日行かなくて良いけど、私は明日も明後日も行かなきゃいけないんだよ」って、心の中ですごく悪態をついていましたね。
どうしたら、そのときの自分が楽になるのか、すごく難しいですよね。「別にそんな人たち、気にしなくて良くない?」って今は思えるようになったけど、その当時の心は、振り幅が激しくって制御できない、ガラスのハート。どうしようもなかった。
あの後も何度も頭の中で「もっとうまいことすれば、無難な場所にいられたのかな」とか、「あの瞬間、こう言えば良かったんじゃないか」とかシュミレーションしてしまう。けっこう引きずりました。
消えちゃいたい、死にたいと思っているとき、なんか子猫が膝に乗りに来たとか、母が通りかかったとか。そういうギリギリでなんとか、「今じゃなくていいか」ってなって。ひたすら夜をやり過ごしていたという感じでした。
でもあるとき、母が人に電話しているのが聴こえて。「しょうこが学校に行かなかったり、本当に辛そうにしているのを見て、本当に私もつらくて」って話していて。
これまで父が亡くなった時も火葬の日しか仕事を休まないで、泣いている姿も私には見せなかった母でした。「そうか、母も悲しんでいるのか」って思ったことを、ちょっと覚えている。それよりもしんどいこともたくさんあったんですけど。
お仕事が18歳ぐらいのときに始まりました。それでも最初はうまくいかないし、せっかくのチャンスで結果が出せないこともいっぱいあって、「恥ずかしい、こんな人生」って思っていました。
ところが、たまたま代役で、すごく大好きだった漫画家の楳図かずおさんとお仕事できる機会があったんです。「ああよかった。辞める前の記念になった」と思っていた私に、楳図さんは最後に「またね」って言ってくださって。
「私ごときゴミムシに声をかけてくださるなんて! 『またね』ってことは、死なないで、辞めないでいたら、また会える日が来るかもしれないの?」って、トンネルの向こうに初めて光が見えた気がしたんです。
そこから、「インターネットで写真を載せられる日記を作らせてください」ってマネジャーさんにお願いして。当時はブログをやっている人もあまりいなかった。
最初は「呪いの言葉を書こうかな」と思っていたんですけど、思い出して書くときに、自分も嫌な気持ちになって、何回もネガティブを蒸し返すことになる。中学時代に「あの子にこんな悪口言われた」とか記す「呪いのノート」を書いていたんですけど、相手側に見られたことがあるんです。証拠が残ることを書くと、自分に返ってくるから、辞めた方が良い。
ブログでは「せめて好きだったことを書こう」って、明るい遺書的な感じで、「これが好きでした」、「アニメソングが好き」って、今まで言えていなかったことを書いていきました。
1日20個、30個書いているうちに、せっかくだからコスプレしちゃおう、とか、どうせだったらこうしよう、とか、ポジティブ気味になってきて。好きなこと、ほめることだけ書いていたら、文章に引っ張られて、すごい明るくなって。
「漫画読みたい、ゲームしたい、映画もっと知りたい、お仕事もしたい」って。いままで落ち込むことだけに向けていた時間を「それどころじゃないし」って思えた。
「私もそれ好きです」、「わかるわかる」って反応がもらえるようになりました。「あ、学校にいなかった同じ趣味の人が、外の世界にこんなにいたのか」って。否定されないどころか、同じ趣味の人に出会えて、いいところしかないんじゃないかって思ったときに、すごく、報われた感じがしました。
なんだ、間違ってなかったんだ、って。
自分の書いた文字の言霊に救われたかもしれないですね。
今はお仕事で、毎週、アニソンのラジオ番組をやらせてもらっています。悩んでいた時期に聴きまくっていたから、何時間でも話せちゃうし、すごく楽しい。
もし、学生時代をエンジョイしていたら、私は今、このお仕事をしていない。
そもそも、好きなことに気づけていなかったかもしれない。
悔しいこともあるけど、それでも、これでよかったと今は思える。あの頃はしんどかったけど、あの頃強く思っていた、願っていたから、ここにつながったのかもって。
振り返れば、一番脳がデリケートなときに、情報を叩き込んで、好きなことをごくごく飲んでいた感じだった。さなぎの時間として、すごく良かったと思います。
あのときの自分は「私、学校行けてないし、こんなに人に嫌われたり、悪口言われたり、思い描いていた自分じゃない。私は間違っている。私はダメなんだ」って思っていた。
けど、「NO! オールオッケー! 大正解! それを続けてください! それで大丈夫です! 未来の私がなんとかします!」って言いたい。
学校に行けなくたって、大丈夫。ちょっと、避難するだけだから。その、悩んだ時間の何倍も、「ああ、生きていてよかった」って思える瞬間がある。
なんか言ってきている、攻撃してくる人は他人です。その人たちはどうでもいいです。それよりも「楽しい」って思える瞬間を見つけることに集中していれば、どうでも良くなります。
でも、当時の私なら「あんたは今行かなくてもいいんでしょ、学校に」って言い返すかな。ん〜。
だけど、忘れないでほしい。人間ってきっと「わ〜、幸せ」って思う瞬間を目指して、生まれてくる。長生きしたって3万日しかない寿命。46億年の地球の中で、本当に一瞬でしかない。だったら、悲しんだりする時間、もったいないから、笑顔で燃え尽きられるようにしよう。
大好きな人にも、お互いが生きていれば、会えるって分かった。すごく好きだった作品がアニメになったり、実写になったり。好きなゲームの続編が出たり。
死んじゃってたら、その楽しみは味わえない。
もうすぐ東京オリンピック。生きていればリアルタイムで体験できる。
長生きした方が絶対、得。できるだけ、好きなことを見つけたもん勝ちな気がします。誰かを攻撃した人勝ちじゃないんだよ。
あのときの自分は、こんな未来があると思っていませんでした。
「私なんか」って気持ちの方が大きくて、真っ黒く蓋をしちゃっていた。でもそんな闇の奥底に、すごく「こうしてみたいな」という憧れがあったんだと思う。
夢の種まきだと思って、しんどい時こそ逆に、「これが好き」って言っておいた方が良い、って今となっては思います。
好きなこと、憧れを、文字に書いたり、言葉にしたり、それを繰り返すことで、誰かに伝わって「じゃあ助けてあげるよ」って言ってくれる人がいるかもしれない。
自分が閉じこもっていた部屋の中で見つけたいろんなことに、ありがとうって思える瞬間が今、お仕事の中でたくさんある。あの頃の自分に「お疲れ様」って背中をなでてあげたいなって思いますね。
今は、SNSがある時代なので、ぜひ皆さんには、きれいな写真を載せるのも良いし、「これってすごいかわいい」とか「おいしい」とか、いろんな角度で褒めまくってみてほしい。そうした、ちょっとしたルールで、自分の心の角度が変わるかもしれないから。
本を読んだり、テレビを見たり、スポーツ見ているときかもしれないけど、ほんの少しでも自分の心のアンテナが動く何かがあったら素敵です。少しずつ見せたくなることを書いてみてほしい。
そこから、他の世界の人とつながれたり、面白そうなことが見つかるかもしれません。
今は本当に無限にすてきなことがあって、それを否定されずに楽しめる空間があるので、どうか、今のしんどい時間に、あきらめないでほしいです。
今はすごく長いかもしれないけど、1日ずつを、「これ、好き」「これ、美味しい」「これ、可愛い」「これ、面白い」って、心が少しでもまろやかになれる瞬間を積み重ねていったら、それはいつかの、未来のためのさなぎタイム、エネルギーチャージに絶対なっています。
悩むことは一番の先生。悩みながら読んだ本の1文字1文字や、聞いた音楽や、その時見つけた「これ、好き」って思える出来事が、いつかの未来に咲く花の種となって、自分の栄養になって返ってきてくれる日があると、今、私は断言できます。
突然、うわ~っと、生きるのやめないでよかったと思える日ってたくさんくる。たくさんくるように、今悩んでいるんです。
どうか、今のこの悩みが「大正解だった」、この時間に見つけたことに「意味があった」って思える未来のために、もう少しだけ、生きることを諦めないでほしいなと思います。
本当につらかったら、ちょっと休憩してもいいから。でも、「大丈夫、絶対に」と、未来の自分がそう言っていると、心の中に少し思っていてほしいなと思います。
命は何よりも大切なものだし、先祖代々からの奇跡の最先端なんだ、どんなに長生きしても寿命は3万日しかないんだっていうことが、ふわっと、子どもたちの脳裏によぎっていてほしいなと思います。
私は祖父母、母が、何が何でも味方だっていうスタンスでいてくれたので、心配させたくないっていうのを本能的に思っていた気がします。
高校は、中学と違う通信制にさせてもらった。レポートを提出して、学校に行きたいときは行って、行けない日は行かなくても良かったというのが、合っていて。中学のときより楽になって、最後の方は学校に行けるようになりました。そういう学校選びだったりとか。
だんだん心の角度が変わる瞬間が来るかもしれないから。できれば、優しい環境で守ってあげてほしい。命を失ってまで絶対に行かなきゃいけない場所なんてないですし。
あと、先生たち。いじめがない場所なんてなかなかないと思います。「いじめがないわけない」って思って、ちゃんと弱っている子の心の声を聞いてあげてほしいです。言ったもん勝ち、やったもん勝ち、先制攻撃したもん勝ちという状況から守ってあげてほしい。
◇ ◇ ◇
なかがわ・しょうこ
愛称は「しょこたん」
歌手や女優、ディズニー映画の吹き替えなど声優、イラストレーターとして広く活躍。
生きづらさを抱える若者に向けたNHKの番組「#8月31日の夜に。」にも出演する。
1/3枚