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感動

甲子園で「世紀の落球」選手の今 「泣きそうになった」仲間の言葉

「世紀の落球」について語る本田紘章さん=2018年6月18日
「世紀の落球」について語る本田紘章さん=2018年6月18日

目次

 誰にでも思いだしたくない若い時の大失敗はあります。そんな大失敗を、全国中継される場所で起こしてしまった人は、どんな人生を歩むのでしょう。今も語りぐさになっている「世紀の落球」は8年前、夏の甲子園で起きました。開星(島根)は九回2死まで仙台育英(宮城)をリードしながら、センターの落球によって逆転負けを喫したのです。当時、センターだった本田紘章(ひろあき)さん(25)を訪ねました。(朝日新聞松江総局記者・内田快)

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ショールームで語り出した思い出

 場所は島根トヨペット松江店。自動車のセールスマンとして働いている本田さんは、ショールームの一角で当時の様子を懐かしそうに語り始めました。

 そのフライは、決して難しいフライではありませんでした。この1球を、いつも通りにグラブに収めれば、3アウト。勝利は目前でした。だから、なのでしょうか……。

 「捕ってから考えればいいことを捕る前から考えてました」

9回表仙台育英2死満塁、日野の中飛が敵失を誘い、三塁走者庄子(右から2人目)、二塁走者田中(10)が生還。逆転を許し投手白根と捕手出射はぼうぜんとする=2010年8月11日
9回表仙台育英2死満塁、日野の中飛が敵失を誘い、三塁走者庄子(右から2人目)、二塁走者田中(10)が生還。逆転を許し投手白根と捕手出射はぼうぜんとする=2010年8月11日 出典: 朝日新聞

頭に浮かんだ「校歌を歌う姿」

 5対3と開星がリードして迎えた九回表の仙台育英の攻撃。2死となった場面で、本田さんの頭には早くも、整列して校歌を歌う自分たちの姿が浮かんでいました。「それから、アルプスにあいさつして、宿舎に帰って、こっそり持ち込んだテレビゲームをして――」。

 そんな想像をふくらましている内に、安打や死球などで1点を奪われ、2死満塁に。一打逆転のピンチでしたが、「まあ大丈夫だろう」と思っていました。

 相手バッターが、本田さんがいるセンター方向にフライを打ち上げました。「山陰のジャイアン」ことマウンドの2年生エース・白根尚貴(なおき)選手(25、現DeNA)は勝利を確信し、ガッツポーズを作りました。

 初回から風が強いことは分かっていました。追いついて落下点に……。

 捕れたはずでした。しかし、グラブに入った感触がなく、下を見たら、ボールが。「これは夢か」。スコアボードを振り返ると5対6の数字が見え、気づくとライトの選手に肩を支えられていました。

「守備だけは上手いキャラ」だった

 本田さんが野球を始めたのは小学3年生のとき。目立つ選手ではなかったそうです。ただ、「守備だけはうまいキャラ」だったので、開星に進んでからは、いつか守備要員としてでも試合に出られたらとは思っていました。

 1年の冬場に筋トレで体重を10キロ以上増やし、長打力をつけた本田さんは、春のセンバツのメンバーに抜擢(ばってき)されました。公式戦初出場初先発の甲子園で逆転タイムリーを放ちます。以来、相性のよさを感じていた、その甲子園で、それも得意なはずの守備での痛恨のミス。

仙台育英に敗れ、ベンチ前に整列して相手校歌を聞く開星の選手たち=2010年8月11日
仙台育英に敗れ、ベンチ前に整列して相手校歌を聞く開星の選手たち=2010年8月11日 出典: 朝日新聞

 その仙台育英戦、ドラマは続きます。九回裏、1点を追う開星は2死一、二塁の好機を作りました。打席には糸原健斗選手(25、現阪神)。フルカウントからの鋭い打球は左中間へ。「抜けた。サヨナラだ」と開星の選手たちは手を上げて喜びます。

 しかし、レフトが飛びついてキャッチ。相手のファインプレーで、開星の夏が終わりました。

「大学では落とすなよ」

 試合後、糸原選手が「落としたくて落としたんじゃないもんな」と本田さんに声をかけました。「泣きそうになりました」。松江市の自宅に帰ってからは、ほとんど外に出ることができませんでした。

 それからおよそ1週間後の夏休み、体育祭の準備のためにおそるおそる学校に行った本田さん。責める人は誰もいませんでした。

 「いい仲間やと思いましたね」

現在は島根トヨペットで働く本田紘章さん=2018年6月18日
現在は島根トヨペットで働く本田紘章さん=2018年6月18日

 秋になると落球は笑い話になっていきました。引退後も練習に参加していた本田さんのところにフライが上がると、糸原選手たちが「フライいったぞ! 大丈夫か?」。1学年下ですが、小・中と同じチームで仲の良かった白根選手からは「大学では落とすなよ」。

 本田さんは、大阪体育大学に進学し、全日本大学野球選手権大会にも出場しました。大学では落球はなかったそうです。卒業後は松江市に戻り、休みの日には草野球を楽しんでいます。

「最後まで何が起こるかわからんよ」

 話を聞きながら、自分が中学時代に所属していたテニス部でのことを思い出しました。ダブルスの大会で緊張からリターンが全く入らなくなり、負けてしまいました。

 次の大会でも同じミスが続き、頭が真っ白になっていたそのとき、ペアが笑顔で近寄り、「うっちーの好きなようにしてや。あとは俺に任せとけ」と言ってくれました。肩の力が抜け、調子が戻り、試合にも勝つことができました。

 彼の言葉がなければ、立ち直れなかったと思います。本田さんを支えたのも、そんな仲間の存在でした。

草野球で力強く投げ込む本田紘章さん=2018年7月1日、安来市吉岡町
草野球で力強く投げ込む本田紘章さん=2018年7月1日、安来市吉岡町

 全国で勝つために楽しくも苦しい練習を積み重ねた仲間だったからこそ、本田さんに寄り添うことができたのだと思いました。彼らは、本田さんの思い出したくない失敗を笑い話に、そしてかけがえのない思い出にしていきました。

 「最後の最後まで何が起こるかわからんよ」。高校野球を通して本田さんが学んだことです。それは仕事でも同じ。「セールスの話をして、契約のハンコを押してもらうところまで、『最後まできちんと』と思いますね」

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