お金と仕事
松本人志の「初代相方」の今…「嫉妬と喪失感」で過ごした30代
もし、あの時ああしていれば、もっと華々しい人生が…。誰もが一度は感じるであろう後悔や嫉妬。この人はどうたったのでしょうか。あの松本人志さんがダウンタウンとしてデビューする前に、漫才コンビを一緒に組んでいた男性がいます。その「元相方」に、35歳の記者が人生相談を兼ねて話を聞きました。
「最初の1カ月は全然話していなかったと思うんです。僕は当時から、お笑い好きで、一発ギャグなんかをよくやってたんですよ。女の子や先輩の前でおもろいことやって、ゲラゲラ笑ってたんですね」
「ある日、そんな僕を松本は、教室の隅でじっと1人で見てたんです。そして、ぼそぼそした声で『全然おもんないわ』『全然おもんないわ』と繰り返し言いよった(笑)」
――衝撃の出会いですね(笑)。腹が立ちませんでしたか
「そう。そんで、僕が『じゃあじぶん、何かおもろいことできんのかいな』と言うと、松本は『俺はそんなギャグみたいなことはせーへん』と言うてました」
「その後すぐに、お互いの家に遊びに行くようになりました。当時から、松本は想像力豊かでしたよ」
――どんなことをして、笑いあっていたのですか
「大人の恥部をえぐるような、いやらしー感じでしたね(笑)。よく、おっさんをイジってました。例えば、歩いている大人を見て、松本が『おっさん、ごっつ刈り上げとるな』と言うと、僕が『おっさん、見事な口ひげをたくわえとるな』と返して笑う」
「今考えると、小3が使う言葉と違いますね。松本も僕もそういうところの感性が合って、溶け込んでいったのかなあと思いますね」
――漫才コンビはどうやって誕生したのですか
「僕の方が『漫才やろうや』と誘ったんです。地域のクリスマス会や学校のイベントで披露してました。練習は僕の家でやることが多かったですね」
「評判が良かったものに、歯医者のネタがありました。近所にイトタガワとクマガイという二つの歯医者があったんです。イトタガワは患者が多くて、ちょっと歯をいじっては3日後に来さす」
「一方、クマガイはおじいちゃん先生で、大流行のイトタガワと違ってガラガラ。それをネタにしてやりました。たぶん松本が考えたと思うんですが、商店街で2人の院長先生がばったり出くわす設定です」
『おまえのとこ、ちょこちょこ患者呼んではぼったくってるらしいやないか』(クマガイ)
『おまえのとこは、薄暗くて理科室の臭いすんなあ』(イトタガワ)
『えーやないか別に。俺の方が年上やぞ。なんちゅう口きくんや』(クマガイ)
「商売敵が、だんだん押し問答になる。みんな、実際の歯医者を知ってるから余計に笑う。これ小学生が考えたネタですよ。やらしい感じですね(笑)」
「けんかの原因はあまり覚えていないんです。ただ、僕はいちびりなので、浜田をイラッとさすことをよく言うてたと思います。そのときも、そうだったんでしょう。まあ、けんかといっても一方的にやられたけどな。急にヘッドロックされて、路上の壁に頭をぶちつけられたのは覚えてますわ(笑)」。
「それから、浜田が『まっつん(松本さんの呼称)、もう行くぞ』と言って…、そのまま2人で向こうの方へ帰っていきました」
「それから、2人とは遊ばなくなり、違う友達とつきあうようになりました。僕の方から離れていったんです」
――つらい経験ですね。ダウンタウンにとっても、伊東さんにとっても、振り返れば大きな岐路となった出来事ですね。伊東さんは、なぜ自ら離れようと。
「かっこ悪い…。やられた、という感じだったから、顔あわしたくなかった。まあ…逃げてたね」
「松本は気遣いできる優しい男です。浜田の強いリーダーシップに引っ張られいったんでしょうね。今思えば、松本もこんなことになってしまったとショックを受けてただろうし、どうすることもできないという感情やったんじゃなかったかな」
「その後、学校のイベントで、松本や浜田ら同じクラスの5人がドリフターズの替え歌ネタを披露してめちゃくちゃウケてて、優勝してました。僕は、別のクラスで「長崎は今日も雨だった」を歌ったけど、案の定ウケへんかったね(笑)」
「病んでたね。笑いという部分では、松本がおって、俺がおって、と思ってました。笑いの「最強」がおらへんから、勝てるはずがないと思ってましたね」
――ダウンタウンの活躍をどう見ていましたか。
「正直、『売れるな』と思っていました。話は入ってくるのですが、彼らのレギュラー番組も一切見ませんでした。喪失感というか、自分自身が情けないというか、キャーキャーされている彼らに対する嫉妬やうらやましさがありました」
「26歳の時、頼まれて彼らの番組に『元同級生』としてゲスト出演したんです。でも、本当は嫌でした」
――自分もお笑いをやっていこう、という思いは?
「ありませんでしたね。高校ではもう笑いとかけ離れていたし。松本以上の相方はいないし。ピンでやる勇気もありませんでした。喪失感みたいなものは、30代半ばまではあったかな」
「寒い冬でした。突然電話があって、松本が同級生の友人宅に来ていると。僕は『まっつん、俺びっくりするくらいはげてもーてな。ショック受けると思うで』と言ったことを覚えています。会いに行ったら、松本は僕を見て、ゲラゲラ笑ってました」
「その1週間後に、今度は僕が仕事で東京に行く機会があったから、連絡したんです。僕の方から。ホテルも直前にキャンセルして。松本が車で迎えに来てくれて、鉄板焼き食べにいって、自宅に泊めてもらいました」
――2人でどんな話をされたのですか
「お互いの仕事の話をして、マジトークになりました。松本は周りの芸人らの仕事の仕方なんかに少し不満をもっていたようで、常に笑いのことを考えていかないといけない、というようなことを言っていました」
「僕がアパレル業界でやってることを聞いて、松本は『ほんま頑張ってるなー。俺ももっと頑張らなあかんわ』とも言うてた。『そない頑張らんでええ。十分や』と返したけどね」
――再会して、色んなもやもやが消えましたか
「そうやね。本人が妥協せず頑張っている姿が見えたし、有名になっても、人柄は昔と変わってなかったのが嬉しかったです。小学校の時に戻ったという感じ」
「でも、松本がアマ(尼崎)に来てなかったら、俺からも連絡することはなかった。ほんまタイミングが良かったよね。今思えば、ほんま運命的や」
――ダウンタウンのツッコミが、自分ではなく浜田さんで良かった思いますか
「そやね。あそこまで成功したのは、浜田のパワーがあったからこそですよ」
――私は今35歳です。正直言うと、時々同年代の人の活躍を見て、嫉妬や後悔を感じることもあります。人生の先輩として、伊東さんの人生訓を教えてください。
「えー(笑)。……流されそうで流されない、かな。30代の頃、僕もお笑いの道や、ほかの会社への誘いみたいなこともありました。でも、一歩踏み出す勇気もなくてね」
「大事なのは今いるところで、その中で自分なりの楽しさを見つけることやないか。お金もろーた以外のことでね。もちろん楽しいことばかりじゃないけれど」
――伊東さんにとって、今楽しいことは何ですか
「『おやじの会』と名付けて、毎月1回、第三月曜日に、アマの同級生ら7人で飲み会をしてるんですよ。仕事で日曜に休めない仲間が1人いて、みんなで飲みに連れだそうといって、数年前から始めました。フツーのおっさんたちですけど、色んな業界のやつがおっておもしろい。そこから新たな出会いが広がったこともあってね。50代になっても、いい出会いがありますよ」
――最近、ネットニュースでは、社会問題に対する松本さんの鋭いコメントが注目を集めています。元相方として、最後にメッセージをお願いします。
「まあ、えらなったのーと。アタマ悪いなりに色々勉強してんねんな(笑)。ま、根本的にはアタマいいねんけどね。笑いに徹することは本人が一番分かっていることですし」
「数年前に、ダウンタウンの番組にゲスト出演した時、ナマで松本と浜田見たら、テレビで見るより、疲れてるなと感じたんです。だから体には気をつけてほしい」
「プライベートでは松本と浜田は交わらないと聞いてます。希望を言えば、還暦になったら2人一緒にアマに帰ってきて、僕らみんなと色んな話をしたいな~。2人一緒に」
【取材を終えて】「ダウンタウンの昔話に今でも興味を持ってくれて嬉しいわ」。取材を終えた別れ際、伊東さんがそんな言葉をかけてくれました。50歳を過ぎても、松本さんらとの昔話をして、クククっと何度も思い出し笑いする笑顔はまるで少年のようでした。豊かな人間関係さえあれば、フツーのおっさんの人生も悪くないぞ。理想と現実のはざまでもがく私に、伊東さんの後ろ姿が、そう語りかけてくるようでした。