お金と仕事
五輪代表からの転向、朝日健太郎さんを導いた「セカンドキャリア論」
朝日健太郎さんは、バレーボール日本代表選手からビーチバレーに転向し、現在は国会議員として活動しています。大きなキャリアチェンジが成功できたのは、選手時代から守ってきた「軸」があったから。環境が変わっても、自分の中の一貫性を守って次のステップにつなげてきた朝日さん。転職が当たり前になった時代、朝日さんにとっての「セカンドキャリア」について聞きました。
平昌五輪でも若い人が世界を舞台に戦っていましたよね。時々、若い選手と過去の自分を重ねてしまい、「本当に心がついてきているのかな」と心のケアやサポートについて心配してしまいます。
僕がバレーボールをしているルーツは、バレーボール自体にはなく、あくまで自己成長の手段でした。若手の選手がインタビューで「幼少期から勝つことを目標にしてきた」というコメントを聞くと、「自分とは違うな」と思ってしまいます。
2002年、ビーチバレーへの転向は、その当時の予定調和な状況からの「脱出」だったんです。「高みを目指ざす」という目標の中で、何もかもが順調すぎました。自分の熱量が冷めていき、周りとのモチベーションのギャップに苦しんでいた時でした。
転向はチャレンジでしたが、バレーで培ったスキルを活かせる優位性と、国内での認知度はまだ低かったのでパイオニア性があると感じました。周りを騒がせるかもしれないけど、こういう人生設計も良いのではと思い、新たな道を進むことにしました。
ビーチバレーに転向して変化したこと。その一つはスポンサー企業を探すことでした。6人制バレーの時は、純粋に練習や試合に集中すればよかった。ビーチバレーでは活動費を確保するために、選手が自らスポンサーを探さないといけない。
練習をする一方で、営業する時間を作りました。まだ「朝日健太郎」のネームバリューがあり、話は聞いてもらいやすかったですね。この時の経験で、営業力や交渉力、自分を評価してもらうアピール力は身に付いたと思います。
ビーチバレーのオリンピック出場枠は世界での順位で決まっていました。2008年に北京五輪に出場した当時は、世界ランキング上位24組のみが出場権を得られるという形でした。
僕は白鳥勝浩さんとペアを組み、日本代表として、24番目の最後の五輪枠に入りました。日本ではまだビーチバレーが五輪に行くプロセスが開拓されていなかったので、五輪に出場できたという達成感はありましたね。
4年後のロンドン五輪でも出場権を掴むのですが、その時は選手としてやっていく火が消えつつありました。次のキャリアを探し始めていましたね。ロンドン五輪出場後は完全燃焼したので、2012年の37歳の時に選手を引退しました。
今まで多くのインタビューを受けきました。競技の転向やビーチバレー日本代表として五輪出場したことなど、ライフチェンジした理由に関心を持たれることが多かった。
それに対して明快な理由や答えを持ち合わせないまま「自然な流れで」などと答えていました。正直、今まで自分の中で腑に落ちるものがなかったんです。そして、今は国会議員ですよね。人生の選択に脈絡がないように捉えられてもおかしくないと思います。
でも取材などを通して、なぜこのような人生なのか、なぜこんな考え方をするのかを分析するようになりました。そして、この年になったようやく見えてきたものがあります。その一つは、「高身長というマイノリティ性が自身の性格に影響を及ぼしている」ということです。
背が高いが故に、これまで常に周りからの注目を浴びてきました。人に声をかけられる機会も多かったため、徐々に人の要望に応えるようになっていったんです。
例えば、「大きいから大変なこともありますよね」と言われると、相手が納得する回答を言ってしまう。期待に応えていくことが自然となり、それに身を任せていくようになりました。要は芯がなかったんです。
スポーツ選手を引退して社会に出た時、社会のニーズに応えていきたいと思いました。求められた結果を出していくことは、競技でも仕事でも仕組みは同じだと思います。
政治の世界に入った一番の理由は、教育とスポーツの政策をしたいと思ったからです。僕自身が今子育てをしている中で、「スポーツで町を元気にしていきたい」という思いがあります。
そこには需要があると感じています。世間の関心がなかったら政策を進める意味はないと思いますが、あるからこそ、自分の役割があると感じています。結果を出して、期待に応えていきたい。
今は健康ブームですよね。スポーツ人口が増えることもそうですが、スポーツを見て楽しむ人も増えたり、スポーツビジネスによって利益を得る人や企業が生まれたりする世の中にしていきたいと思っています。
また、2020年オリンピック・パラリンピック東京大会実施本部事務局次長としても、スポーツに携わる機会を得ています。東京五輪を迎える上で、選手が資源だと思っています。議論の中で、選手の視点を入れた発言をすると、説得力が増すことは大きいと感じています。
今度、大学4年生にキャリア論について話をする予定ですが、勉強や練習だけではく、自分の世界の外に目を向けることが大切ということを話したいと思っています。一点突破のリスクは怖い。必ずしもベストの結果が出るとは限らないので。
そこで大事になってくるのは常に余裕を持つこと。競技以外のモノやコトに触れたり、人と会ったりすることから始めていくと視野は広がると思います。失敗した際のバックアップを作っておくと、安心感も得られます。できるだけ複数の選択肢を持っていたほうが良い。
あと、僕はPDCAという言葉をバレーボール選手引退直前に知ったのですが、現役時代、無意識にしていたことが具現化された感じです。自分の考えを言葉できちんと説明できるようになると、アスリートはより伸びるのではないかと思っています。
そういった意味で、思考やプロセスを言語化することは大切だと思っています。スポーツの場合、「五輪に出た」という事実は社会的に興味関心を持たれますよね。結果をどう分析して、どう後輩たちにつなげていくか。
言語化していく作業は、スポーツにおいても仕事においても必要なことだと思うので、これからも続けていきたと思います。
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