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龍馬、暗殺時の「あの料理」を名産品に! 地元有志がひたむきな努力

龍馬が最後に食べていた料理とは……=森岡みづほ撮影
龍馬が最後に食べていた料理とは……=森岡みづほ撮影

目次

 さて問題です。幕末の志士・坂本龍馬が暗殺直前に食べていた料理とは? カツオで有名な高知県ですが、今、龍馬にまつわる「あの食材」を新たな名産品にしようとする動きが出ています。農家の高齢化、「手間がかかる」と精肉業者に断れながらも、直営の加工場を作り、地道な活動を続けています。現在では県外への売り込み進んでいるという地元有志の「ひたむきな活動」を追いました。(朝日新聞高知総局・森岡みづほ)

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「腹が減つた、峯、軍鶏を買ふて来よ」

 「龍馬は峯吉を顧みて『腹が減つた、峯、軍鶏を買ふて来よ』といへり」

 高知県出身の史学家・岩崎鏡川が記した「坂本龍馬関係文書」の一部分です。

 龍馬が暗殺される直前に、シャモを買うよう頼む場面です。龍馬にシャモを買うよう頼まれた菊屋峯吉の談話をもとに書かれています。

 そう、ここで記されている龍馬が最後に食べていたものとは「シャモ」です。

 文書にはほかにも、「龍馬の顔は病後なればにや、蒼白かりき」と書かれ、暗殺直前に体調を崩していた龍馬が、シャモを食べようとしていたのではないかということが分かります。

 これをもとに、「龍馬が暗殺直前に体を温めようとシャモを食べようとしていた」ということは、小説やドラマでよく描かれるようになりました。

龍馬が最後に食べていたのは……シャモ!=森岡みづほ撮影
龍馬が最後に食べていたのは……シャモ!=森岡みづほ撮影

「あれ、やわらかい!?」

 ところ変わって高知市中心部のひろめ市場。昭和を思わせるノスタルジックなフードコート内には、カツオやうつぼなど高知県の特産品を楽しめる飲食店が立ち並んでいます。その中に、シャモ鍋を提供する店「軍鶏伝」(しゃもでん)があります。

 シャモって、正直、「肉が硬い」というイメージだったのですが、龍馬の最後を思い浮かべながら食べてみると……「あれ、やわらかい!?」。

 肉はかむとうまみが広がります。鍋のベースはかつおだしで、野菜やうどん、豆腐がどっさり。

 店のメニューには、鍋の他にシャモラーメン、シャモすき焼などシャモ料理があります。

 軍鶏伝を運営するのは、シャモを使って町おこしを目指す企業組合「ごめんシャモ研究会」。高知市の隣街、南国市の地元商店主らが2009年に立ち上げました。今ではシャモの飼育から加工、販売までしています。

店員さんが鍋を持ってきてくれたシャモ鍋=森岡みづほ撮影
店員さんが鍋を持ってきてくれたシャモ鍋=森岡みづほ撮影

【動画】新たな名産品としての取り組みが進むシャモ鍋=森岡みづほ撮影

市の名産品をつくろうと

 研究会の発案者でもある立花智幸理事長に話を聞きました。

 そもそも、なぜ南国市でシャモを?

 実は、南国時は県庁所在地の高知市の隣で、住宅は多いものの、全国に名が知られるような「名産品」がありませんでした。

 「南国市の新たな名産品をつくりたい」とクリーニング店や印刷会社など地元商店主6人が集まって研究会を立ち上げました。立花さんも本業は家業の印刷会社の役員です。

 メンバーは南国市の名産である野菜を使おうと思いつきました。そこで目を付けたのが、野菜もたくさん食べられる「シャモ鍋」だったのです。

立花理事長。農家でも料理人でもなく印刷会社の役員です=森岡みづほ撮影
立花理事長。農家でも料理人でもなく印刷会社の役員です=森岡みづほ撮影

そもそもご先祖様がいた南国市

 もちろん、龍馬と南国市には、ちゃんとした接点もあります。

 南国市にある才谷地区、ここには、坂本龍馬の先祖が住んでいたといわれているのです。地区ではかつて、龍馬の命日である11月15日に地元で祭りがあり、シャモ鍋が振る舞われていました。

 そもそも、高知県にとってシャモは縁の深い食材でした。
 
 県内ではシャモを戦わせる「闘鶏」という文化があります。闘鶏がおこなわれていた時には、負けたシャモを食べていたそうです。ですが、時代とともに闘鶏は廃れ、シャモも食べられなくなりました。

 2009年に研究会を立ち上げた時には、シャモを飼育している農家がなく、立花さんたちは高知県畜産試験場からシャモを70羽譲り受けたそうです。南国市でキジを飼ったことのある農家に頼んで飼育を始めました。

 2010年には、大河ドラマ「龍馬伝」の効果もあり、埼玉県で開かれた鍋料理の日本一を決めるイベントで、いきなり優勝しました。

2017年11月にあった「龍馬まつり」で研究会が振る舞ったシャモ鍋を食べる子どもたち=森岡みづほ撮影
2017年11月にあった「龍馬まつり」で研究会が振る舞ったシャモ鍋を食べる子どもたち=森岡みづほ撮影

ピンチ!農家廃業、加工場も「手間だからやめる」

 一方、困難もありました。南国市で飼育を始めて2年ほどたったころ、畜産試験場がシャモの卵を孵化(ふか)することをやめます。立花さんたちが南国市内の県立高知農業高校に相談したところ、生徒たちが孵卵(ふらん)を引き受けてくれることになりました。

 シャモの飼育を担当していた農家も高齢になり、引退。そこで、2015と2016年には、研究会直営の鶏舎を二つ整備しました。立花さんたちも日曜は鶏舎でシャモの世話をするようになりました。

 昨年には加工を担っていた精肉会社が、「手間がかかる」と鶏の加工をやめました。シャモは大きさが普通のブロイラーより大きいため、機械でさばくことができません。さらにシャモの毛は黒いため、肉についた毛が目立ちます。販売するには一つ一つの肉から毛をそらないといけません。

 そこで研究会は昨年8月、直営の加工場をつくりました。

 現在出荷しているシャモは年間約4500羽。シャモ料理を扱う店は、南国市や高知市など県内に19店舗にまで増えました。年間約500~1千羽は東京や大阪の飲食店に販売しています。

 さらに、龍馬の命日近くに開かれる「龍馬まつり」などイベントでシャモ鍋をふるまったり、年に1度は南国市内の小学校の給食に食材として提供したりしています。

加工場では丁寧に肉から毛をそっていた=森岡みづほ撮影
加工場では丁寧に肉から毛をそっていた=森岡みづほ撮影

高知はカツオだけじゃない

 「子どものために街の誇りをつくりたいと思って始めた。ここまでシャモで苦労するとは思っていなかったが、広まりつつあるのがうれしい。高知にはカツオだけじゃなくシャモもあることを知って欲しいですね」と立花さん。

 これからはさらにシャモ肉を使った加工品をつくりたいと話しています。

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