連載
#10 東京150年
女人禁制の土俵、いまも賛否 「女性総理になったら、杯を誰が…」
女性が大相撲を自由に観戦できるようになったのは、江戸が東京になってからです。それから150年近くが過ぎましたが、いまも女性は国技館の土俵には立てません。「いつか女性総理が生まれたら、内閣総理大臣杯を誰が授与するのか…」。今でも賛否が分かれる女人禁制。その歴史を振り返りました。(朝日新聞記者・抜井規泰)
《力士に与力、火消しの頭》
これが、女性にもてる「江戸の三男(さんおとこ)」だった。
とはいえ江戸時代、女性が大相撲を観戦できる機会は千秋楽に限られていた。こんな川柳が残っている。
《女には 見せぬ諸国の いい男》
「千秋楽こそ優勝争いの好取組があるじゃないか」――と思うかもしれない。ところが、当時の楽日は幕下以下の取組しかなく、俗に「おさんどん相撲」と呼ばれていた。おさんどんとは台所仕事の意味。それを担っていた女性への蔑視も感じさせる俗称だ。
女性が自由に観戦できるようになったのは、江戸が東京になってからだ。1872(明治5)年。不人気に苦しんだ当時の相撲協会が、打開策を元土佐藩主の山内容堂に相談。「婦人をおろそかにしてはいけない」と助言され、女性の観戦を解禁したとされる。
だが、いまも女性は国技館の土俵には立てない。毎年夏に国技館で開かれる「わんぱく相撲全国大会」には、女子が地方予選で優勝しても出場できない。
力士の断髪式でも、息子は土俵に上がって引退した父親のまげにハサミを入れられるが、娘は、それができない。土俵の下から花束を渡す子が多い。
政治の場で、平成に入ってから2度大きな議論となった。
1990年初場所。海部内閣で女性初の官房長官となった森山真弓氏が内閣総理大臣杯の授与を希望した。二子山理事長(元初代横綱若乃花)は「土俵に上がっての大臣杯授与は遠慮してほしい」と要請。官房長官側が断念した。
2000年2月には、大阪府知事に就いた太田房江氏が地元大阪での春場所千秋楽の表彰式で、府知事賞を直接手渡したい意向を示した。土俵の女人禁制が再び焦点となり、朝日新聞の世論調査では47%が太田知事を支持。相撲協会を支持する37%を上回ったが、知事側が折れる形で決着した。
横綱審議委員だった作家の内館牧子さんは、朝日新聞にこんな寄稿をしたことがある。
《伝統文化に「現代」というメスを入れようとするなら、相当な覚悟と明確な理由が必須である。そしてそれ以前に、部外者が伝統文化の「核」に触れることへの畏怖(いふ)があってしかるべきだろう。それを「新しい形を目指すのにいい時期だ」などと言い切るのは、あまりにも軽くはないか》
大相撲の土俵以外にも、ユネスコの世界文化遺産に登録された沖ノ島や、奈良の大峰山なども女人禁制の伝統がある。いずれも女性を「けがれ」として遠ざける「女性不浄観」から生まれたとされる。
しかし、いま女性を「けがれ」の存在として考える人はいないだろう。また、「おかみさん」が力士の母がわりも務める大相撲は、女性の存在なくしては成り立たない。
歌舞伎や宝塚歌劇団などを引き合いに、土俵の女人禁制の伝統を肯定する声もある。一方で、男女平等の観点から、女人禁制への疑問の声もある。
16年夏、小池百合子都政が誕生した際、相撲協会のある役員がこう漏らした。「大相撲の伝統は男だけで守ってきたものではなく、女性の協力があったから守り続けられている。いつか女性総理大臣が生まれるだろう。そのとき、内閣総理大臣杯を誰が授与するのか。未来の女性総理にも協力していただいて、大相撲の伝統を守っていきたい」
迷信に基づく「悪しき因習」と考えるのか、何百年も守り続けてきた「伝統」と考えるのか――。ただ、何百年にも渡って貫いてきたものを変えてしまうのは一瞬だ。守るにせよ改めるによせ、慎重な議論と、社会の理解が必要だろう。
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