連載
#8 現場から考える安保
海外で「緊急事態」その時…荷物は?ペットは?訓練で見えた「限界」
「ヒトヨンマルロク、通過!」。外国で緊急事態が起きた時に現地の日本人を退避させる「邦人保護訓練」を、自衛隊と外務省が合同で行いました。北朝鮮の核・ミサイル問題が収まらず、韓国に住む日本人の安全をどう確保するかに関心が高まっています。荷物は1個・ペットと泣き別れ…。緊迫した訓練を、どう生かすのか。リアルにこだわる現場で「限界」も見えました。(朝日新聞専門記者・藤田直央)
訓練が報道公開されたのは冬晴れの12月13日、埼玉県狭山市にある航空自衛隊入間基地での場面です。
訓練はこんな想定で行われました。ある外国で緊急事態が発生。そこで暮らす日本人が避難するため、現地にある在外公館(日本の大使館や領事館)の呼びかけである地点に集合。迎えに来た自衛隊の装甲車に乗り、出国用の自衛隊の航空機が待つ郊外の空港へ向かう――。
入間基地をその「空港」に見立て、訓練は進みます。
【午後2時ごろ】
基地に入った報道陣がまず案内されたのが、滑走路脇にある広々とした格納庫。一角に設けられた退避統制センター(ECC)が今回の訓練の中枢です。退避する日本人役の人たちを乗せて移動中の装甲車から送信される進行方向の映像が、大型モニターに映っていました。
装甲車の現在地が「1406(14時6分)、○○を通過」とアナウンスされるたびに、自衛隊員がホワイトボードに書き込んでいきます。
大型モニターに向き合う中央の三つの席には、今回の訓練を仕切る陸上自衛隊の司令官、航空自衛隊の副司令官と、外務省から参加する在外公館の責任者役が座り、刻々と入る報告をふまえて相談し、指示します。
【午後3時すぎ】
装甲車2台がECCに着きました。陸自が最近導入した輸送防護車MRAPです。地雷や待ち伏せ攻撃に強い構造で、1台で9人を運べます。降りてきた日本人役の十数人はヘルメットに防弾チョッキ。これから出国手続きなので脱ぐように、と陸自隊員が伝えます。
格納庫内では、一足先に別の場所から運ばれたという想定で、日本人役の人たちが、出国手続きについて空自隊員から説明を受けています。「セキュリティー・チェックにご協力下さい」「手荷物は1人1個、10キロ以下」「ペットは持ち込めません」……。
自衛隊の航空機に民間人が乗る際の制限はケース・バイ・ケースですが、今回は退避で一刻を争う状況なので、人間を多く早く運ぶことが最優先です。ペットとは泣き別れとなりましたが、「盲導犬は除く」とホワイトボードにありました。
日本人役で参加したのは計40人ほど。空自が持ち込んだ金属探知機を通り、荷物検査とボディーチェックを受けるとまた集められます。今後は陸自隊員が、航空機へ移動する際の注意事項を伝えます。「次の行動を手信号で示す場合があるので覚えて下さい。進め、止まれ、伏せろ」
自然災害であれ紛争であれ、国外脱出を迫られる状況ですから、空港でも何が起きるかわかりません。しかも旅行の時と違い、滑走路で待つ自衛隊の航空機まで歩くのです。日本人役の人たちも実は自衛官ですが、硬い表情で出発に備えていました。
【午後4時ごろ】
いよいよ出国で格納庫から航空機へ向かいます。第一陣は陸自の輸送ヘリコプターCH47へ、第二陣は空自の輸送機C130へ。
寒空に重いプロペラ音とエンジン音が響く中、日本人役の人たちはライフルを持つ陸自隊員に守られながら、百メートルほど歩いて乗り込みました。そこでこの日の訓練は終わりました。
そもそも、海外に暮らす「在外邦人」を退避させるために自衛隊が海外に行けるのはどんな時なのか、おさらいしてみましょう。
在外邦人の保護は外務省の仕事ですが、退避のために自衛隊ができることも最近増えました。かつては空路や海路を運ぶだけで、邦人に空港や港まで来てもらわないといけませんでした。
2013年にアルジェリアで日本企業関係者がイスラム武装勢力の人質になり、日本人10人が亡くなった事件を機に自衛隊法が改正され、陸上輸送も可能になりました。
さらに、2015年成立の安全保障関連法で自衛隊による「邦人保護」が認められ、武器使用が緩和されました。外国の領土で自衛隊が動き、外務省と協力して邦人を退避させることが法的には可能になりました。そのための訓練は1年前に始まり、今回で4度目を数えます。
流れとしては、ある外国で情勢が緊迫し、邦人退避に自衛隊を使う可能性が出てきた場合、自衛隊の先遣調査チームが送られ、その国の日本大使館などで協議します。実動部隊の派遣が必要となれば、外相が防衛相に依頼し、首相の承認を得て実施されます。
ただ、実動部隊の派遣には、相手国との関係で自衛隊法上の条件があります。その部隊の活動について、対象地域で「戦闘行為」がなく、相手国が了承し、相手国の軍や警察との連携が確保されるといったものです。
憲法との関係で自衛隊が紛争の当事者にならないようにするためで、今回の訓練もこの条件の下にあり、だから円滑な出国に欠かせない空港が確保できる訳です。
ただ、実際はそううまくいくでしょうか。
邦人退避のために自衛隊が必要になるのは、民間の航空機や船はもうあてにならず、自衛隊の航空機や艦船が待つ空港や港までの陸路も危ない時でしょう。そこまで緊迫している場合、実動部隊の派遣について、あるいは活動の最中に、相手国とまともなやり取りができるのかどうか。
実際、今回の訓練には、その国が混乱に陥ったことを想定して実動部隊がどう切り抜けるかといったメニューも盛られていました。自衛隊が邦人を迎えに行った一時集合場所が暴徒に囲まれてしまった場合や、そこから自衛隊の装甲車で移動中に道路がバリケードでふさがれていた場合の対応です。
そうした状況に本当に直面したら、憲法や自衛隊法に沿った活動が武器使用も含めて徹底できるのか、現地の指揮官はぎりぎりの判断を迫られるでしょう。
日本人約40人を助けるという今回の規模で訓練が続くのなら、アルジェリア人質事件のような局地的な事態への対処能力は高まるでしょう。ただ、朝鮮半島情勢が緊迫した時、韓国に住む日本人約4万人をどうするといった、より大きな事態への対応は困難です。
自衛隊の航空機や艦船、それらに運ばれる車両と隊員の数では、今回のような輸送や出国手続きに全く足りません。日本同様にその国に自国民が多い他国の軍と連携し、多国籍でECCをつくることも必要です。
自衛隊もそこは意識し、これまでの訓練を海外での他国軍との演習メニューに盛り込んだり、外国人の退避者も運ぶ想定にしたりしていますが、基本は「自衛隊が邦人数十人を助ける」といったシナリオです。
在韓邦人の退避では、自衛隊の活用はさらに厳しそうです。日本は「戦闘行為」が起きないうちに邦人を逃がしたいところですが、歴史的経緯から韓国でなお印象が良くない自衛隊の派遣は「余計に緊張と混乱を招く」(日韓関係筋)とみられています。
その意味でも韓国に軍が駐留する米国の支援が欠かせませんが、米国人も韓国に十数万人が住んでいます。しかも米軍も自衛隊も有事には北朝鮮への対応を迫られ、大規模な民間人の輸送は厳しくなります。
そもそも、そんな状況で現地の日本人をある場所に集めて自衛隊に引き渡すまでには、丸腰の在外公館職員もかなりの危険にさらされます。「日本人はなるべく自力で、早めに退避しておいてほしい」というのが、自衛隊や外務省にすれば正直なところでしょう。
自衛隊と外務省による4日間にわたる今回の訓練をふまえ、12月15日には「事後研究会」が開かれました。外務省の担当者は「実際に起きそうな事態に通用するのか検証し、次の訓練に生かす」と話します。その姿勢は心強いですが、喫緊の朝鮮半島情勢をめぐりどう生かされるのかは、なかなかイメージできないままです。
日本政府にとって、邦人退避に自衛隊をどう使うかといった話は秘密の固まりでもあり、また朝鮮半島のように外交・安全保障で機微な地域について、より説明しにくいことはわかります。
ただ、こうした訓練を国民にアピールするのなら、「特定の国を想定していない」「いざとなれば自衛隊がいる」といった建前を繰り返すのでなく、訓練の背景にある国際情勢や、自衛隊ができることの限界についても説明し、共有していくべきだと思いました。
海外で国民の命を守るため、どう動くかという話なのですから。
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