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「元中国人」国籍を変えてまで議員めざす理由「老人政治を変えたい」
歌舞伎町の案内人として知られる李小牧さん。中国人から日本人に国籍を変え、2015年の新宿区議選に挑戦しました。結果は落選でしたが、次の選挙での当選を目指し政治の世界に挑んでいます。「投票に行くのはお年寄り。若者が無関心」と嘆く李さんに、政治の世界から見えた日本について聞きました。
李さんは1988年に来日し、日本語学校やファッションの専門学校に通いながら、ラブホテルの清掃係やティッシュ配りもしました。
その後、ファッション雑誌の記者、作家、レストランの経営者など様々な職業を経験。中国版ツイッターの微博では「新宿案内人李小牧」というアカウントを持ち、22万人近くのフォロワーがあります。
長く夜の世界で生きてきましたが、2015年4月の新宿区議選で日本人に帰化をして立候補。結果は400票差での落選でした。
帰化を決断した李さん。国籍問題で揺れた蓮舫氏には批判的です。
「政治家なら個人の利益を犠牲にするまで国益を守るべきです。蓮舫氏は正反対でした。リーダーとしての資質がないと思いました」
李さんが書いた批判記事はネット上で拡散しました。民進党員としての発言でしたが、党からの「おとがめ」はなかったと言います。
「民進党からの嫌がらせや、離党の押しつけなどは一切ありませんでした。これも日本の民主主義ですね」
日本の政治の世界に入った感想は、どんなものだったのでしょう?
「日本の政治はやはり『老人政治』だと思います。投票に行くのはお年寄りで、若者たちが政治に無関心です」
なぜ、若者が選挙に関心を持たないのか?
「内向き志向で、生の政治を学ぶ機会がないことが理由」だと言います。
中国では「共産党のコントロールで当選者がすでに決まっている」ため、選挙権を持っていなかったという李さん。今、日本人となって選挙権も被選挙権も持っていることに「大きな感銘を受けている」と語ります。
日本の若者に対しては「もっと若者の声を出したい。出してもらいたい。若者は国家の未来であり、国家の宝物です」と訴えています。
李さんは2004年から「ニューズウィーク日本版」でコラムを連載しているほか、多くの著書も日本語で出しています。
中国では中学校2年で中退し、正式な学歴は「小卒」しかなかったという李さん。
「歌舞伎町は私の大学です。私はここを『歌大』と呼んでいます。ここでの生活をよく観察することで、たくさんのことを得てきました」
これまでの人生では、たくさんの苦労と挫折を経験してきましたが「楽観的な態度で生きています」と話す李さん。
「今まで会ってきた人や経験したことは、すべて我が師です。ホスト、ホステスからは、サービス精神というものを勉強しました。また、いい意味での八方美人というか、多種多様な文化や人種への対応も学んできました」
今は、香港のテレビ局、フェニックステレビの人気トークショー「鏘鏘三人行」に出演するほか、北京にも会社を作り、映画や出版に携わっています。
「選挙にはお金も人手も時間も必要です。まずはお金も稼がないといけない。北京での事業や、レストランも経営しながら、選挙資金を捻出しています」
目標は、2年後の新宿区議選です。2015年4月の選挙では、投票日が帰化した2カ月後という短期間だったため、準備不足が響いたと言います。
区議になって取り組みたいことは、大きく三つあるそうです。
(1)2020年の東京五輪で外国人ゲストを「おもてなし」できる新宿に
(2)「ホスト・キャバ嬢の社会的地位向上」
(3)「外国人住民と日本人住民に相互理解」
具体的には「世界に向けて新宿の情報を発信し、外国人観光客を招き、また2020年東京オリンピックで区公認のガイドが外国人を迎える」。
そして「『しんじゅく(仮称)グローバル会議』を設立し、新宿に住む日本人と外国人の交流を進める」。
また「飲食店従業員の地位向上、ネオン街でまじめに働く人たちの暮らしを助ける」ことも掲げています。
歌舞伎町で多くの外国人と接してきた経験をいかして「新宿からの情報発信を続け、外国人との困り事・トラブル解決に取り組んでいきたい」と意気込みます。
「将来的には、国会議員になり、日中友好に貢献したいです」と語る李さん。
現在のぎくしゃくした日中関係には中国の一党独裁と民主主義の不十分が原因の一つと見ています。
「自分が政治家になることで、中国に民主主義を見せ中国の民主化を促進することで、民主主義国家同士の対話で問題を解決していきたい」
その一方で「本当の日中友好ができれば、議員をやらなくてもいいかもしれません。その時は多面的な社会活動家をしたいです」とも語っていました。
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