お金と仕事
「給料格差ツイート、狙ってやった」 日本捨てる若手学者の危機感
一橋大学をやめて香港科学技術大学に移籍する経済学者が、理由を「給料です」とツイートして話題になりました。その真意を伺いました。
お金と仕事
一橋大学をやめて香港科学技術大学に移籍する経済学者が、理由を「給料です」とツイートして話題になりました。その真意を伺いました。
「じゃあ何が違うのかというと、あれですね、給料です」。一橋大学から香港科学技術大学に移籍する講師、川口康平さん(34)がツイートした移籍理由が4月中旬、話題になりました。1000回以上リツイートされ、反応などを盛り込んだTogetterまとめは30万回以上見られています。実は「議論を起こしたい」と、半年前から考えていたというこのツイート。その真意を、ご本人に伺いました。
香港科技大は近年シンガポール国立大学の後塵を拝しつつあるものの長らく経済学ではアジア太平洋地域のトップ校で,大学総合ランクでも2015年のTHEでは東大を上回っています.とはいえ,研究環境面で一橋が特別負けているとは思いません,じゃあ何が違うのかというと,あれですね,給料です.
— Kohei Kawaguchi (@mixingale) 2017年4月12日
川口さんは、企業が行う情報処理がどう業績に反映するかなどを研究する経済学者。一橋大学大学院経済学研究科で2015年から、5年の任期で一定の業績を上げれば任期の制限がない講師になれるテニュアトラック講師を務めています。8月1日付けで移籍する香港科技大でも同じ立場です。
4月12日、教授会に報告した後にツイッターで移籍を表明。こうつぶやきました。
今日の教授会で報告したので公表しますが,実は,今年度の春夏学期を最後に8/1付けで一橋大学経済学研究科から香港科技大学ビジネススクール経済学科に移籍することになりました.ランクは今と同じテニュアトラックAssistant Professorです.
— Kohei Kawaguchi (@mixingale) 2017年4月12日
続くツイートでは
さらに、年収の1割を払えば100平方メートルの宿舎と駐車場が与えられ、大学内に保育所まである、というすごい環境。川口さんは「ツイートの通り、僕はせいぜいの中の上の研究者で、特別すごい条件が示されたわけではありません」と言います。
川口さんは以前、香港科技大のセミナーに参加した縁で移籍を打診されました。正式に決まったのは昨年9月です。
「今回のツイートはそのときから考えていました。議論を呼び起こそうと思ったのです。研究者として数字を出した議論をするため、そして注目を得るため給料を強調しました」
社会に問いたかったのは「大学の経営マインドの問題」でした。
経済学の世界では、頭脳流出はかなり前から始まっているそうです。出身の東京大学大学院の修士課程は「留学予備校とも言われ、ほぼ全員が博士課程での留学を目指します。そして、かなりの人が海外で就職し、帰って来ない」とのことです。
そして昨年度は、国内の若手トップと言われる研究者2人がアジアの大学に移籍したといいます。
「日本の国立大学は、本当なら、手放したくない人材によそからのオファーが来たらカウンターオファーすべきです。給与制度全体を変えられなくても、その人の等級をぐんと上げて高い待遇を示すとか。できるはずなのに、しない」
大学教員の仕事での研究と教育、事務のバランスについても、同じ思いを持っています。
「講義が得意な人には講義を多く任せ、研究が得意な人には講義の負担を減らす。それができれば、大学全体のパフォーマンスが上がるのに、そうなっていない。一橋大の中で論文の執筆数などのデータを見ても、それは明らかです」
日本の国立大に職を得て2年。大学の経営陣が、文部科学省からの運営資金を得るためにキャッチコピーづくり的な事務作業を優先する一方で、限られた資金の中で現場を最適化する経営に目が向いていない、と感じています。
教員からのボトムアップで改革をしようにも、議論も起こらない。そこで、自らの移籍を奇貨として議論を呼び起こそうとしたのが、一連のツイートでした。
ネガティブな反応もありました。「日本の平均所得より多くもらっているのに何を言っているんだ」や「日本経済を救えない経済学者の給与がよそより低いのは自業自得」などで、「頭脳流出させない大学経営」というテーマとずれたものが多かったそうです。
「拡散の規模や反応は、だいたい予想通りでした。ただ、予想が違ったのは、ポジティブな反応が多かったこと。半分程度かと思っていましたけど、7割ぐらいでした。経済学者なのに感覚的な数字で申し訳ないですが」
では、成功だったのでしょうか?
「失敗ですね。残念ながら、この件で大学からのヒアリングはありませんでした。すぐに動かない課題は実現しませんから、このツイートではなにも動かなかったということです」
それでも川口さんは諦めていません。一橋大の学生への教育内容とその後の学生の活動の関係を調べる計画を同僚と立て、移籍先の香港でも許されれば続ける予定です。「大学の経営に資する実用的なデータになるはずです」と話します。
経済学の頭脳流出について、川口さんは深刻に受け止めています。シニアの重鎮に数千万円クラスのオファーが来るとのうわさも聞きます。「そうした人がいなくなると、学生に留学の推薦状が書ける人がいなくなる。すると、世界の一線に行ける日本人がいなくなり、日本人経済学者がいなくなる恐れがあります」
頭脳流出は経済学だけではありません。
「理系なら企業への流出もあるでしょう。しかし、やはり大学に優れた研究者がいることは大切。すぐ役に立たなくても、既存の理論で対処できない課題に新たな解決策を示す研究者は、社会に必要です。そのために、大学にはもっと経営的に動いて欲しい」
川口さんの歯に衣着せぬ辛口トークが、取材していて非常に刺激的でした。議論を呼び起こそうと「半年前から狙っていた」というこのツイート。問いかけたのは、単純な「日本の先生、給料安いんじゃない?」という問題意識ではなく、もっと構造的なアカデミアの課題でした。
経済学以外の世界でも「頭脳流出」や「大学の経営マインド」を巡る課題はいろいろあるんだと思います。皆さんの身近なところではどうですか? 学者さん以外の方でも思うところがあればぜひ。ご意見は取材リクエストにお寄せください。
1/40枚