IT・科学
被災地でドローンを飛ばすということ「戦慄の風景」と「未使用写真」
東日本大震災から6年が経ちました。朝日新聞のカメラマンが所属する映像報道部では今年、東北の被災地取材では初めての試みをしました。ドローン(小型無人飛行機)による撮影です。津波と同じ高さから伝わってくる戦慄。同時に感じた「物足りなさ」。ドローンを飛ばして考えた被災地報道を振り返ります。(朝日新聞映像報道部・越田省吾)
震災後間もない時期、がれきに埋まった街の空にドローンが舞っているのを見た記憶があります。報道というより記録用に個人の方が飛ばしているようでした。
いつか自分がプロポ(操縦用の送信機)を握るとは、その時は想像もしませんでした。「カメラマンたるもの、ファインダー越しに被写体と向き合ってこそ」という、古風な「自負」があったからかもしれません。
その後の数年で機体は長足の進歩を遂げ、飛行時間やレンズの解像力が取材現場の要求を満たすようになりました。同時に、手探りで進めてきた我々の訓練や取材実績も少しずつ積み上がってきました。
「いまならやれる」
ドローン班のメンバーが自然にそう思えるようになったのが、今回の「3・11」でした。
東日本大震災6年に向けた事前の記事や、別刷り震災特集ページの撮影にドローンを投入することは決まったものの、そこからは戸惑いの連続でした。
・どこで飛ばすのか?
・申請の段取りは?
・どう撮るのか?
・そもそも本当にドローンが必要か?
日ごろからつぶさに被災地を見ている仙台駐在のカメラマン、東北各県の総局記者からもアイデアを募り、まずは取材候補地をリスト化しました。
候補として挙がった約20カ所を、岩手、宮城、福島の県ごとに担当を決めてロケハンに出かけたのは、1月中旬のこと。通常の地上取材より根回しに時間を要することを思えば、決して早いとは言えません。
下見の段階で、私たちは次のことを重要視しました。
・安全性を確保できる場所なのか
・そこで暮らす人たちの心情に反しないか
・ドローンならではの高さが生きる現場か
結果、約15カ所で取材に着手しましたが、簡単な現場はひとつもありませんでした。
思わぬ伏兵でした。
同僚が岩手県山田町で撮影中、カラスの襲撃を受けました。標的になったのは、取材者ではなくドローンの機体です。
形こそ四角いものの、大きさはカモメぐらいです。白くてヒラヒラと舞う物体が敵やエサに見えたのか、上空から突然急降下してきました。反射的に機体を前進させ、すんでのところで攻撃をかわしましたが、一瞬遅ければドローンもその鳥も無傷では済まなかったはず。予想外の危険要素に気付かされる出来事でした。
ドローン空撮は緊張の連続ですが、いざ飛ばした時に広がる新しい光景にはいつも発見があります。
津波からの避難誘導にあたった職員を含め、43人が亡くなった宮城県南三陸町の防災対策庁舎を取材したときのこと。襲来した津波と同じ高さ15.5メートルまで機体を上昇させ、カメラごしに周囲を見回しました。地上で操縦している自分らがずいぶん小さく見えます。
「まさかここまで波が…」と戦慄(せんりつ)を覚える光景でした。
さらに高度を上げてゆくと、6年前とはすっかり変わった街並みがそこに広がっていました。膨大な量の土砂が整然と盛られ、茶色の濃淡で街を塗りつぶしています。
被災地以外ではまず見ることのない、無機的な景観に胸がつかえるような気持ちがしました。
報道用のヘリや飛行機を使ってある地点を空撮する際、先方に対して事前にお知らせすることはあっても、いわゆる「取材申請」を求められることは、ほぼありません。
ではドローンも同じかというと、そうではありません。機体が離着陸する場所の地権者、撮影対象となる場所や建物の所有者・管理者には少なくとも取材の意図を説明した上で、必要であれば申請もします。
規制条例を設けている自治体も出始めている一方で、明文化されていない場合も多いのですが、私たちはまずこの手順を踏むことにしています。
同じ「空撮」なのに何が違うのか?
安全性や倫理的な運用などの面で、取材ツールとしての信頼性がまだ確立されたとは言えないからかもしれません。手軽さゆえ、使い方によっては危険にもなるし、プライバシーを侵害することだってあり得ます。
そういった不安を与えないためにも、思いつく限りの当事者に話を通してから飛ばそう、というのが私たちのスタンスです。
「おお、なるほど。でも欲を言えば…」
被災地各所をドローン撮影後、写真を並べて取材班で話し合いました。朝日を浴びてりりしく立つ「奇跡の一本松」、震災直後の様子を生々しく伝える南三陸町防災対策庁舎…。地上取材で一度は見たことのある場所が、見慣れない視点から切り取られています。
ドローンの投入に一定の価値を見いだす一方で、どこか物足りなさを感じる自分もいました。このモヤモヤの正体は何なのか?
人間です。そこに暮らす人たちの思いに触れずして、取材を終えるわけにはいかない。
撮影候補地にゆかりのある人を探し、再取材を試みました。そのうちの一つ、気仙沼向洋高校では、同校のご協力で卒業生を紹介して頂きました。震災当時2年生だった彼は、無残な姿で残る母校に足を運び、取材に応じてくれました。
あの日のこと、それからの6年のこと、これからの自分のこと…カメラの前でとつとつと語ってくれました。この回、紙面で使われたのは地上で撮った写真でした。
「鳥の目=ドローン」でしか撮れないもの、「虫の目=一眼レフ」がなければたどり着けないもの―。
その両方が効果的に補い合うとき、これまで以上の説得力を持った記事を送り出せるのでは、と気付かされた今年の被災地取材でした。
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