エンタメ
直虎の運命、過酷すぎ! フィアンセ失踪・出家・謀殺…大河主人公
「真田ロス」などの言葉を生み、終盤「赤備え」での合戦シーンが話題となった2016年大河ドラマ「真田丸」。しかし、「赤備え」といえば、なんといっても、徳川四天王の一人であり、戦国末期、戦場で「井伊の赤鬼」と恐れられた井伊直政だ。その直政の後見人と伝えられるのが、2017年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公「直虎」。史実には、あまり残っていない彼女の「過酷すぎた人生」とは?
柴咲コウが演じる井伊直虎は遠江・井伊谷(現在の浜松市)の領主、井伊直盛の一人娘。大河ドラマでは「おとわ」の名前となっているが、娘時代の名前は伝わっていない。生まれ年は不明だが、1536年前後との説も。
幼いころ、父の従弟である亀之丞(井伊直親)と婚約する。けれども亀之丞は、その父・直満が今川氏に殺されると、身を隠すため、行方知れずに。許婚の消息もわからない状況を嘆いて、直虎は出家、「次郎法師」と名乗る。
その約10年後(1555年)に、直親は井伊谷に戻ってくるも、直虎の父・直盛が桶狭間の戦い(1560年)で戦死、1562年には直親が今川方に謀殺される。
さらには1563年、唯一残った成人男子である直虎の曽祖父・直平も出陣中に没する(毒殺の疑いも)と、井伊家の継ぐ男子としては、直親の子であるわずか2歳の虎松(後の直政)のみとなった。そこで、中継ぎとして当主の座につくのが、直虎だ。
1565年に、当主の座についたあとは、井伊家をつぶしにかかってくる今川家から必死で井伊家を守ったり、家臣に領地をのっとられたり、取り返した領地を今度は武田信玄に奪われて徳川家康の城に逃げ込んだり、数多くの困難に見舞われた。
それらを乗り越え、1575年、15歳となった直政の、徳川家康への出仕がかなうと、ようやく直虎はひと段落。やがて直政は着々と武勲を重ね、その直政が元服した1582年に直虎は没する。
その直虎の元許婚が、大河ドラマでは三浦春馬演じる井伊直親だ。1535年に井伊谷で誕生、1544年に父親が今川義元に殺害されたために、10年近く逃亡生活を送ることに。
井伊家の家来でありながら今川方に通じていた小野政直が1554年に亡くなったことで、翌年、井伊谷に戻ってくる。1560年、養父であった直盛(直虎の父)が、桶狭間の戦いで戦死、家督をつぐ。
だが、1562年、政直の子、小野政次の陰謀により、今川勢に殺害される。
直親を今川家に殺害されるよう仕組んだ小野政次(道好とも)。大河ドラマでは高橋一生が演じる。井伊家の家老を務めた小野政直の息子だ。
だが、この大河では、直親ともども小野政次も今川家の陰謀に陥れられたという設定の模様。直虎、直親、小野政次の幼なじみ3人だが、戦国時代の過酷な状況のもと、仲を引き裂かれていく。せつない三角関係が描かれるかも、との予測も。
ちなみに、直親の子どもが井伊直政。15歳で家康に取り立てられると、数々の戦で武勲を重ねる。
武田家滅亡後は、武田の旧臣を組み込んで「赤備え」を引き継ぐよう家康に命じられた直政は、数々の戦場で「井伊の赤鬼」と恐れられる。小田原攻めでは、唯一、小田原城まで入り込んだ武将としてその名を轟かせたことも。
また、単に武勇に秀でていただけでなく、政治交渉の手腕も優れていた。とりわけ関ヶ原の戦いでは、黒田長政を徳川勢に引き入れることに成功するなど、軍事・政治の両面から徳川家を支えた。
関ヶ原の戦いの戦功により、西国ににらみをきかす地である彦根を拝領。その後、井伊家は徳川家の譜代家臣の中でも筆頭の30万石という繁栄を誇った。
ただ、直政は、関ケ原の傷がもとで1602年にわずか41歳で亡くなっている。
1/13枚