IT・科学
中国を動かした、500万フォロワーの実力 陳情妨害をテキスト中継
「マスメディアで調査報道をして、記事を書いても、これほどの結果は得られなかった」
IT・科学
「マスメディアで調査報道をして、記事を書いても、これほどの結果は得られなかった」
報道の規制が厳しい中国ですが、最近では、ネット上で大きな影響力を持つ人が現れています。中国版ツイッター微博(weibo)で「全国紙級」と言われる500万フォロワーを誇る鄧飛さん。誘拐された子どもたちを救う活動や、ランチを無料で提供する運動などに携わっています。「フォロワーは知人だけ」だったアカウントが、政府も無視できない存在になったのはなぜか? 中国屈指の発信力をどのように使うつもりなのか? 鄧飛さんに聞きました。
かつて、微博に次のような広告文が載ったことがあります。
「フォロワー100人は自己満足。1000人超えたら掲示板。10万超えたら都市新聞(日本の地方紙かローカル新聞に相当)。100万超えたら全国紙・・・」
中国で最も部数の多い新聞『参考消息』は300万部あります。一方、ネット上には数百万のフォロワーを持つ有名人が3000人以上いると言われています。Verify(認証アカウント)の「V」をとって大V(オピニオン・リーダー)と呼ばれるインフルエンサーは、世論形成に無視できない存在となっています。
大Vには、芸能人など、テレビや新聞のようなマスメディアでの露出が多い人が少なくありませんが、ネットの中だけで有名になった人も数多くいます。
500万人を超えるフォロワーがいる鄧さんは、雑誌記者をしながら、子どもの貧困対策など様々な慈善事業に関わっています。
鄧さんがアカウントを開設したのは2009年です。最初、フォロワーは知り合いや友人だけで数百人程度でした。雑誌『鳳凰週刊』の記者として、10年以上、調査報道に携わってきた鄧さん。微博で取材のこぼれ話などを書き込むと、フォロワー数は徐々に増え、5000人前後になりました。
5000人は十分な数字に見えますが、人口の多い中国では、一般人でもそれくらいのフォロワーを持つ人がいます。
フォロワー増加の最初のきっかけは、2010年9月でした。
不動産開発をめぐり、地元政府の立ち退き命令に抗議して市民が焼身自殺を図った「宜黄事件」が起きました。自殺が起きた後、遺族が北京へ陳情の直訴に行くことを決断。ところが、空港で地元政府の妨害にあい、とっさに女性トイレに身を隠したのです。
鄧飛さんは「女性トイレでの攻防戦」(昌北机场女厕攻防战直播)というタイトルをつけ微博でのテキスト中継を始めました。中継は大きな注目を集め、フォロワー数は5万人に急増しました。
次のきっかけは、2011年初頭。鄧飛さんは、誘拐された子どもたちを救うため、微博を活用する取り組み「微博打拐」に参加します。
自分のタイムラインに、誘拐された子どもの写真をアップしたところ、ユーザーから情報提供があり、最終的に子供が無事に救出されました。同時に、フォロワー数も15万人に増えました。
そして、最も大きかったのは、鄧飛さんが始めた「免費午餐」(フリーランチ)運動です。2011年にスタートしたこの運動では、農村部の貧しい子どもたちに昼ご飯を無料で提供しています。
都市部との経済格差が問題化していた中国で「フリーランチ運動」は多くの注目を集め、各地で広まります。鄧飛さんのメッセージは多くの人にシェアされ、フォロワーは500万人を突破しました。
「リアルタイムで多くの情報を送信できる微博は、情報の拡散スピードも凄まじかった」
鄧さんは、フォロワーが急増した時の様子を、そう語ります。共感した人が、寄付をしてくれたり、ボランティアの手伝いを申し出てくれたりするなど、雑誌記者では考えられなかった動きが生まれました。
「マスメディアで調査報道をして、記事を書いても、これほどの結果は得られなかった。微博では、自分のメッセージに共感する見知らぬ人々が次々と現れた。それは、マスメディアにはない大きな喜びと達成感だった」と振り返ります。
微博の出現によって、中国の人々は、世の中への「メガホン」を手に入れたといえます。政府や公務員は、微博上でむしろ「弱い立場の人々」になったのです。人々はそんな微博の魅力に引き寄せられ、急速にユーザーが拡大しました。
その後、政府のネット規制は厳しくなりましたが、すでに開けられたドアを閉めること、つまり微博自体はなくすことはできない存在になっています。
微博でも、記事内容によっては転載ができなくなったり、コメントが書き込めなくなったりするなどの規制を受けており、完全に「自由」な空間ではありません。しかし、鄧さんの活動は「微公益」という新たな言葉を生み出したと言われています。
これまで、慈善活動は、フェイ・ウォン(王菲)さんやジェット・リー(李連傑)さんのような有名人でなければ、実行できませんでした。今は、微博というプラットフォームで、一般人が大きな力を持つことができるようになりました。
「フリーランチ運動」のリーダーになったことで、鄧さんの日常は激変しました。中でも一番の心配事は「多忙のため、家族と一緒の時間がなかなかとれなくなったこと」だと言います。
運動を通して、現代の中国を変えるために必要なことも見えてきたそうです。
「政府はすべてのことができるわけではない。できない部分に関しては、一人一人の市民が力を出して補完しなければならない」
鄧さんは、権力の監視と同時に、社会を変えるために人々の潜在能力を引き出すことが大事だと訴えます。
「文句を言うだけでなく行動が必要だ。批判だけでなく責任を担う」
「フリーランチ運動」は、中央政府にも注目され、公的支援を受けるまでになりました。
今は農村部の特産品をネット販売する「e農計画」を進めています。農村地域に就職の機会を提供することで、出稼ぎ労働者の親を農村に帰らせ、留守児童問題を根本から解決することをめざしています。
会社の理解も鄧さんを後押ししています。鄧さんは、ここ数年、記事は一本も書いていませんが『鳳凰週刊』から給料を支給されています。今後も編集委員として籍を残すそうです。
1/20枚