お金と仕事
天龍の受け身に涙…プロレスという生き方が、こんなにも刺さるなんて
大人になって、プロレスにはまりました。イケメンレスラーの台頭で、プロレスは今や女性の間でも人気で、「プ女子」なんていう呼び名もついてます。でも、自分が「プ女子」かと言われると、なんとなく違和感があります。私がプロレスにはまったのは、きっと、いろんな意味で「受け身」が必要とされる「プチ・中間管理職」になったから。(朝日新聞東京社会部記者・宮嶋加菜子)
今39歳。「キャップ」という名のもと、先輩や後輩の記者たちとチームを組んで仕事をすることが多くなりました。これまで1人で取材して一本の原稿を書くことが多かったのですが、チーム取材では、より良い原稿にするために、意見を交わし、議論を深めることが不可欠です。
当然のことですが、思い入れが強ければ強いほど、意見が対立することもある。「これを書きたい」という記者の思いは、記者にとって「必殺技」です。限りある紙面スペースの中で、いかに伝えたいことを分かりやすく書ききるか。原稿の中の一文を削るか、削らないか。記者は皆、大事な原稿のために、必殺技を繰り出してきます。
そして、その必殺技から逃げていては、チームは成り立ちません。分かってはいるものの、うまく相手の思いをくむことができず、凹むことが多くなっていきました。
そんなこんなで悶々としていた昨年11月、引退興行を控えた「ミスター・プロレス」こと天龍源一郎さん(65)の取材で、1人娘の嶋田紋奈(あやな)さん(32)に出会いました。
天龍さんと言えば、大相撲で前頭筆頭まで務め、逆水平チョップ、パワーボムといった必殺技を繰り出し、ジャンボ鶴田(故人)、藤波辰爾さん(61)、長州力さん(63)らとともに、1980年代のプロレス人気を牽引。入場曲の「サンダー・ストーム」の哀愁漂うメロディーを聞くだけで涙を流す人も多いはずです。
紋奈さんは中学生の時から、リング設営や音響を手伝うようになって、所属団体を変えながらも、故・三沢光晴さん、高田延彦さん(53)、棚橋弘至さん(39)といった時代を代表するレスラーとリングで戦い続けた父の姿を見続けてきました。
紋奈さんは、プロレスが教えてくれたことがある、と言って、こう続けました。
「プロレスは相手の必殺技を逃げずに受け止める競技なんです。相手の全力の技を受けて受けて、受け続けて、倒れて立ち上がった先に勝利がある。それは人生と同じだと思うんです。相手の人生から逃げずに、受け止める勇気を、父は私に教えてくれました」
この言葉を聞いたとき、自分がまさにリングに立っているような気持ちになりました。
天龍さんの引退試合は、ゆかりの両国国技館で行われました。相手は、新日本プロレスのエースでIWGP王者(当時)のオカダ・カズチカさん(28)。
痛めた腰にはベルトを巻き、全盛時代とは比べものにならないけれどもパワー・ボムを決める天龍さん。オカダさんから強烈なドロップ・キックを何度も何度も決められ、リングに突っ伏しても立ち上がり続ける天龍さん。最後はオカダさんの必殺技「レイン・メーカー」を完璧に受け、リングに沈みました。
満場の観客は、みんな泣いていました。私も、カメラレンズをのぞきながら、泣きました。プロレスに自分の人生を重ねる日が来るとは、想像もしていませんでした。
プロレス・ファンあるあるも、いくつか身につき始めました。例えば……。
▼毎週日曜未明のプロレス番組では、オープニングテーマに合わせて手拍子する
▼コンビニで週刊プロレスの表紙写真をチェックする
▼写真撮影では武藤敬司さん(53)の決めポーズをとる
▼試合開催日を「1月4日」と言わず「イッテンヨン」と言う
▼渋谷など人混みの中を歩くときは、長州力さんの入場曲が頭の中に流れる(長州さんの入場シーンと言えば、熱烈なファンの人混みをかき分けて、なので)……
上級者は、うがいの時に、ザ・グレート・カブキさん(67)の必殺技「毒霧」(赤い液体を相手に拭きかける技です)を真似たり、挨拶がてらに胸に逆水平チョップをしたりするんですが、私はまだそこまでいっていません。
今、とても気に入っているのが、新日本プロレスの現IWGP王者、内藤哲也さん(34)が小憎らしく言い放つ決めぜりふです。
「トランキーロ、あっせんなよ!」。
スペイン語で「焦るなよ」を意味するらしいのですが、職場で締め切りに追われているとき、心の中でこの言葉をつぶやくと、なぜかリラックスできます。
まだまだ「受け身」は身についていませんが、プロレスを知って、人生が豊かになりました。今日も仕事、頑張ります。
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