話題
地図には決して載らない…中国の最重要エリア「中南海」どんな所?
日本の首相官邸、アメリカのホワイトハウス、韓国の青瓦台、ロシアのクレムリン…権力の中枢はその国の「顔」です。その多くは見学が可能ですが、中国の政治の中枢である「中南海」は、高い城壁で閉ざされ、建物の写真もほとんど公開されず、地図さえもありません。未知なベールに包まれている「中南海」とは、一体どんなところなのでしょうか。
地名のような「中南海」という名前ですが、実際に二つの「海(モンゴル語の湖)」である中海と南海の名前が由来になっています。北京の紫禁城の西側に位置し、100万平方メートル以上の広さがあります。その約半分は湖で占められています。
ちなみに北京には多くの「海」があります。中海と南海のほかに、「北海」「前海」「後海」などがあり、「北海公園」や「後海」の旧市街地などは、観光名所になっています。
北京は金・元・明・清という四つの王朝の首都でした。中海と南海周辺は景色がよく、「御苑」として歴代の皇族が所有してきました。清王朝の光緒皇帝(1871~1908)は、戊戌(ぼじゅつ)の変法の失敗後、西太后に中南海の「瀛台」という宮殿が建てらている島に幽閉されています。「中南海」を舞台に様々な権力闘争が繰り広げられてきました。
清王朝が滅びた後も、中南海は国家の重要機構として存在し続けます。今は、中国共産党の中央委員会、中華人民共和国国務院、中国共産党中央書記処など、党と国家の中枢機関が入っています。
正門は「新華門」と言います。正門を通して見られるのは毛沢東が書いた「為人民服務」という金色の文字です。「瀛台」以外にも、「紫光閣」「勤政殿」「蕉園」「水雲榭」「豊沢園」「静谷」など、有名な建物が数多くあります。「紫光閣」は外国の要人が接待される場所になっています。
「中南海」は、最高指導者たちの住居でもあります。建物は明と清王朝時代の古風な様式です。近代的な建築ではありませんが、天井が高く、夏は過ごしやすいと言われています。
何より、2000万人を超える巨大都市北京市内の中では、格段に環境がよく、夫が亡くなった後も引っ越さない元指導者の未亡人がいると言われています。
「中南海」で最も有名な建物は、毛沢東が住んでいた「豊沢園」です。毛沢東は木の板のベッドを好み、指導者として「中南海」に入った時に用意された豪華なベッドを使わず、木の板のベッドを使い続けたと言われています。
毛沢東の死去後「豊沢園」は、そのまま保存され、ほかの人は住んでいません。今も、その半分が書籍で埋め尽くされているという木製のベッドが、展示されているそうです。
「中南海」は、一時期、公開されたことがあります。1980年代、「改革開放」と伴い、豊沢園、菊香書屋、瀛台、静谷などの景観が一般公開し、週末などには見学する大衆で賑わいました。
しかし、1989年に学生運動が盛り上がり、その後、天安門事件が起こったこともあり、非公開になりました。
中国の歴代王朝の歴史を伝える重要な文化財ということもあり、近年再公開を呼びかける声が上がっています。2008年の北京オリンピックの開催時には、北京市の旅行観光局が「中南海」の見学ツアーを提案しました。
現在のところ、一般公開の予定はありません。世界中からその動向が注目される中国、その最重要エリアの一つである「中南海」が公開される日が来るのでしょうか?
1/7枚