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柳原良平さん死去 トリス通して庶民描く みなとみらい愛称選定も
84歳で亡くなった柳原良平さん。高度経済成長期の日本を、庶民的なサラリーマン「アンクルトリス」を通して描きました。
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84歳で亡くなった柳原良平さん。高度経済成長期の日本を、庶民的なサラリーマン「アンクルトリス」を通して描きました。
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柳原良平さんが17日、亡くなりました。84歳でした。多くの人に愛された「アンクルトリス」は、高度経済成長期の日本を、庶民的なサラリーマンを通して描こうという思いがありました。そこから生まれた有名なキャッチコピーが「『人間』らしくやりたいナ 『人間』なんだからナ」でした。
1931年東京で生まれた柳原良平さん。大学では商業デザインを学び、アルバイト先の縁で寿屋(現サントリー)宣伝部へ入ります。そこで1958年、当時会社の仲間だった作家の開高健さん、山口瞳さんらと「アンクルトリス」を世に送り出しました。
2003年7月のインタビューで、柳原さんは当時の製作の様子を次のように語っています。
「手先はそう器用じゃないんですよ。車の運転もできない。筆だときちっと描くのが大変でしょ。カミソリで切れば、パシャーッと鋭い線になる。一番ぼくらしいのが、切り絵。今も片刃のカミソリです」
柳原さんは、アンクルトリスを通じて、高度経済成長期に日本を描こうとしました。寝床の電気のスイッチを入れて布団を敷く、部屋を歩くと積んだ本がバシャッと倒れる……。人間らしさを表現しようと、CMでは日常的な動きにこだわりました。
アンクルトリスの人物像については「正義感があるけどずぼらだったり、まじめだけどエッチな想像をしたり。要するにいろんな要素」と明かしています。
地味なスーツに、あいきょうのあるしぐさと表情で酒を飲み、顔を赤くする。まさに、当時の庶民的なサラリーマンでした。
その象徴が「トリスを飲んでHawaiiへ行こう!」のコピーです。山口瞳さんのコピーが大ヒットし、シェアは60%を突破しました。その後、ハワイは日本人の憧れの観光地になります。
柳原さん1981年、横浜市の「みなとみらい21」の愛称を選ぶ委員をつとめました。「横浜は港だけの都市ではない」という市当局に、「やはり横浜は港町」と譲りませんでした。選考委員の一人、作詞家の阿木燿子さんは、「柳原さんがみなとみらいを拾い上げて、強く推した」と述べています。
「しし座、O型の末っ子で、くよくよしない性格。煮詰めて描こうとしても暗くならなくて……」と自作について話していた柳原さん。1995年8月、63歳の時のインタビューでは、アンクルトリスについて「あんなハゲ頭、似てない。そう思ってた。でも、六十過ぎて私の方が近づいちゃった」と語っていました。