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沖ノ島、今も戦争の跡 世界遺産候補「神の島」に砲台、古木も伐採
世界遺産候補に内定した福岡県の沖ノ島。戦争中、「神の島」には旧陸軍の砲台が作られ、旧海軍の施設もありました。
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世界遺産候補に内定した福岡県の沖ノ島。戦争中、「神の島」には旧陸軍の砲台が作られ、旧海軍の施設もありました。
世界遺産候補に内定した福岡県の沖ノ島。女人禁制や島に入る前のみそぎなど、厳格なしきたりが守られています。しかし、戦争中、「神の島」には旧陸軍の砲台が作られ、旧海軍の施設もありました。「祭神にお詫(わ)びしたい」。元軍人の中には、戦後、苦しい胸中の明かした人もいました。
沖ノ島は、福岡県宗像市の沖合約60キロの玄界灘に浮かぶ周囲約4キロの孤島です。4世紀後半~10世紀初頭の大和王権による祭祀遺跡が確認されています。朝鮮半島製の金の指輪や中国製の金銅製竜頭など豊かな国際色から「海の正倉院」とも呼ばれています。
2015年7月、2017年の世界文化遺産の登録を目指す候補として、「『神宿る島』宗像(むなかた)・沖ノ島と関連遺産群」を推薦することを、文化審議会が決定。政府は9月末までに暫定版の推薦書をユネスコ(国連教育科学文化機関)に提出し、閣議了解を経て、2016年2月1日までに正式な推薦書を出すことになっています。
沖ノ島では、今も様々なしきたりが守られています。島に入るためには、冬でも、衣服を脱ぎ、首まで海に入って禊(みそ)ぎをしなければなりません。島は女人禁制で、女性は入れません。島内で見聞きしたことを、島外に漏らすことも禁じられています。さらに、一木一草も持ち帰ることは許されません。
「神の島」とも言われる沖ノ島ですが、日露戦争の時には、近くの海域でバルチック艦隊と日本海軍が衝突した「日本海海戦」がありました。当時の神職が記した日誌が今も残っています。
太平洋戦争中は、軍事拠点としても使われました。防衛省防衛研究所図書館に残る「下関要塞守備隊戦史資料」などによると、旧陸軍は1940(昭和15)年、沖ノ島に砲台を設置。96式2連装15センチカノン砲4門を備え、射程は20キロありました。下関要塞守備隊の重砲兵連隊が配備され、敵艦船、特に潜水艦の撃退を任務としました。海軍も艦船を探査する防備衛所を各地に置きました。
島内には、今も戦争遺跡が残っています。二ノ岳、三ノ岳の中腹を回り、白岳(162メートル)に近づく途中のやぶの中にある弾薬庫。壁の厚さは50センチもあります。島の西部の高台にあるのは、砲台の跡です。頑丈で分厚いアーチ状のコンクリートの壁に囲まれています。
神職ら限られた人しか入ることができない沖ノ島ですが、戦時中は200人ほどの兵士が生活をしていたそうです。当時、沖ノ島の海軍部隊に所属した元軍人が30年ほど前に出した手紙には、次にような後悔の言葉が書かれていました。
「千古斧(おの)の入ったことのない原始林を、陸海軍合計200名ほどの男たちの生活のために莫大(ばくだい)な量の古木が伐採された……祭神にお詫(わ)びしたい」
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