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東京五輪エンブレムの陰に「伝説のポスター」 巨匠・亀倉雄策の偉業
東京五輪のエンブレムを制作した佐野研二郎さん。不遇の時代に影響を受けたのが、故亀倉雄策さんが手がけた1964年東京五輪のポスターでした。
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東京五輪のエンブレムを制作した佐野研二郎さん。不遇の時代に影響を受けたのが、故亀倉雄策さんが手がけた1964年東京五輪のポスターでした。
東京五輪・パラリンピックのエンブレムを制作した佐野研二郎さん。今や売れっ子アートディレクターの佐野さんですが、「鳴かず飛ばずになった」博報堂時代に影響を受けたのが、亀倉雄策さん(1915~1997)が手がけた1964年東京五輪のポスターでした。
1915年に生まれた亀倉さんは、旧制日大二中卒業後、新建築工芸学院でデザインを学びます。1938年、日本工房に入り、写真家土門拳さんらが活躍した海外向け雑誌「NIPPON」の構成を手がけました。
亀倉さんは1950年代、「ニコン」のポスターシリーズで、洗練されたモダンデザインと日本美を融合させ注目を浴びます。
「ニコン」のポスターで見せた手腕は、デザイン史に刻まれる作品、東京五輪のポスターに結実します。
前回東京五輪の開催が決定した1960年3月、組織委員会は10人のデザイン関係者を招集し、「デザイン懇談会」を発足させます。大会のデザインポリシーが議論され、「日本的なものを加味した国際性のあるもの」という考えのもと、シンボルマークの選定に入ります。当時の著名なデザイナー6人による指名コンペの結果、選ばれたのが亀倉さんの作品でした。
「日の丸」や「太陽」を連想させるシンボルマークは、シンプルながらも力強いメッセージ性が備わっている――と絶賛されました。
枠いっぱいの大きな赤い丸の下に、金色で太く五輪を描いたシンボルマークを配置。亀倉氏のポスターは、日の丸のシンプルな赤い円を「モダンな造形」としてとらえました。
赤と金の華やかで力強い組み合わせは、豊臣秀吉の陣羽織にも見られます。日本の伝統的な美意識とモダンデザインの融合を日々模索していた亀倉さんの代表的な作品となりました。
亀倉さんの作品では、短距離走者がスタートした瞬間が大胆に配置されたポスターも有名です。写真を使ったのは、高い評価を得た初回の作品を、デザインだけで超えるのは難しいという判断がありました。
実はこの写真、近づいてみると粒子が荒れています。臨場感を増すために、あえてフィルムの一部分を拡大・引き伸ばしたそうです。亀倉さんが40代のころに手がけた一連の作品は、世紀を超えて人々の記憶に残り続けています。
1964年東京五輪から半世紀。亀倉さんの作品は、2020年東京五輪のエンブレムを制作した佐野研二郎さんにも影響を与えています。
トヨタ自動車の「ReBORN」など、今では売れっ子として知られる佐野さんですが、2008年まで勤めた博報堂時代には、「複雑に考えすぎて、鳴かず飛ばずになった」という時期もありました。
そんな時、ギャラリーで見た亀倉さんの五輪ポスターに刺激を受けます。「あんなシンプルで骨太な仕事がしたい。五輪のシンボルをいつか自分も、というのが夢だった」
夢をかなえた佐野さん。「このデザインで20年に向かうみんなの気持ちを束ねたい」と言います。
「閉幕した時、いい大会だったと言われたい。かっこよくて美しい大会にするためにデザインの力は不可欠。一肌脱ぐどころか、全裸で頑張るつもりです」
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