話題
ソフトバンク秋山監督、日本一の確率は? 退任劇と勝敗の微妙な関係
プロ野球ソフトバンクの秋山幸二監督(52)が14日、今季限りでの退任を表明しました。こういう時に、よく耳にするのが「監督に最後の花道を」、という言葉。お世話になった監督に「有終V(日本一)」をプレゼントしようという意味ですが、実際はどうなのでしょう?
話題
プロ野球ソフトバンクの秋山幸二監督(52)が14日、今季限りでの退任を表明しました。こういう時に、よく耳にするのが「監督に最後の花道を」、という言葉。お世話になった監督に「有終V(日本一)」をプレゼントしようという意味ですが、実際はどうなのでしょう?
プロ野球ソフトバンクの秋山幸二監督(52)が14日、今季限りでの退任を表明しました。
チームは現在、クライマックスシリーズ(CS)最終ステージで、日本シリーズ進出をかけた日本ハムとの熱戦を繰り広げています。
こういう時に、よく耳にするのが「監督に最高の花道を」、という言葉です。
お世話になった監督に「有終V(日本一)」をプレゼントしようという意味ですが、実際はどうなのでしょう?
1950年以降、リーグ優勝したシーズンにユニフォームを脱いだプロ野球監督は10人います(秋山監督は除く)。
ソフトバンクが日本シリーズ進出できるかは、まだ分かりませんが、リーグ優勝したシーズンに退任した監督の日本シリーズでの成績を調べてみました。
●1950年 小西得郎(松竹)
→2勝4敗で毎日に敗れる
○1954年 天知俊一(中日)
→4勝3敗で西鉄に勝利
●1960年 西本幸雄(大毎)
→0勝4敗で大洋に敗れる
●1978年 上田利治(阪急)
→3勝4敗でヤクルトに敗れる
●1983年 藤田元司(巨人)
→3勝4敗で西武に敗れる
●1985年 広岡達朗(西武)
→2勝4敗で阪神に敗れる
●1994年 森祇晶(西武)
→2勝4敗で巨人に敗れる
●2003年 星野仙一(阪神)
→3勝4敗でダイエーに敗れる
●2007年 ヒルマン(日本ハム)
→1勝4敗で中日に敗れる
●2011年 落合博満(中日)
→3勝4敗でソフトバンクに敗れる
※○が優勝、●は敗退
そう。「有終V」を達成した監督は1人しかいないのです。
最近の例は2011年、セ・リーグ優勝争いがヤマ場を迎えいた9月に突然の辞任発表した中日の落合博満監督です。
チームは史上初のリーグ連覇を達成しましたが、ソフトバンクと対戦した日本シリーズは3勝4敗。「有終V」にあと1勝足りませんでした。
ちなみに、このときソフトバンクを率いて初の日本一に輝いたのが秋山監督でした。
ただひとり、「有終V」を飾った中日の天知俊一監督は、東京六大学の審判として大試合で主審を務めたキャリアの持ち主。プロ野球選手としての経験はありませんでしたが、選手ひとりひとりを思いやる「人情派」として知られていました。
西鉄を下した1954年の日本シリーズでは、男泣きする指揮官とともに選手たちも大泣きだったそう。金具で選手を傷つけないためか、監督は胴上げでスパイクを脱いでいたそうです。
シリーズ後、退任を表明した天知監督ですが、57~58年はふたたび監督に。59~60年はヘッドコーチとしてチームを支えました。1970年には野球殿堂入りを果たしています。
ひとことで「電撃退任」と言っても、フロントとの確執、米球界への復帰(07年のヒルマン監督)など、理由はいろいろです。
まさに「電撃辞任」をしたのが阪急の上田利治監督。
ヤクルトとの日本シリーズ(1978年)第7戦、ヤクルト大杉勝男選手の放ったレフトポール際の一打が、ホームランかファウルかをめぐり、1時間19分にわたり審判に抗議。日本シリーズ史上に残る抗議でしたが、判定は覆らず敗退。ヤクルトの初優勝が決まりました。
上田監督は試合後、責任をとる形で退団しました。
思わぬタイミングで「退団」が公になったのが、西武の黄金期を築いた森祇晶監督。
巨人との日本シリーズ(94年)第6戦の試合前、なんと東京ドームの電光掲示板に「西武・森監督辞任」というニュースが流れてしまったのです。
西武はこの試合に敗れ、日本シリーズ敗退が決定。なんともさびしい引き際になりました。