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F1小林可夢偉、まさかの無給 執念の復帰 ママチャリで勝負勘磨く

3日開幕のF1日本グランプリに出場の小林可夢偉選手。昨季はF1から離れていましたが「自分を裏切りたくない」と、今季、無給で契約して復帰しました。2012年には鈴鹿で3位入賞の実績もある、F1への熱意も実力も十分のドライバーなのです。

F1ドライバー・小林可夢偉選手=2010年10月8日
F1ドライバー・小林可夢偉選手=2010年10月8日 出典: 朝日新聞

目次

3日開幕のF1日本グランプリに出場の小林可夢偉選手。昨季はF1から離れていましたが「自分を裏切りたくない」と、今季、無給で契約して復帰しました。2012年には鈴鹿サーキットで3位入賞の実績もある、F1への熱意も実力も十分のドライバーなのです。

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「無給でいい」異例の年俸ゼロ

小林可夢偉選手は昨季、F1ではなくフェラーリから世界耐久選手権に出場していました。今季は無給でケータハム・ルノーと契約しました。挑戦の理由を「F1ドライバーになると思った子どもの時の自分を裏切りたくなかった」と語りました。億単位の年俸が珍しくない世界では異例の条件でした。

トークショーに出席した小林可夢偉選手=2014年8月1日、尼崎市のあまがさきキューズモール
トークショーに出席した小林可夢偉選手=2014年8月1日、尼崎市のあまがさきキューズモール
しかしF1への夢は絶ちがたく、ケータハムとは無給で契約した。億単位の年俸をもらうドライバーがいる中では異例だ。「F1ドライバーになると思った子どもの時の自分を裏切りたくなかった」
2014年3月13日:F1開幕、燃える可夢偉 正ドライバーで2季ぶり参戦 [朝日新聞紙面から]

名前の由来はアイヌ語

小林可夢偉選手は、兵庫県尼崎市ですし店を営む夫婦の次男として生まれました。可夢偉という名前は本名です。「カムイ」はアイヌ語で「神」という意味。お父さんがつけたそうです。

地元のサンシビック尼崎の壁に掲げられた小林可夢偉さんの大型応援フラッグ=2012年11月28日、兵庫県尼崎市西御園町
地元のサンシビック尼崎の壁に掲げられた小林可夢偉さんの大型応援フラッグ=2012年11月28日、兵庫県尼崎市西御園町
兵庫県尼崎市ですし店を営む夫婦の次男として誕生。「可夢偉」は本名だ。父が、アイヌ語で「神」を意味する「カムイ」という言葉に漢字を当てた。
2010年10月30日:(フロントランナー)F1ドライバー・小林可夢偉さん 「日本人唯一」の意地で戦う [朝日新聞紙面から]

ママチャリで磨いたテクニック

9歳で競技用ゴーカートのレースでデビューし、数々の大会で優勝してきた小林可夢偉選手。中学時代にはママチャリで友だちと競争し、ドライビングテクニックを磨いていたそうです。ママチャリ競争が、立派なトレーニングなってしまうあたり、根っからのドライバーだったようです。

青森市で開かれたママチャリ6時間耐久レース=2011年8月28日 (写真は小林可夢偉選手とは関係ありません)
青森市で開かれたママチャリ6時間耐久レース=2011年8月28日 (写真は小林可夢偉選手とは関係ありません) 出典:  
中学時代、友人4、5人と近くの商店街でママチャリで競走していたんです。買い物客の行動や目線を観察しながら、「この人はどっちに行こうとしているのか」「今、何をしたいのか」を事前に察知し、ぶつからないよう進路をとっていた。
2010年10月30日:(フロントランナー)F1ドライバー・小林可夢偉さん 「日本人唯一」の意地で戦う [朝日新聞紙面から]

鈴鹿、世界屈指の難コース

舞台となる鈴鹿サーキットは、世界屈指の難コースと言われています。相手を抜きにくく、心拍数180になりながら約1時間半、1周5・8キロをノーミスで53周走らなければいけません。

鈴鹿サーキット
鈴鹿サーキット
【関連動画】F1ドライバーの見る風景は?車載カメラの迫力映像
1周5・8キロの鈴鹿は、相手を抜きにくい世界屈指の難コースと言われる。時には時速300キロ超、心拍数180になりながら約1時間半、ミスなく計53周走りきらねばならない。
2010年10月30日:(フロントランナー)F1ドライバー・小林可夢偉さん 「日本人唯一」の意地で戦う [朝日新聞紙面から]

2012年には鈴鹿で3位

2012年にザウバー・フェラーリにいた小林可夢偉選手は鈴鹿サーキットで3位に入り、表彰台に上がりました。日本人のF1表彰台は鈴木亜久里さん、佐藤琢磨さん以来の3度目でした。スタートで成功し、中高速コーナーの多い鈴鹿に強いマシンの性能を生かしての快挙でした。

F1日本グランプリで3位入賞を果たし、表彰台でトロフィーを掲げるザウバー・フェラーリの小林可夢偉=2012年10月7日、三重県・鈴鹿サーキット
F1日本グランプリで3位入賞を果たし、表彰台でトロフィーを掲げるザウバー・フェラーリの小林可夢偉=2012年10月7日、三重県・鈴鹿サーキット
シグナルが変わるやいなや飛び出す。3番グリッドから最前列の2台の間に割って入り、2位へ上がる。9月のベルギーGP決勝で2番手の位置から出走しながら13位に終わるなど、スタートの失敗が目立った今季だったが、その教訓を地元での大一番で生かした。
2012年10月8日:可夢偉3位 日本選手最高タイ F1・日本GP [朝日新聞紙面から]
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