お金と仕事
さよならダイエー 名前は消えても、あの思い出は忘れない
「ダイエー」というスーパーの名前が、2018年度をめどになくなります。親会社であるイオンは、ダイエーのほぼ全店で改装を進めてグループ内でスーパー名を統一する方針です。ツイッター上では自らの思い出とからめて惜しむ声が上がっています。
お金と仕事
「ダイエー」というスーパーの名前が、2018年度をめどになくなります。親会社であるイオンは、ダイエーのほぼ全店で改装を進めてグループ内でスーパー名を統一する方針です。ツイッター上では自らの思い出とからめて惜しむ声が上がっています。
「ダイエー」というスーパーの名前が、2018年度をめどになくなります。親会社であるイオンは、ダイエーのほぼ全店で改装を進めてグループ内でスーパー名を統一する方針です。ツイッター上では自らの思い出とからめて惜しむ声が上がっています。
まずはダイエーのこれまでの歩みを振り返ります。
創業者の中内㓛(なかうち・いさお)さんは、2005年に83歳で亡くなりました。
その後、産業再生機構の支援を受け、筆頭株主も丸紅からイオンへと変わりました。
「よい品をどんどん安く」を実現するため、大手メーカーとも対立してきました。
中内さんはダイエーを流通業界最大手に育て上げ、バブル時代にも拡大路線をひた走りました。その原点には戦争体験がありました。
2011年の東日本大震災の際には、ダイエー仙台店が2日後に営業を再開。雪が舞うなか、4千人を超える行列ができ、「店を開けてくれて、ありがとう」といった声が寄せられたそうです。
慣れ親しんだダイエーの名前が消えることを惜しむ声が上がっています。
地元にダイエーが開店したころ、ダイエーをスーパーではなくデパートだと勘違いするくらい活気があったんだよな。もう30年以上前の話だけどね。多分、東京より地方の方がダイエーに対して思い出ある人が多いんじゃないかな。
— NKPM (@KPtan2) 2014, 9月 24
「えりこが生まれた年にできたのよ」と聞かされていた近所のダイエー。物心ついてからいつも通っていた思い出がたくさんのダイエー。近所のは既に屋号は変わっていたけれど、遂に日本からこの名前が消えるなんてショック。
— eriko (@aroiwine) 2014, 9月 24
ダイエーの屋号が消えるそうだ。高校時代に寄り道して、BGMはいつも『いざゆけ若鷹軍団』だった。あの思い出が消えてしまう… 大好きだったよ、ダイエー
— こさけ (@kosakexx) 2014, 9月 24
ダイエーがなくなるのか。震災の時商品が消えなかった店。あの時の活気のある店内忘れない。その時の店員さんの笑顔も忘れない。
— よしじ (@Higemiumiu) 2014, 9月 24
イオンの岡田元也社長は、ダイエーの今後について、こう語りました。
全国に285店ある「ダイエー」「グルメシティ」などは今後、総合スーパーでは「イオン」、食品スーパーでは「イオンフードスタイルストア」(仮称)などの名前に切り替えていく方針だそうです。
いまある店の大半が集中する首都圏や京阪神では、食品スーパーの運営会社の名前としてダイエーが残るそうです。