お金と仕事
さよならダイエー 名前は消えても、あの思い出は忘れない
「ダイエー」というスーパーの名前が、2018年度をめどになくなります。親会社であるイオンは、ダイエーのほぼ全店で改装を進めてグループ内でスーパー名を統一する方針です。ツイッター上では自らの思い出とからめて惜しむ声が上がっています。

「ダイエー」というスーパーの名前が、2018年度をめどになくなります。親会社であるイオンは、ダイエーのほぼ全店で改装を進めてグループ内でスーパー名を統一する方針です。ツイッター上では自らの思い出とからめて惜しむ声が上がっています。
ダイエーの歩み

まずはダイエーのこれまでの歩みを振り返ります。

【1957年】
中内㓛氏が「主婦の店・ダイエー薬局」の1号店を大阪市に開く
【72年】
東証1部に上場。三越を抜き、小売業の売上高日本一に
【75年】
大阪府豊中市にコンビニ「ローソン」1号店を開店
【80年】
小売業で初めて売上高が1兆円を突破
【88年】
プロ野球球団「福岡ダイエーホークス」を立ち上げ
【95年】
阪神大震災の被害などで、純損益が初めて赤字に
【99年】
創業者の中内氏が社長を退任
【2001年】
ローソン株式を三菱商事に売却
【04年】
巨額の負債を抱え、産業再生機構が支援。不採算店閉鎖も
【05年】
ダイエーホークスをソフトバンクに売却
【06年】
丸紅が筆頭株主に。食品スーパーを軸に再建をめざす
【07年】
イオンが第2位株主となり、丸紅を加えた3社提携で合意
【13年】
イオンが筆頭株主となり、社長も派遣
【15年1月】
イオンの完全子会社に(予定)
創業者は中内㓛さん

創業者の中内㓛(なかうち・いさお)さんは、2005年に83歳で亡くなりました。
72年には、売上高で三越を抜いて小売業界の首位に立った。94年には、忠実屋などスーパー3社を吸収するなど拡大戦略を続け、一時は全国に約380店舗を構えた。
プロ野球ホークス球団やホテル、金融子会社など約190社、売上高5兆円の巨大グループに育て上げ、ワンマン経営者として君臨。90年には流通業界から初めて経団連副会長に就いた。
しかし、バブル崩壊後は消費低迷に加え、積極出店や企業買収などによる過大な投資が裏目に出て、ダイエーの業績が悪化。阪神大震災で500億円の被害を受けたことも追いうちをかけた。
その後、産業再生機構の支援を受け、筆頭株主も丸紅からイオンへと変わりました。
ダイエー・松下の30年戦争

「よい品をどんどん安く」を実現するため、大手メーカーとも対立してきました。
ある日、中内氏は、松下創業者の松下幸之助氏の京都の別邸に招かれる。「もう覇道はやめて、王道を歩むことを考えたらどうか」と幸之助氏は水を向けた。安売りをやめるよう求められたと感じた中内氏は「そうですか」とだけ答え、いっさい同意しなかった。
対立は95年まで続き、「ダイエー・松下の30年戦争」と言われた。
こうして中内氏は「流通革命の旗手」として世間に広く認められた。
中内流経営の大きな特色は「売り上げがすべてを癒やす」という徹底した拡大路線だ。そのために銀行からの借り入れを大きく膨らませることも辞さなかった。
明かりが無ければ街が死ぬ

中内さんはダイエーを流通業界最大手に育て上げ、バブル時代にも拡大路線をひた走りました。その原点には戦争体験がありました。
消費者に豊かさを実感してもらうために「どんどん安く」にこだわった。創業間もない59年、牛肉の複雑な流通経路に立ち向かって100グラム当たり39円の安い牛肉を店頭に並べた。
(中略)
95年の阪神大震災の時には、「とにかく店を開けろ。開けられない店も明かりをつけろ。明かりが無ければ街が死ぬ」と叫び続けた。グループのハンバーガー店には、おにぎりを売らせた。「焼け跡」の時代に似た飢餓感が中内さんの本能に火を付け、駆り立てた。
2011年の東日本大震災の際には、ダイエー仙台店が2日後に営業を再開。雪が舞うなか、4千人を超える行列ができ、「店を開けてくれて、ありがとう」といった声が寄せられたそうです。
ツイッター上で惜しむ声

慣れ親しんだダイエーの名前が消えることを惜しむ声が上がっています。
地元にダイエーが開店したころ、ダイエーをスーパーではなくデパートだと勘違いするくらい活気があったんだよな。もう30年以上前の話だけどね。多分、東京より地方の方がダイエーに対して思い出ある人が多いんじゃないかな。
— NKPM (@KPtan2) 2014, 9月 24
「えりこが生まれた年にできたのよ」と聞かされていた近所のダイエー。物心ついてからいつも通っていた思い出がたくさんのダイエー。近所のは既に屋号は変わっていたけれど、遂に日本からこの名前が消えるなんてショック。
— eriko (@aroiwine) 2014, 9月 24
ダイエーの屋号が消えるそうだ。高校時代に寄り道して、BGMはいつも『いざゆけ若鷹軍団』だった。あの思い出が消えてしまう… 大好きだったよ、ダイエー
— こさけ (@kosakexx) 2014, 9月 24
ダイエーがなくなるのか。震災の時商品が消えなかった店。あの時の活気のある店内忘れない。その時の店員さんの笑顔も忘れない。
— よしじ (@Higemiumiu) 2014, 9月 24
これからどうなるのか

イオンの岡田元也社長は、ダイエーの今後について、こう語りました。
全国に285店ある「ダイエー」「グルメシティ」などは今後、総合スーパーでは「イオン」、食品スーパーでは「イオンフードスタイルストア」(仮称)などの名前に切り替えていく方針だそうです。
いまある店の大半が集中する首都圏や京阪神では、食品スーパーの運営会社の名前としてダイエーが残るそうです。