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安藤美姫「中傷の手紙も読んだ」「女性が住みやすい国へ、力になる」
安藤美姫さんのインタビュー。「中傷する手紙もすべて読んだ」「娘を見ると、頑張ろうと思えた」

(朝日新聞デジタル編集部 大井田ひろみ)

深夜1時。娘のおむつを換えながらの特訓
産後1カ月で練習を再開したときのことだ。「筋力が低下して、ジャンプやスピンなど何も考えずにやっていたことが一気にできなくなりました」
筋力トレーニングに励むが、産後はしてはいけない動きもある。スケートに必要な筋肉をピンポイントでトレーナーに教わった。
練習時間は産前より短くなった。「持たなかったんです、体力が。すごく動けた日の翌日はベッドから起き上がれなくなったり、よくわからない体調不良になったりしたこともありました」。疲れすぎて食べられない時もあった。「自分が思う以上に産後は、ホルモンバランスが変化したり、オーバーワークになったりしていたんだと思います」
それでも練習は、スケートリンクが自由に使える深夜1時から始めた。練習の合間など、空いた時間は娘のミルクを作ったりおむつを替えたりした。「娘を見ると頑張ろうと思えました」

「中傷の手紙も全部読んだ」
他のスポーツや海外では出産、復帰した選手もいる。しかし、日本のフィギュアでは前例がない。「現役選手は結婚や恋愛、出産はダメ」という見方も強く、復帰や両立は「無理だ」という声が多かった。

11月の東日本選手権で2位になり、全日本選手権の出場権を手にした。「2年前より高いレベルのものをショートプログラムから構成できたし、自分らしい演技ができた。やっとここまでこられた!という感じでしたね」

「それは、経験していたので。18歳で出場したトリノ五輪の後、成績や体形のことで騒がれ、中傷する手紙が送られてきたんです。全部の手紙に目を通しました。ネガティブな意見は『こう捉える人もいるんだ』と一つの意見として受け入れるようにしました。応援してくれる人がいる限りはもう一回頑張ろうって思えるようになりました」

娘に見せたスケート姿「本当に良かった」

これからの数年は、プロとして、アイスショーやスケートの楽しさを伝えていくつもりだ。「時が来れば、コーチとして選手を100%支える立場になりたい。産後にまたゼロから始めて全日本選手権まで行けた。『できないことはない』と子どもたちに自信を持って伝えられます」

1987年、愛知県生まれ。14歳で女子選手として史上初の4回転ジャンプに成功した。全日本選手権で3回優勝。2006年のトリノ五輪15位、10年バンクーバー五輪5位。07、11年の世界選手権で優勝。
13年4月に出産、同年12月に全日本選手権に出場。その後、現役を引退し、プロスケーターとしてアイスショーに出演するほか、様々な社会貢献活動にも力を入れている。