話題
阪神園芸、甲子園グラウンドキーパーの系譜 江夏も叱った土守たち
甲子園で5回に行われるグランド整備。球児の熱戦を支えているのが阪神園芸のグラウンドキーパーたちです。江夏も叱った情熱あふれる職人たち。戦前から続く阪神園芸グラウンドキーパーの系譜を振り返ります。
話題
甲子園で5回に行われるグランド整備。球児の熱戦を支えているのが阪神園芸のグラウンドキーパーたちです。江夏も叱った情熱あふれる職人たち。戦前から続く阪神園芸グラウンドキーパーの系譜を振り返ります。
甲子園で5回に行われるグランド整備。球児の熱戦を支えているのが阪神園芸のグラウンドキーパーたちです。江夏も叱った情熱あふれる職人たち。戦前から続く阪神園芸グラウンドキーパーの系譜を振り返ります。
「土は生きものや」が口癖だった藤本さんは1925年に甲子園球場に近い西宮市上鳴尾町に生まれました。土ぼこりを吸ってグラウンドにツバを吐いた江夏豊さんをしかり飛ばしたエピソードは語り草になっています。
藤本さんは15歳でグラウンドキーパーになりました。戦争中は内野の鉄傘(てっさん)をはぎ取られグラウンドはイモ畑に。戦後、藤本さんはグラウンドを蘇らせます。季節に合わせて土の配合を変え、白球が映える鏡のようなグラウンドを作り出しました。1995年に亡くなった際には、棺桶にトンボのミニチェアが入れられたそうです。
藤本治一郎さんの弟子が、藤本さんの娘さんと結婚した辻啓之介さんです。「オヤジは無口で偏屈で頑固。何も教えてくれん」という義父を目標に、芝生に情熱を注ぎました。そして、1982年から冬芝を育て年中緑のじゅうたんを誕生させました。
「野球のだいご味は外野へ抜ける打球」が持論の辻さん。ボールの転がりを左右する芝の長さを研究し、5年以上かけ10ミリの結論にたどり着いたそうです。
そんな藤本さんと辻さんの後を継いでいるのが、金沢健児さんです。20才で辻さんに弟子入り。期待が大きかったからなのでしょう、当初は相当、しごかれたそうです
球場への愛情はちゃんと受け継がれています。重い黒土が沈み込み、軽い砂が表面に浮いてくるのを防ぐため、金沢さんたちは、毎年、阪神タイガースの前半戦が終わった段階で約5センチ掘り返しているそうです。
阪神園芸のグランドキーパーたちは、自分たちの技術を多くの高校球児に役立ててもらいたいと、全国の野球部のグラウンドに出向き、無償で出張講座をしています。
最後に、辻さんの印象的な言葉をご紹介します。5回のグランド整備は時間との勝負でもあります。目安は5分だそうです。そしてグランド整備にかける姿勢はチームの強さにもつながっているそうです。「グラウンドをならすトンボがきちんと使えるチームは強い。それだけ守備の練習をきちんとしている証しだから」