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春一番さん死去 父への思いが切ない。猪木氏もコメント

アントニオ猪木氏のものまねで知られる春一番さんが死去。朝日新聞の記事で吐露していた、父への思いが切ない。

アントニオ猪木氏のものまねで人気だった春一番さん
アントニオ猪木氏のものまねで人気だった春一番さん 出典: 朝日新聞デジタル

目次

肝硬変、47歳

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 アントニオ猪木さんのものまねで人気を集めた芸人の春一番(本名春花直樹)さんが3日、肝硬変のため都内の病院で死去した。47歳だった。通夜や葬儀の日程などは未定。
朝日新聞デジタル
出典:朝日新聞デジタル
 春さんは1985年、片岡鶴太郎さんの弟子として芸能界に入った。ガウンをまとって「元気ですか」などと叫ぶアントニオ猪木さんのものまねが人気になり、2000年には電話会社のCMに「インターネッ党」の代表役で出演。得意のものまねを披露した。
朝日新聞デジタル
出典:日刊スポーツ
05年に腎不全で入院後に長期休養したが、仕事復帰していた。97年に3歳年下の女性と結婚した。
日刊スポーツ
2日夜に酒を飲んで就寝したが、体調が急変。3日朝、呼吸が止まっているのに妻が気づき、救急搬送したという。
朝日新聞デジタル

アントニオ猪木氏が急きょ、コメント発表

送る言葉に相応しくないかもしれませんが、 

あえて、元気ですかー!!を送ります。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

                 アントニオ猪木
猪木氏が会長を務める「イノキ・ゲノム・フェデレーション株式会社」
アントニオ猪木氏
アントニオ猪木氏 出典: 朝日新聞

朝日新聞の「おやじのせなか」の取材では、猪木氏と同い年の父親について、こう語っていた

 子どものころから、アントニオ猪木さんの大ファンでした。プロレス界のカリスマ。燃える闘魂。強い男にあこがれました。
 猪木さんとお父(とう)は同い年です。お父は製鉄所のサラリーマン。まじめで無口でおとなしい。口うるさいお母(かあ)の横で、小さくなっている。「高校時代は生徒会長で柔道二段だった」と聞いたけど、とても信じられない。熱狂的な猪木信者の私には、物足りないわけです。
 中学のころ、お母があまりガミガミ言うので、脳天チョップを浴びせていると、お父が丸めた新聞紙を振り上げて向かってきた。「しまった。怒られる」。ところが、顔を真っ赤にしたお父は一言。「ウウウッ、ふろ入れ!」。気が抜けました。
 ツッパリだった私は「このままじゃ半端なチンピラになっちゃう」と高校を一年で中退して上京、芸人を目指して片岡鶴太郎さんの付き人になった。自分を知らない人がいないぐらいの芸人になる、と誓って飛び込んだ世界ですが、なかなか芽が出ない。お金もないし、仕事も来ない。
 お金の無心も兼ねて実家に電話すると、いつもお母とけんかです。お父は電話を代わると、お母のガミガミを背中に、「お母さん、うるさいから」ってすぐ切っちゃう。「猪木さんのように、どーんと構えて強烈な一言を言って欲しい」と思いました。
朝日新聞 「おやじのせなか」2000年4月24日
そんなお父が、勢い込んで電話をかけてきたことがあります。「本当か」って。何かと思えば「春一番 美空ひばりショー」みたいなコンサートの告知を見て、「息子がひばりと共演するようになった」って勘違いしてるんです。まだ鶴太郎さんの付き人なんだから、そんなわけないですよ。親ばか丸出し。でも、うれしかったな。強烈でした。
 お父は黙って十年も仕送りを続けてくれたんです。無言の激励だったんですね。世間に顔を覚えてもらえるようになって、ありがたみが分かるようになりました。売れない時代を支えてくれたのは、お父だったんだと。
 岡山の実家にはもう二年も帰ってないけれど、まじめで無口なお父が、今では大好きです。恩返ししたくて仕方ない。お金をあげて片づく問題じゃないと思うから、もっと売れたい。それが親孝行になるんだろうと思います。
 (聞き手・秋山惣一郎)
朝日新聞 「おやじのせなか」2000年4月24日
今年4月の映像 出典: YouTube oriconofficial
出典: YouTube tokyosportsmovie
出典: YouTube 結婚式芸能人余興 アネット

芸能界からも悼む声相次ぐ




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