「人を殺すも生かすも言葉」 沖縄の保育に力を尽くした女性の50年
働く女性の子どもの面倒が原点
1972年5月15日の沖縄本土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。 (ライター・伏見学)
復帰に際して沖縄がスローガンとした「本土並み」。これは経済だけでなく、教育や社会制度などあらゆる事柄に当てはまります。もちろん福祉もそう。復帰の年に保育園を設立し、その後、沖縄県で先駆けとなる子育て支援センターを立ち上げた石川キヨ子さんは、沖縄の福祉を形作ってきた一人です。
けれども、石川さんは最初から福祉に身を投じようと考えていたわけではありません。高校を卒業後、美容師になるために沖縄を出て修業を積み、20代で自分の店を構えるも、それをスパッと辞めて保育の世界に飛び込んだのです。
連載「10人の沖縄」の最終回は、沖縄の保育の充実に尽くしてきた石川さんの生きざまに迫ります。