ウチナーンチュよ、外に出よう 異国で気づいた沖縄の強みと危機感

「ナイチャーに負けて悔しくないのか?」

伏見学
ライター

那覇市内で飲食店を開く宮城信綱さん。1972年生まれの「復帰っ子」だ=筆者撮影


1972年5月15日の沖縄本土復帰から、まもなく50年。この半世紀で沖縄はどう変わったのでしょうか。連載「10人の沖縄」では、沖縄で生まれ育った10人の視点から、この50年をひもときます。 (ライター・伏見学)

前回記事の比嘉さんと同様、1972年生まれの「復帰っ子」としてこれまでの人生を歩んできたのが、那覇市内で飲食店を経営する宮城信綱さん(49)。高校時代はラグビー部に所属していたこともあり、体格と声の大きさに迫力があります。勢いよく話し始めた宮城さんですが、沖縄の現状を大いに憂えています。

「飲食業はおいしいところをたくさん内地の(人が経営する)店に持っていかれています。でも、それに対してウチナーンチュは、『ああ、あれナイチャーがやってるところだろ。儲かってていいよなー』と文句しか言いません。なぜなのかと聞くと、『ここ沖縄だからさ。沖縄は俺たちのものなのに』と。自分たちが貧しい思いをしていることも全部人のせいにするのか。情けなくはないのかと思いますよ」

こう厳しく指摘する宮城さん自身も、もしかしたらそういう発想の人間になっていたかもしれないと過去を顧みます。何が宮城さんを変えたのでしょうか。

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