夢見た「タワマン」は保活激戦区だった 人生設計を狂わされる人たち

平成家族

保育課の窓口で、担当者から入園内定の有無を聞く保護者=2月9日、東京都目黒区

 認可保育園に入りたくても入れない「待機児童」の統計を初めて国が発表し、対策を始めたのは1995(平成7)年のことでした。ちょうど、共働き家庭が専業主婦家庭より多くなるという転換点を迎えた時期です。その後も待機児童は解消されず、平成時代の子育ては、保育園を探す「保活」で始まります。その保活に敗れた先には、人生設計を狂わされる人たちもいます。(朝日新聞文化くらし報道部記者・田渕紫織、中井なつみ)

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