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「想像する和装の1000倍ガチ」 話題の〝インドネシア和装ニキ〟
〝和装姿〟で直立しているインドネシア人男性のX投稿が、日本で「みんなが想像する和装の1000倍ガチ」と紹介され、話題になっています。「和装ってそっちか!」と感嘆してしまう写真の数々。「何者なの?」と話題になった、インドネシア人投稿者に話を聞きました。
《インドネシア和装ニキ
みんなが想像する和装の1000倍ぐらいガチガチのガチに本格的だから見てほしい
絶対にもっと評価されるべき》
引用した投稿には、〝和装〟で正面を直立する男性の4枚の画像。丈の短いはかまと、頭には烏帽子のようなものをかぶっています。
投稿には「そっちか…!」「現代和装ではないのが渋い」「すごい完成度! 日本でも見たことない」「タイムスクープハンターに出てきそう」と驚くコメントが寄せられ、5万件超のいいねがつきました。
あまりの完成度に「専門家?」「生半可なオタクじゃないよ」「彼なんでインドネシア人やってるんだっけ?」と、この人物の正体を探る投稿も相次ぎました。
インドネシア和装ニキ
— 今井三太郎@サブちゃん (@imai_san) June 5, 2024
みんなが想像する和装の1000倍ぐらいガチガチのガチに本格的だから見てほしい
絶対にもっと評価されるべき https://t.co/MHh2h0ZetE
まず〝インドネシア和装ニキ〟を紹介した今井三太郎さんに、話を聞きました。今井さんは、初めて友人のポストで和装の外国人を見た時、驚愕したといいます。「めちゃくちゃ調べとる! と感銘を受けました」
今井さん自身も、仮想空間で建築を楽しむゲーム「マインクラフト」で、日本の中近世城郭を一から設計してアジア初のプロクリエイターに認定されるほど、徹底した時代考証にこだわってきました。
その今井さんから見ても、rdanchoさんは〝時代によって腰に挿す際の刃の向きが違う〟ことなど、「日本人でも間違いやすい要点をことごとく押さえていました」。
今井さんの投稿をきっかけに、rdanchoさんのフォロワーは約3倍に増えました。「彼の考証の正しさや教養もさることながら、日本文化に対する熱意(パッション)と敬意(リスペクト)に多くの人が心を動かされた結果だと思います。私もその一人です」
どんな人なのでしょうか。〝インドネシア和装ニキ〟こと、rdancho(@RDancho)さんにインドネシア語でインタビューを申し込みました。
Zoomの画面越しに現れたのは、めがねをかけた真面目そうな青年。背後に映るホワイトボードに「しゅくだい」と手書きの字が見えます。
「今、大学の授業のほかに、プライベートで日本語の家庭教師に来てもらっているんです」
そう話し始めた彼のアカウント名、rdanchoの読み方は「エル・ダンチョウ」で、自分の名前の頭文字〝R〟と大好きな「団長」を合わせたそうです。
ジャカルタ在住の23歳、現在は有名私立大学の日本文学部で、日本の歴史や文化を勉強しています。
日本に興味を持ったのは、日系の建設コンサルタント企業で働く父の影響でした。幼い頃に買ってもらったのは忍者の人形。
インドネシアでは日本のアニメが人気でしたが、rdanchoさんが好んだのは「大河ドラマ」でした。小学生の時は、戦国時代を舞台に直江兼続を描いた「天地人」(妻夫木聡主演)を英語字幕で見て、夢中になりました。
戦国時代を舞台にしたゲームでも遊び、特に武士や忍者、「YOROI(よろい)」に魅了され、本を読みあさったそうです。「日本の歴史を愛してしまったんです」
アニメが好きな周りの友達には理解されませんでしたが、熱意はどんどん高まりました。
〝好き〟が高じて、鎧など歴史上の装束をデジタル上に3Dで描く技術を、独学で習得。その腕前が評判となり、欧米などからも戦国時代のモデルを描いてほしいと注文が来るほどになりました。
そんなrdanchoさんには、憧れる鎧がありました。「最上腹巻(もがみはらまき)」です。
rdanchoさんは、「ちょっと語って良いですか?」と前置きして、これまで大河ドラマなどで多く描かれてきた戦国時代の鎧は、実は、戦国時代の終わりごろに登場した形で、最新の研究では、この最上腹巻が多く使われていたのだという説を熱弁してくれました。
「なので、私は歴史上、この〝最上腹巻〟が貴重だと思っているのですが、ほとんど現存しておらず、日本でも忘れられかけているのです」
そこでrdanchoさんは、こう思い立ったそうです。「ないのなら、作ってみよう」
筆者も恥ずかしながら、「最上腹巻」は初めて知ったため、所蔵している名古屋市の名古屋城調査研究センターの原史彦さんに「そんなに特別なのか?」と聞きました。
原さんは第一声で「相当マニアックな方ですね」と笑います。
通称〝最上胴〟と呼ばれる、山形地方で作られた鎧だそうです。小さな小札(こざね)を横に並べて、上下で紐でつなぐタイプで、源平合戦までに主流だった大鎧とは大きく形が変わりました。より利便性が高くなったものの、作るのに非常に手間がかかるため、戦国時代の後半では一枚の板を横に渡すタイプに変わっていくそうです。
「日本でも知っている人は限られていると思います」
さて、「最上腹巻」の復元に邁進し始めたrdanchoさん。頼りにしたのは日本からの一次情報、「EMAKI(絵巻)」でした。庶民の暮らしや町並み、戦いについて多くの情報が描かれていました。また愛好家たちの様々な日本の時代考証のブログも読みあさりました。
集めた情報をもとに、まず、3Dでデジタル空間に「最上腹巻」を復元しました。
そして、インドネシアの歴史愛好家の中で、外国の鎧を作ったことがある友人に「実際に作れる?」と相談。市場を巡って、鉄片や皮など材料を探し、何度も試作しました。
ちなみに、rdanchoさんが身につけている装束は「ほぼ現地(インドネシア)調達」と言います。インターネット通販で日本から買ったのは烏帽子などごくわずか。
着物やはかまは、「剣道」の人気が高いインドネシアでは剣道着を作る業者がいるので、特注したそうです。当時の硬い質感の布を市場で探して、自分で型染めを施しました。
「わらじは、日本から大正時代のものを輸入して、それを参考にインドネシアで作りました。もともとこっちにも、似たようなものがありますから」
試行錯誤を、半年間重ねて、昨年、ついに納得のいく「最上腹巻」を〝復元〟させました。働いて貯めた約3万円を費やしました。
当時の小柄な日本人に合わせて小さめの最上腹巻は、身長165㎝のrdanchoさんが試着すると「ぴったり!」。実際に着ることで、想像以上に動きやすい物だったことが分かりました。
最上腹巻をつけて、素足にわらじを履いた写真をSNSにアップすると、日本人以外から「鎧は完璧なのに、なぜ足袋をはかないのか?」などと指摘されることがあります。
そんな時、rdanchoさんは「それこそが日本の歴史であり、私が日本の歴史に向き合っていることを象徴するものだから」と答えるそうです。
争いが絶えなかった室町時代、必死で生き延びていた村人たちは質素な身なりで、素足は当たり前、舗装されていない草が生えた道を歩くのもこの丈が実用的だったーー。当時の人々の暮らしを学ぶと見えてくるようになるそうです。
上半身裸で鎧のみを身につける時は、一瞬、恥ずかしさを感じたそうですが、〝現代人〟の感覚を捨てきれなかった自分を戒めたと言います。
「現代人が『こうあるべき』とイメージするものとは相反する〝不完全さ〟があることこそ、可能な限り本物に近い〝生〟の歴史を描くということ。日本の歴史は日本の歴史で、私たちが勝手に取捨選択してはいけないのです」
rdanchoさんはXで、戦国時代以外にも装束を再現しています。リエナクト(歴史の再現)をする海外の人たちに誘われ、最初に取り組んだテーマは「大日本帝国陸軍」でした。
インドネシアでは、第二次世界大戦中に日本に占領統治されていたため、年配の人では日本の軍歌や日本語をそらんじている人もまだいます。
rdanchoさんは「確かにインドネシア人の中にはその時代への複雑な気持ちを抱いている人もいます。でも私や私の仲間は『歴史は歴史』だと思っています。インドネシア人としてすべての歴史の側面を学び、深めたいと思っているのです」と話します。
rdanchoさんに今後の抱負を尋ねると、こう話してくれました。
「私はインドネシア人だけど、日本の歴史は私の人生です。歴史を学び、深めたことを、具現化して、たくさんの人と共有できればと思っています」
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