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続く断水「風呂なんて夢やなぁ」頭から離れないひと言…社長は動いた
能登半島地震から1カ月以上が経つ今も、石川県内では複数の地域で断水が続いています。
そうした地域の一つである七尾市には、地域住民が無料で使える「お風呂」を作った男性がいます。断水が続く町で、どうやって大量の水を確保したのでしょうか。オープンまでの経緯を取材しました。(朝日新聞デジタル企画報道部・武田啓亮)
1月31日の午後、七尾市松本町の住宅街の一角に、ひとり、またひとりと住民が集まってきました。着替えやタオルなどを手に持ち、まるで銭湯にでも向かうように見えます。
列の後をついていくと、オレンジ色の木造の小屋が現れました。入り口には湯気のマークのれんがかかり、「仮設かけ湯ご利用時間案内」という貼り紙があります。
「この時間は女性だと聞いたんですけど、もう入って大丈夫ですか?」
「どうぞ、準備できていますよ」
入り口前で住民に対応していた篠原雄一郎さん(46)が、この仮設の入浴施設の発案・設置者です。
「午後1時から午後9時半まで開放しています。時間で男女を分ける入れ替え制でやっています」
料金は無料。一度に8人まで利用することができます。
入り口から中に入ると、靴置き場になっており、カーテンの向こうには脱衣所があります。
脱衣所からさらに奥に進むと、浴室があります。
お湯がたっぷりと入った浴槽を取り囲むように、イスと手桶が8つ並んでいます。
「最後まできれいなお湯を使ってもらうために、浴槽の中には入らず、手桶で体にお湯をかけてもらうやり方にしています」
直接湯に浸からなくても寒くないよう、浴室の中はストーブで暖められていました。
また、順番待ちをする人のために、浴槽がある小屋の横にはストーブ付きの待合室もあります。
「最初は自衛隊の入浴支援のように、テントを使って簡易的なものにするつもりだったんです。積雪対策や寒さ対策を考えるうちに、どんどん大がかりになってしまって」と篠原さんは笑います。
篠原さんは木材の加工・貿易業を専門とする会社の経営者です。
本社は東京都にありますが、妻・志津栄さん(50)の実家がある七尾市に帰省していて地震に遭いました。
「最初の3日間は、飲み水と食べ物が確保できるかという不安が大きかった」と振り返ります。
その後、災害支援物資が到着するなどして「命の危機は脱した」とき、「木材を加工する会社として、なにかできることはないか」と考えたそうです。
「最初は、屋根が壊れた家に雨漏り対策のブルーシートをかけるといったボランティアをしていたんです」
今、どんなものがあると嬉しいか。住民同士でそんな話をしていたとき、町会長の髙澤知明さん(69)が、ふとこぼしました。
「風呂があるといいけど、風呂なんて夢やなあ」
その一言が頭から離れなかったという篠原さん。
「断水はいつまで続くか分からない。移動手段が無く、自衛隊の入浴支援を受けられない人だっている。だったら、俺たちで風呂を作ってみたらいいんじゃないか」
木造の建物なら、篠原さんの専門分野です。埼玉県にある自社の工場から必要な資材を運び込みました。
工期短縮のため、あらかじめ裁断・加工された木材を使う工法を採用。
1月12日に小屋の組み立てを始め、14日には仮設の入浴施設のオープンにこぎ着けました。
湯を沸かすためのプロパンガスや電装系の資材などは、篠原さんの知り合いの会社や地元の業者などからも協力があったといいます。
「多くの人の協力のおかげで、アイデアを実現できた」と話します。
しかし断水が続くなか、風呂に使う水はどうやって確保しているのでしょうか。
篠原さんによると毎日6トンの水が必要で、「水の調達には一番苦労しました」といいます。
最初の1週間は、3トンの水を運べる給水車で富山県の水道局まで出向いて水を運んでいました。
「往復3時間の道のりを2往復。毎日6時間以上かけて水をくんでいました。あれを続けるのは、正直しんどかったです」
その後、被災して営業休止中の市内の銭湯「ことぶき湯」が、無事だった井戸水を住民向けに無料で提供しているという話を聞き、そこから水をもらうことにしたそうです。
「本当に助かりました。これで、かけ湯を続けていける目処が立ちました」
篠原さんは、仮設の入浴施設をつくった理由を「誰かの役に立ちたいという思いもあるけれど、一番は、自分もお風呂に入りたかったから」と話します。
震災から1カ月、東京で仕事をしながら、合間を見ては被災者の手伝いや小屋の運営のために石川へと戻る日々が続いています。
「月並みですが、困ったときはお互いさま。自分にできることで助け合えればと思っています」
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