お金と仕事
一番風呂に「ごちそうさま」 下町の銭湯が迎える新年
富士山の壁絵を見ながら湯船につかり、風呂上がりには瓶入りの牛乳で乾杯――。
下町の銭湯では、今でもそんな風景が見られます。新年最初の「初湯」目当てのお客さんのために、いつもより早く開店する銭湯も。地域住民に愛される銭湯で、年明けの風景を取材しました。(朝日新聞デジタル企画報道部・武田啓亮)
東京都文京区の地下鉄本駒込駅から5分ほど歩くと、湯気の図柄が描かれたのれんがかかった木造の建物が目に入ります。
銭湯「ふくの湯」がこの場所で営業を始めたのは1972年。以来、地域の人たちに愛されてきました。
レトロな雰囲気の外観ですが、浴場のタイルは新しく、清潔感があります。
「リフォームしたんですよ。そのおかげか、それまで1日80人ほどだったお客さんが、240人にまで増えました」
ふくの湯を経営する村西彰さん(73)が説明してくれました。
銭湯を専門とする建築士に依頼し、改修作業の後、2011年に新装開店しました。
オシャレな内装から「デザイナーズ銭湯」と呼ばれるようになり、SNSなどの口コミを見た若者も多く訪れるようになったと言います。
浴室には初夢で見ると縁起が良いとされる富士山、鷹、茄子が描かれた壁絵があります。
村西さんは「実は駒込は、一富士二鷹三茄子が全てそろった場所だったんです。駒込富士神社の富士塚、鷹匠屋敷、そして地域の特産だった茄子の三つです。今で言うところの『パワースポット』というやつですね」と語ります。
富士塚とは、人工的に岩や土を盛って作る、富士山のミニチュアのようなもの。
江戸時代には信仰の対象となり、全国の神社などでこうした富士塚が作られていました。
「壁絵を見て『縁起が良いね』と言ってくれるお客さんは多いです。下町にはまだ残ってるんですよ。縁起を担ぐ江戸っ子気質が」
公衆衛生を担うだけでなく、一つの文化でもある銭湯ですが、その数は年々減少しています。
東京都のデータでは、1978年には都内に2389軒あった銭湯は、2022年には476軒と約5分の1にまで減っています。
「1970年代には文京区だけでも50件近く銭湯があったんですが、今は4件が残るだけになってしまいました」と村西さん。
銭湯が減っていった原因は複数あると言います。
一つは、ライフスタイルの変化です。
かつて、風呂が無い家が多かった時代には、多くの人が銭湯を日常的に利用していました。
一般家庭に風呂があるのが当たり前になっても、下宿している学生などが銭湯を利用する時代がしばらく続きます。
やがて、学生向けの賃貸物件でも風呂が付いていることが多くなり、日常的に銭湯を利用する人は減少していきました。
また、銭湯経営者の高齢化や跡継ぎの不在、燃料費の高騰なども影響しています。
2011年の東日本大震災によって設備に被害を受け、そのまま廃業した銭湯も多いそうです。
「うちもあの地震で機械が全部やられちゃってね。親父から跡を継いでこれからというタイミングだったんだけどねえ」と、悔しそうに語る今井由紀夫さん(58)も、震災で廃業した銭湯経営者の一人です。
今井さんは現在、ふくの湯を含む、複数の銭湯で清掃作業など、営業の手伝いをしているそうです。
「幸か不幸か、銭湯のノウハウを分かっている人が年々少なくなっててね。引く手あまたなんですよ」。そう笑って話す今井さんは、少し寂しそうでした。
ふくの湯では、1月2日から新年の営業を始めました。普段、平日は午前11時の営業開始ですが、午前8時からに早めました。
「早く開けて欲しい常連さんが多いですから、期待には応えたいですよね」と村西さんは話します。
取材で訪れた12月末も、開店の20分ほど前から年配のお客さんが3人ほど並んでいました。
午後になると、初詣や初売りなどで出かけた人が、帰りに汗を流そうとやって来ます。
「最近は着物姿の若い人も見るようになりましたね。『レトロな感じがいい』と雰囲気を楽しんでいる人も多いみたいです」
村西さんは客層の多様化を受けて、細かな工夫もしています。
例えば、自販機の中身。
定番の瓶入りの牛乳に加えて、缶ビール、ラムネに甘酒、野菜ジュースなどの一風変わったラインナップが目をひきます。
「お客さんの好みに応えたり、『こんなのもどうだ』と思うものを入れたりしたら、こんな感じになっちゃうんだよね」
若者から高齢者まで、一人暮らし世帯が増加する中、銭湯にはコミュニティとしての役割もあると話す村西さん。
高齢者の孤独死などのニュースに心を痛めていると言います。
「一人じゃない時間があるっていうのは、下町の良さ、銭湯の良さだと思うんですよ。帰り際に『さっぱりしたよ、ごちそうさま』と言ってもらえると、こっちも嬉しい」
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