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特別支援学校を卒業したあと「18歳の壁」、息子の居場所は…悩む親
重度障がい児を育てながら働く
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重度障がい児を育てながら働く
肢体不自由など重度の障がいがある次男は特別支援学校高等部2年生。卒業後は学校はもちろんのこと、これまで利用していた放課後等デイサービスが使えなくなるといった「18歳の壁」に直面します。元看護師でいまは特別支援学級の支援員として働く母親は、新たな居場所探しに奮闘しています。
大阪市に住む元看護師の50代女性がいま抱える一番の悩みの種は、特別支援学校高等部2年の次男(17)が学校を卒業した後、どこでどのように過ごすか、いわゆる「18歳の壁」といわれる問題です。
「これまで通っていた特別支援学校と放課後等デイサービスという居場所が、すべて使えなくなってしまうんです」と女性は語気を強めます。
早産だった次男は、生まれて半年後に左目が見えなくなり、口からの食事が難しいため3歳から胃ろうにしています。知的発達の遅れもあり、1歳児程度の理解度といわれています。
自分で立つことはできませんが、歩行器を使えば歩くことはできます。ただ、長い距離は難しいため、外出の際には車いすを使っています。家の中は寝返りでテレビの前まで移動して、大好きなスポーツ番組やお笑い番組を見て過ごすことが多いそうです。
平日は特別支援学校のバスが毎朝8時半に家の近くまで迎えに来ます。放課後は毎日違う放課後等デイサービスに通っています。帰りは午後5時から5時半ごろです。
放課後等デイサービスは、小学部のころは1カ所でしたが、重症心身障がい児に対応する事業所が増え、リハビリや入浴サービスを提供するところや土日祝日も開所しているところなども選べるようになったため、いまでは5カ所になりました。
女性は看護師として病院でフルタイムで長年勤務していましたが、椎間板ヘルニアを患ったため、その後は近所の診療所でパートで働いていました。そのころに次男の切迫早産で緊急入院が必要となり、出産後には復職するつもりで退職しました。
しかし、次男は生まれた直後から新生児集中治療室(NICU)に1年間入院となり、退院時は酸素吸入が24時間必要で、経管栄養胃チューブも使用、てんかん発作もあったことから、女性は復職せずに在宅看護に専念することにしたそうです。代わりに夫は仕事に専念するという役割分担が自然とできたといいます。
次男が特別支援学校の小学部に入学してからは、次男が通っていた放課後等デイサービスと同じ系列の事業所で看護師として週に2、3回働くこともありましたが、いまは地元の小学校の特別支援学級で支援員として週3回ほど働いています。
「いまの特別支援学校と放課後等デイサービスの組み合わせは、次男にとっても自分にとってもベスト。特別支援学校卒業後もできるだけ同じような生活リズムで過ごせるようにしたい」。女性は次男が小学部のころから先を見越してさまざまな施設を見学したり、講習会や保護者同士のグループに参加したりして、情報収集に努めてきました。
特別支援学校卒業後に次男の居場所となり得るのは、比較的重い障がいがある人に介護サービスなどを提供する通所型の生活介護事業所だと女性は考えています。ただし、選択肢はかなり少ないのが実情です。
次男が通う特別支援学校が、卒業後の行く先候補となる一覧を用意してくれましたが、名を連ねている約80の事業所のうち、生活介護を提供しているのは60ほどで、そのうち女性の自宅を送迎エリアとする事業所は半分。その中でも医療的ケアと入浴サービスを提供するのは10事業所に満たないそうです。
選択肢が限られる上に、次男が卒業するときに希望する事業所の定員にちょうど空きがでなければ利用することはできません。
しかも、事業所に運良く空きがあったとしても、生活介護のサービス提供時間は、午前9時ごろから午後3時ごろまでという事業所が多く、利用者は午後4時ごろには帰宅となるといいます。
障がい児の育児と仕事の両立をそれまでなんとか続けてきた親でも、早く帰宅する子どもにあわせて毎日業務を早く切り上げるのは難しく、18歳の壁を前に仕事を辞めざるをえないというケースが少なくありません。
そんな状況を打開するために、「いま一番力を入れていることがあるんです」と女性が教えてくれました。それはその日の生活介護を終えた利用者が、家に帰る前に過ごす場所を作ること。「寄り道サロン」と名付けた構想です。
障がいのある人だけでなく、学校に行き渋っている子など、だれでも利用できる居場所にしたいと考えているそうです。床にマットを敷いて寝ころべるようにすれば、次男のような肢体不自由がある人も過ごせます。
実際に、地元の社会福祉協議会とも連携しながら、多目的レンタルスペースの所有者と前向きに話を進めているといいます。
細部はまだこれから詰めていく必要がありますが、「寄り道サロンが実現すれば、生活介護からの早帰りに対応できるようになり、親が仕事を続けられる。仕事をしていない親にとっても、夕方に自分だけの時間が作れれば、息抜きになる。サロンの受付の仕事を障がいのある子たちにやってもらうのもいいかもしれない」と夢はふくらみます。
障がい児をとりまく状況を振り返ると、重度の障がい児が学校に行きたいと思っても、就学猶予や就学免除の名目で入学が認められず、教育を受ける権利が奪われていた時代がありました。
いま、全国各地に特別支援学校が整備されて「当たり前のように」学校に行けるようになり、放課後等デイサービスも利用できるようになった背景には、「先輩である障がい児のお母さんたちが声をあげたことが大きかった。自分の子どもが利用するには間に合わなくても、後に続く人たちのためにやってくれた」と女性は言います。
障がい児の親でも働き続けやすい状況へと改善していくためにも、「まずは寄り道サロンをどこでも当たり前のものにしたい」。そうすることで、先輩たちの努力を引き継いでいきたいと女性は考えています。
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