連載
#10 #令和の専業主婦
医療的ケア児抱え、転勤に帯同する主婦…それでも始めた早朝パート
「自分の名前を書くことがほとんどない」
海外含め、10年で転勤4カ所、3人の子どものうち一人は医療的ケア児――。日々の家事育児に加え、通院など、めまぐるしく過ぎていく毎日の中でも、早朝のパートをする女性がいます。お金だけではない、「パートをする理由」を聞きました。
長野県で夫と3人の子どもの5人で暮らす瞳さん(35)は、結婚した10年前からほとんどの時間を専業主婦として家族のケアにあたってきました。
結婚前は飲食店などのバイトと、幼少期から続けていた演劇関係の活動を両立させていましたが、結婚を機に、大学までを過ごした熊本を離れ、大阪へ。そこで正社員の職を見つけましたが、夫の転勤に伴いやめざるを得ませんでした。
当時も「できれば働き続けたかった」と考えていた瞳さんでしたが、親戚からは「(転勤に)ついていくのが当たり前」「別居なんて旦那さんがかわいそう」との声。当時25歳の瞳さんは、夫の転勤に帯同するため専業主婦の道を歩み始めました。
ただし、その後も瞳さんの頭に常にあったのは「自分でも稼ぎたい」「できるなら正社員として外で働きたい」。しかし、数年ごとにある夫の転勤に帯同する真島さんが正社員の職に就くのは、至難の業でした。
「働きたい」という思いを抱えながらも専業主婦としての生活が続き、慣れない土地での子育ても必死に取り組んだ数年間。4年前には第3子(次男)を出産しましたが、医療的ケアが必要な障害を抱えています。そのことで、働くことからはさらに距離がひらいていきました。
夫のタイ赴任への帯同中に妊娠がわかった次男。日本での出産に備えて帰国し、国内の病院にかかった際、「赤ちゃんに栄養がいっていない」と告げられました。
予定よりも数週間早く出産したため、出生体重は1900グラム台。食事は3歳のときに造設した胃ろうからとることがほとんどですが、最近は口から食べる練習もしています。言葉はなかなか出ませんが、つかまり立ちを始めたり、これまで母子で通っていた療育園(障害のある子への治療と教育を一緒に行う施設)でも、一人で時間を過ごすことが増えるなどの成長もみられます。
次男はいまも3つの病院に、それぞれ月数回ずつ通っています。
「近くの病院では医療機器の交換、片道1時間の病院では胃ろうのパーツ交換やアレルギー検査、リハビリに通っている病院も片道1時間かかります」
つい最近まで療育園には母子同伴で通っていたため、次男とは常に行動を共にしつつ、9歳の長女、7歳の長男が小学校から帰宅してからは、3人の子どもたちと過ごす日々です。夫は仕事が多忙で、帰宅が遅い平日は、育児や家事を担うことはほとんどありません。
「家事は適当にする方ですが、それでも時間がなさ過ぎて、洗濯物はコインランドリーで乾燥まで終わらせることもあります」
めまぐるしく過ぎる毎日。日々の家事育児だけでも精いっぱいのはずですが、瞳さんはタイから帰国した2年前から、土日限定で、ファミレスのモーニングの時間帯に働き始めました。
以前から「働きたい」と夫にも伝え続けていた瞳さんでしたが、3人の子どもの育児があり、平日の日中は「ノンストップ」。現実的ではありませんでした。それでも「無理やり働き始めたって感じですね」と真島さん。
タイにいた頃は、周りに専業主婦の友人が多く、話題も合いましたが、帰国すると周囲は共働き家庭が多く、「しゃべれるママ友」を作ることができませんでした。
加えて、家ではほとんどワンオペ育児のため、会話が基本的に子どもたちとだけになってしまうことも。「子どもたちと遊ぶのは楽しいのですが、それだけになってしまうことへの不安感がありました」。「これ以上社会に出なかったら、本当に出られなくなる」という焦りもあったといいます。
帰国してから、孤立感を深めていった瞳さんは、以前から強く希望していた「働く」ことで、生活を安定させようと行動に出ました。
2年前のある日の夕食時。家族で食卓を囲んでいるときに、瞳さんは夫に「申し訳ないけど、働かせてほしい」と涙ながらに伝えました。
「言うのには勇気が必要でした」と振り返りますが、瞳さんが外で活動することが好きなことを理解してくれていたという夫は、瞳さんの訴えに、「協力してやっていくしかないよね」と応じてくれたといいます。
瞳さんはいま、土日の午前6時から9時ごろまでのモーニングの時間帯を中心に、パートタイムで働いています。その間、次男のケアは夫が担います。
「最初は、自分に何ができるんだろうかと不安に思う気持ちがありました」と言いますが、同時に、「『戻ってきた』という、うれしさがあった」といいます。
今後、次男の療育園での生活が軌道に乗ってきたら、平日にもシフトを入れたいと考えています。
結婚してからこれまで、自分が名乗ってきた「専業主婦」という存在について、瞳さんは「本当に地位が低いと感じる」と訴えます。
次男の4時間おきの胃ろうでの食事のお世話をしたり、病院スケジュールの調整をし、行った先々で次男の状況を一から丁寧に説明したりしても、報われない感覚があります。「働いている方が、感謝される機会が多いですもんね」
中でも瞳さんが一番ショックだったというのが、役所での書類手続きです。
瞳さんは次男の障害に伴う公的支援を受けるため、様々な手続き書類を書くことがあります。その際、瞳さんが保護者欄に書くのは、基本的に世帯主である夫の名前です。
「これだけがんばって子育ても家事もやっても、自分の名前を書くことがほとんどないのはショックです」
「社会全体として、『専業主婦は楽でいいよね』というイメージがあると思います」と瞳さん。実際、友人や親戚からも「仕事をしなくていいのはうらやましい」「あこがれる」と言われたこともあります。
「やってみるとわかると思いますが、育児も家事も終わりがありません。それをこなしていても、自分で稼げないつらさを感じてしまいます」
そんな中、少しの時間でもパートとして働くことは「ストレス発散になっている」といいます。これから教育費など、ますます子どもたちへの出費も増える分、パートで得た収入を生かしたいとも考えています。
瞳さんのお話をうかがい、私は「パート従業員」という職業にどのようなまなざしを向けてきただろうかと自問しました。
「無理やり働き始めたって感じですね」という瞳さんの言葉が象徴するように、医療的ケア児を含む3人の子育て中でも、無理やりにでも「外で働く」ことでしか得られないものがあると瞳さんは感じているように思います。
ここまで切迫した思いをもって働いている方のことを、私はどこまで想像できていたでしょうか。
瞳さんが専業主婦として過ごす毎日だけでは補いきれないものがあるからこそ、彼女が求める限り「働く場」の確保は絶対だと感じます。
一方で、もし専業主婦としての毎日に他者からの正当な「価値付け」がされたら、それは彼女が「無理やり」働かなくても、補えるのかもしれない。そんなことを考えました。
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