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「否定しないでほしいだけ」 Z世代「にしな」さんと考える多様性
自分たちの概念を作った「陰謀」とは
東京五輪・パラリンピックでも大きく打ち出され、「多様性」が特に注目された2021年。
でも「これから」を生きていく世代に「多様性が叫ばれる社会」はどんな風に映っているのでしょうか。
2021年にメジャーデビューし、天性の歌声で注目された「にしな」さん。多様性を歌った「U+(ユーアンド)」や、多様な愛をテーマにした「夜になって」などの楽曲を次々と発表しました。
自ら歌を作り、曲に乗せて発信するにしなさんと、これからの「多様性」について話しました。
《メジャーデビューした2021年、にしなさんがデジタル配信リリースした「夜になって」では、同性愛など多様な愛が描かれます。2年前にもYoutubeで弾き語りの様子を公開。デビュー前の19歳ぐらいの時に作った曲だといいます》
――「夜になって」は、実はリリースされる2年前にも、YouTubeで弾き語りの様子が公開されています。いつの段階で作られたんですか?
(デビュー前の)19歳ぐらいの時だと思います。YouTubeで動画を出す前から、ライブでもやってきました。
――公開されたMVでは、同性愛や、異なる年齢での愛など、さまざまな愛し合う人たちが描かれています。曲を作ったきっかけを教えてください。
日常のふとしたとき、その当時付き合っていた恋人と、いろいろな愛について話したんです。
その中で、元恋人が同性愛について偏ったことを言っていて。元恋人はそれが正しい情報だと思い込んで、悪気なく話しているんです。もちろん、間違った情報なんですが。
当時の私は、「なんで人が人を好きになる純粋な気持ちを、そうやって言えるんだろう」とショックで、理解ができなかった。すごく嫌な気分になって。
うまく伝えようとしても、感情が高まっていたのでわかり合えなくて。一人になって冷静になったときに、曲にしようと思って書きました。
――曲にしたのはなぜですか。
自分ができる一番の感情表現。普通に人と会話するときも考えますけど、私が自分自身と一番向き合うのは、歌詞を書いている時です。
「人は、誰のために人を好きになるんだろう」とか、「愛ってなんなんだろう」と自分で考えられる場所だった。
2日ぐらいで書いて、1度冷静になって、曲を整えていった気がします。
――性的マイノリティーの人について、それまで考える機会はあったんでしょうか。
きっと、友人にもいろんな子がいたんだろうなと思います。具体的に「誰が誰を好きなのか」は分かってはいなかったけど。
たとえば高校は共学でしたが、「あの子は(戸籍上の性別は)男だけど、男の子が好きなんだろうな」ということが、みんななんとなく分かっていて。でも、特にだれかが何かを言うこともなく。
普通にそこにいるという感じでした。
――そういう時代って「恋バナ」的なものが出るのでは?
そういう話題もありましたが、なんていうんですかね。そういう子もいるけど、誰も、他人をそんなに否定することもなく。
ありがたいことに、そういう環境でした。
――それは、授業で習っていたとか、前提として知っているから、ということでしょうか?
何かを教えられたということではないのですが、振り返って思うのは、自分より先に生きている「先輩たち」が、マツコ(デラックス)さんとか、テレビで活躍なさっていて、みんなマツコさんのこと好きですし、それが変なことじゃないというか、自分たちの中で当たり前になっているから、違和感を覚えるということが、あまりなかったんだと思います。
大学入学後に、短期間の異文化交流みたいな感じで(東南アジアの)タイに留学しました。
タイは日本よりも複雑なジェンダーがオープンにされていました。そしてそれをみんな尊重して、自分を大切にしながら、尊重し合いながら生きている姿を見て、より強まった感情でした。
留学したのが「夜になって」を作る直前ぐらい。
――そういう時期でもあると、なおさら、元恋人の言葉には違和感を持ちますね。
伝える努力はしました。くみ取ろうとする努力もしてくれたと思います。ただ、最終的には関係は続きませんでした。
――わかり合えないこととぶつかりながら、コミュニケーションを取ることも、社会の多様性なのかもしれません。ただ世の中にはまだ「またジェンダーか」と毛嫌いする人もいます。メジャーデビューした年に歌うことに、ためらいはなかったですか。
私の考えが足りなかったのかもしれないけど、悩むことはなく、出したいと思って、出せました。
分かってほしくて曲を書いたんですけど、全世界の人に分かってほしいわけではなくて、否定しないでほしいだけなんだなと、感じていました。
――「夜になって」を作った19歳の頃から、メジャーで発表した23歳までの間に、にしなさんの中で変化した事はありますか?
当時から、私は「自分が好きだと思う人を好きになりたい」、「ほかの人も、人を好きになる気持ちを誰かに邪魔される必要はない」と思っていて、その気持ちはずっと変わっていません。
大学ではメディアとジェンダーについて研究するゼミナールに入っていました。そこでの学びも大きかったと思います。
ゼミでは、「自分たちの中でできあがっている概念はどうやって作り上げられてきたのか」ということを歴史から学んで、それをこの先にどうつなげていくかということを考えていました。
昔から何となく、「何かに分けられること」に対して違和感がありました。小学生のころはスカートをはくのがいやだったりとか。
それが成長していくなかで、私は「○○らしく」という風にカテゴライズされることが嫌なんだと気付いていきました。
――「○○らしく」っていうカテゴライズは、性的役割分業を押しつけることに限らず、さまざまな人の生きづらさにもつながっている気がします。にしなさんの歌は、さまざまな立場を追体験できるような感じを覚えました。
19歳で曲を作った後、卒論でその曲に映像を付けたんです。その時、意識したのは見た人が「感情を体験できるものになってほしい」ということでした。
そのためには、その人の立場に立った目線と、1歩引いたところから見る視点の両方が加わることが必要だなと考えていました。
――「感情」を体験する。
人から何か言われるよりも、自分で体験した方が、考えを変えることにつながると思っていて。
そういうことを「嫌だな」と感じる人がいたとしても、もしこの曲で当事者の感情を体験できたら、否定することが少し減るかもしれない。
――その卒論の映像、見てみたい!
誰しも生活の中にあるシーンを集めていきました。
ここ(自分の視界)から見える景色だけを撮って。
なまなましいけど、美しさがあるものにしようと思いながら制作していました。
発表はせず、ゼミナール内で見せただけで、あまり良いものではないかもしれませんが(笑)
――「夜になって」で印象的なのが、歌詞の「もしも人類が絶滅したとしても私はかまわない」という言葉。どういう思いを込めたのでしょうか。
「『男性と女性は恋愛をするべき』で『しなくちゃいけない』ものなのだとしたら、それは何でなんだろう」と考えたんです。
それは「子孫を繁栄させるため、人間を絶滅させないためなのかな」と感じました。そうであるべきなのかもしれないですけど、私はそうじゃなくて良いと思ってしまっているので。
「もしもいつか人類が絶滅したとしても、自分が好きな人を好きでいたい」という表現になりました。
――「○○らしく」「○○すべき」を押しつけなければ成り立たない社会でいいのか、考えさせられました。一方で、いまだに伝統的家族観が根強い日本で、その思いを歌うことで、生きづらくなったりはしないですか。
あまり感じてはいないですね。歌う内容で自分が縛られるというのは。
――今年はCMの書き下ろし曲として「U+(ユーアンド)」も発表しています。多様性をテーマにした歌詞では、《秘められた真実を 神様の悪戯を 今世紀最悪な噓を この時代に暴きたい》と歌っている。強いメッセージだなと思いました。この「陰謀」という言葉は、にしなさんが大学で考えていたことと通じている気がします。どんな思いを込めましたか。
もちろん、神様の陰謀みたいなものもあります。「なんで男と女として生んだんだろう」ということから始まり、「陰謀」ということばでまとめてしまいましたが。
でも人間がしてきたことで言うなら……。例えば「男性が強くて、女性の方が弱い立場」というのがいまだに残っているのは、(社会が)組み込んできた「陰謀」かもしれない。
男性が女性を好きで、女性が男性を好きであるべきというのも、誰が決めたか分からない、仕組まれた「陰謀」かもしれない。
「女性らしさ」っていうのはなんなのか。男性誌で女性がヌードになったり、逆に女性誌で男性がヌードになるのは何でなんだろうかとか。
難しくて簡単には言えないですけど。
いろいろなところに、今の自分たちの概念を作り上げてきた要因があるなと思って、それを総称して「陰謀」と書きました。
――社会を繁栄させるためなのか、誰かが作ってきたカテゴライズに縛られて生きている……。でも、知らず知らず、それが自分たちの価値観になって、「○○するべき」という焦りや生きづらさにつながっている……。
だから私は、自分が何か分からなくなったら、空が広いところとか自然を感じるところにいって、「私ってすごくミニマムなんだな」って感じて、好きなように生きようと思うことが多いです。
――誰かの「○○らしく」を、監視しあって、足をひっぱりあっている社会のように感じます。それを変える視点を届けたいと筆者もいつも悩んでいます。発信者としてのにしなさんは、「U+」の歌詞にあったように、今後なにを「暴きたい」と思いますか?
難しいですけど、志高く、「暴いてやるぞ」という感情で曲を作っていくかと言われるとそうじゃないかもしれない。
でも、自分自身の中から生まれる感情だったり、例えば人と意見が違って「それは違うんじゃないか」って思った時の感情だったりは大切に作品に残していきたいです。
それを発信したときに、世界は変わらなくても、誰かにとって「自分の曲」になったら、私にとってしあわせなことだなと思います。
あと、曲作りから離れた部分でいうと、いつか「多様性」という言葉すらも誰も言わなくなるような時代がくるんじゃないかなと思っていて。
――「多様性」という言葉がなくなるというのはどういうことでしょうか?
「多様性でなきゃいけない」という意識すら、すごくとらわれているなと思うので。
例えば日本人とアメリカ人って、もちろん育った環境も言語も違うけど、(同じ日本人でも)私とマネジャーがまったく違うように、「違い」というのは誰の間にもあるものだと思います。
1対1で見たら、みんなばらばら。それが当たり前だと分かれば「多様性」という言葉すら必要なくなるときがくるんじゃないかなって。
それは、私が生きている間か死んだ後かは分からないですけど、理想論的で、他人任せかもしれないけど。
私は私が思ったことを発信していくことがすべてだし、それしかできないかなと思っています。
――みんながばらばらと分かれば、違うことも「否定されない」。わかり合う、というのはそういうことなんでしょうか。
わかり合わなきゃいけないタイミングもあると思うんです。
でも理解できなくても、「私は私でこういう風に思うし、あなたはあなたでそれで良いと思うよ」っていう形でいたい。
――そこを目指せたらいいですね。この時代に。にしなさんのご活躍に期待しながら、私も私なりに、字で頑張りたいと思います。ありがとうございました。
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