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「電気より食べ物を優先」俳優・大東駿介さん〝育児放棄〟された過去

ドアを突き破ってくれた親友

壮絶なネグレクトの過去を話す俳優の大東駿介さん
壮絶なネグレクトの過去を話す俳優の大東駿介さん

目次

小学3年生で父親、中学2年生のときに母親がそれぞれ蒸発。ネグレクトの家庭で育った、俳優の大東駿介さん。なかなか「助けて」とは言えない当事者としての心境や、前を向くために諦めたこと。そして、今虐待に苦しむ人たちへのメッセージを、笑下村塾のたかまつなながYouTubeでインタビューしました。

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「俺は普通の人じゃなくなったんや」、育児放棄された自分を憎んだ

――大東さんは、ネグレクトに遭われていたとお聞きしました。ネグレクトも児童虐待の1つですが、いつ、どういう虐待に遭われてたんですか。

大東:
当時は虐待と認識していたわけではないのですが、小学校3年生ぐらいのときかな、父親がいなくなって。母親の井戸端会議で、両親が離婚していたことを知り、親戚からは父親は失踪したのだと聞きました。

中学2年生になると、今度は母親があまり家に帰ってこなくなりました。家はもともと自営業で、クリーニング屋さんをやっていたのですが、店も休みがちになって。階段に500円とか1000円を置いて、いなくなる。最初は1日おきに帰ってきたのが、2日に1回、1週間に1回と間隔が空いて、どんどん会わなくなりました。


――中学2年生で、家にひとりきりになったんですか?

大東:
そうです。うちの店に落ちている小銭やレジのお金を集めて、コンビニでお菓子を買うことで、何とか食いつないでいました。

でも10円を10枚握りしめてお菓子を買いに行くのが恥ずかしくて。その姿を人に見られたくなくて、だんだん夜中に活動するようになり、次第に学校にも行かなくなりましたね。


――学校にも行かなくなったのですか。

大東:
まずお昼に食べるお弁当がない。食べていないことをばれないようにしながら、学校にも行っていたんですけど、限界が来て。学校に行かなくなった頃に、家のライフラインが止まり始めました。

電気がなくても生きていけるなと思って、電気は止めたまま食べ物のほうを優先した。そんなことをしていると心がどんどん貧しくなっていって、自分のことが恥ずかしくなるんですよ。「俺は普通の人じゃなくなったんや」みたいな。

で、ついに家から出なくなりました。電気が止まると、夜が怖いんです。覚えているのは、僕の家の1階に、でっかい全身鏡があったんですよね。僕はその全身鏡に映る自分に向かって、「殺すぞ」ってずっと叫んでたんです。それを聞きつけた近所のおじさんが、ドアを開けて入ってきて。


――なぜ自分に「殺すぞ」と叫んでいたんですか。

大東:
自己否定でしょうね、きっと。いろんなことを恨んでいたけど、なぜか自分のことも憎んでいた。実は、こういうエピソードも長らく忘れていたんです。最近、自分の過去の話を人にする機会が増えたので、僕を引き取ってくれた叔母にインタビューをして。話を聞く中で、思い出した記憶です。

ドアを突き破って、助けてくれた親友たち

――叔母さんには、いつ頃引き取られたのですか。

大東:
高校入る前あたりだったかな。中学3年生の頃だったと思います。


――よく1年間も、その生活に耐えられましたね。

大東:
いつも5人組でつるんでいた親友が助けてくれました。引きこもって学校に行っていなかった頃に、毎日「大東、遊ぼう!」って声をかけにきてくれて。それでも僕が出ないでいたら、家のドアを突き破って入ってきた。

以降、僕の部屋を秘密基地みたいに使い出して。そのうちの1人が、お笑いコンビ「金属バット」の小林圭輔です。


――自ら助けを求めて、その場から脱出することは難しかったですか?

大東:
難しかったと思います。これは人それぞれですが、当事者って「なんでこんな目に遭わなあかんのやろ」とは思うけど、客観的に「これは虐待だ」とは気づきにくい。助けを求めようにも、何をしてほしいかが分からないんですよ。

僕も当時、電気が止まったまま夜を迎えると、布団から指先1本でも出ているのが怖かった。でも朝になって、これでやっと外に出られるって思うと、今度は街の雑踏が怖くなるんです。会社や学校に行く人の声が、自分を孤独にさせるんですね。「きっとあいつらは俺のことを貧しい奴だと見て、同情してるんだろう」と、想像してしまう。

僕は親に殴られたわけじゃないから、実際に暴力を受けている人たちの気持ちはわからないかもしれません。それでも「助けて」と言うのはめちゃくちゃ勇気がいるやろな、とは想像できます。


――子どもが「助けて」と言う前に、学校や行政など、大人のほうから助け出す世の中でなければいけませんね。大東さんの場合は、周りの方は気づかなかったのでしょうか。

大東:
僕が大丈夫なふりをしていたのでしょうね。中学校の先生は何もしてくれなかったわけじゃなくて、パンを買ってくれていたんですよ。最低限の関わり方だったかもしれないけど、それだけで俺はめちゃくちゃ救われました。

親がいなくなるというのは、自分の価値を肯定してくれる人がいなくなること。助けを求めることで、さらに自分の存在価値がなくなってしまうような気がして、「俺は大丈夫やから」と思い込んでいたのかもしれませんね。

苦しい自分を「映画の中の登場人物」に見立てた

――苦しい日々の中で、こんな切り替え方をしたら気持ちが楽になった、といった体験はありますか。

大東:
ネグレクトになる前から、映画が大好きでした。大杉漣さんに憧れていて「いろいろな映画の中で、違う人生を送っているおじさんがいる」と思っていた。それで苦しい時期に、ふと「今の自分も『ひとつの作品の中の自分』と考えたら、楽になるんじゃないか」と思ったんです。

自分の価値を認めてくれる人がいなくなって、そのまま消えてしまう選択肢もあったけれど、僕は、生きることを選んだ。だったら、いろんな作品に出ては、違う役を演じる俳優のように「今この瞬間を『ある作品の中のすごい苦しんでいる人』くらいに距離を置いて、ただ通り過ぎてしまえばいい」と思ったんです。そうやって考えを巡らせる中で、俳優になりたいと思ったんですよね。

――「生きると決めた」とおっしゃいましたが、どうしてそう思えたのですか。

大東:
僕の部屋は3階だったのですが、窓辺にベッドを置いていて。夜中、何度も身を乗り出して飛び降りようとしたのですが、めちゃくちゃ怖かった。「終わりって、こんな近いんや」と思いました。多分落ちるまでは3秒くらい。たったの3秒で、苦しみも含めてすべてが無かったことになるのなら、何だか味気ないなと思ったんです。

それに、自分には好きなものがあったんですよね。たとえば漫画。俺が死んだあとも『ONEPIECE』は続いていくしな。この続きは読みたいなって。そんな些細なことで、生きると決めていいと思うんです。

――叔母さんのお宅に引き取られて以降、高校時代はお金に困らず生活できましたか?

大東:
そうですね。叔母と暮らしながらバイトもして、お金を貯めて17歳で上京しました。高校時代はめちゃくちゃ楽しかったんですよね。中学生のときは、ひとりきりでいる自分の家が、世界の全てだと思っていた。「俺はもうここから出られない」って。それが友達や叔母に連れ出してもらったら、たやすく、もっと広い世界が見えたんです。

「自分ではお金を稼ぐこともできない」って思っていたのに、叔母に「あんたバイトしいや」って言われてバイトしてみたら、意外と簡単にお金が稼げたとか。「自分は人と話すこともできない」と思っていたけど、バイト先の店長に「ちゃんとお客さんのために働け」って言われてお客さんと話してみたら、案外楽しかったとか。

自分がそれまで「ここが限界だ」と思っていたものが、どんどん壊されていったんですよね。

人の心の奥に入るのが苦手。それでもひとりで抱え込んではだめ

――虐待や育児放棄をされたことで、今に影響してることはあると思いますか?

大東:
めちゃくちゃあると思います。人の心の奥に入る勇気がない。僕は人の悩み相談に乗るのが好きなんですけど、ある人が「でも、僕は大東くんのことを何も知らないですよね」と言うんですよ。僕が自分のことは話さないから、相手の心の中に僕が入っていないと。「自分の話をしないってことは、相手からも一定以上のことを聞けないんじゃないですか」と言われて。


――怖いですか? 自分の話をすることが。

大東:
怖いっていうのが正しいのかわからないけど、自分が話をして、人が不憫な目をするのが嫌だなって思ってしまう。暗い気持ちにさせたらどうしよう、とか。僕にとっては、もう暗い過去ではないんですけどね。


――今も夜を怖いと思ったり、眠れなかったりすることはありますか。

大東:
ありますよ。あります。けど、「夜が怖い」とか「ひとりが怖い」といった気持ちそのものを、嫌なものだと捉えなくなったのかもしれません。伝わるかわからないんですが、「なんでこんなに孤独を感じているんだろう」「このマイナスな気持ちをどう解釈できるんだろう」と考えることで、自分を知ることができるんです。

俳優の仕事をしていると、新しい人間像や、僕の知らない感情を次々と自分の中にインプットしていくんですが、それと同じように、自分の中に湧き上がる感情もちゃんと見つめて解釈するようにしています。考えに考えて「今、僕はこういう感情なんだな。ま、どうでもいいけど」って思えると、けっこう救われるんですよ。


――虐待は連鎖する、といった話もありますよね。私が大東さんなら、家族を持つことすら怖いと思ってしまうのかな、とも思ったんですが。

大東:
自分にとって過去が「傷」で、その傷を隠そうとして生きていたら、連鎖する可能性があるなと思います。僕の場合、俳優をやっていてよかったなと思うのは、人としてどうかを見られるし、隠しても見透かされる仕事じゃないですか。その結果、今は周りの人に過去のことを話す機会も増えたんですよね。

自分だけで過去を抱え込まないほうがいいと思うし、せめてパートナーには話したほうがいいんじゃないかな。僕が父親として、子どもに同じことを繰り返す危険性については「ないとは思うけれど、ないと思わないようにしよう」と考えています。

父親としての責任を持った上で、「父親はこうでなくてはならない」といった像に自分自身が縛られすぎないようにしたいです。

生きるために親を諦め、亡くなったあとで父親と向き合えた

――ご両親についてお聞きしたいのですが、当時、帰ってこない親を恨んだりはしませんでしたか。

大東:
死ぬほど恨みましたね。毎日そのことを考えに考えて、ある夜、ふと布団から起き上がったときに「ああ、親も個人なんだ」と思ったんですよ。


――どういうことですか?

大東:
親は親だ、と思うからつらかった。自分と切り離せない存在だから恨んでいたんです。でも、母親が、父親がって、ずっとこだわっていても生きていけない。だから、親と自分の間に壁ができて「あの人は個人の人生を、この壁の向こうで自由に生きているんだ」と思うようにしました。そうしたら関心がなくなった。諦めたとも言えるかもしれません。


――今はご両親に対してどのような感情を抱いていますか。

大東:
母親とは、実は、高校に入学する頃に会っているんです。そのときに母から引っ越しと同居を提案されて、僕にも意地のようなものがあって拒絶した。それから会わなくなりました。母親とは今は会わない、という選択をしています。

失踪していた父親については、僕が20代前半の頃に見つかっていたことを知るんですが、そのときには会おうとはしませんでした。でも25歳くらいで「会ってみようかな」と思ったら、既に亡くなっていたんですね。遺影で父親と久しぶりに対面したときに、すごく悲しくなりました。写真を見ても父親だという実感がないんですよ。


――もう「お父さん」とは思えないほど、いち個人として割り切っていたということですよね。

大東:
そうです。それくらい割り切らないと、前に進めなかったんでしょうね。ただ、亡くなったあとに、父親がこれまでどのように生きてきたのかを調べたんです。父親のことを生前以上に知ったとき、遺影の中の顔とは異なる父親の姿が、はっきりと目の前に現れたような気がしました。

不思議だけど、亡くなってからのほうがお父さんのことを好きだし、自分の父親だと感じます。これってつまり「自分がどう思うかで世界は一変する」ということだと思うんですよ。相手や出来事に対して、自分がどう見て、どう思うかで、相手への認識もその後の行動も変わっていくんだよな、って。

生まれた家族でなく「自分で選んだ家族」にSOSを出して

――虐待で苦しんでいる子どもに、とってほしい行動はありますか。

大東:
難しいな。やってほしいことはあるけど、その状況で実際にできるかというのは別ですからね。ただ、今いる環境や、周りにいる大人が世界のすべてではないってことは理解してほしいです。

もし声を上げて気づいてもらえるなら、絶対声を上げたほうがいい。今これを見ているということは、パソコンかスマホか、何かしらはあるということだから、直ちにSOSを出したほうがいいと思う。

家族の存在は大きいと思うかもしれないけれど、たとえば友達だって、自分で選んだ家族みたいなものなんですよ。だから、生まれた家族ではなく、自分で選んだ家族のほうにSOSを出してほしい。今、そう思える人がいなくても、SNSやメディアが小さな声を大きく取り上げてくれるから、利用していいと思う。

――ありがとうございます。最後に、今苦しんでいる子どもたちに向けて、メッセージをいただけますか?

大東:
虐待もいじめも、自分が望んで起きたことではないはずです。生きていれば、自分が思ってもいなかったことが起きる。

逆にいうと、自分で選ぶことのできるものもあります。広い世界で見たら、あなたと同じ孤独を味わっている人も、あなたと同じものにワクワクできる人も、必ずいる。だから今の苦しみからは逃れて、ワクワクするものを自分から探しに行ったほうがいい。

死さえ選ばなければ、今の悲しみや苦しみも、いつか自分を救う財産に変わります。人生は、楽しんでいいんです。だから、あなたの「楽しい」を見つけに行ってください。

――きっと、この大東さんのお話を聞いて、救われる方がいると思います。ありがとうございました。

(取材:たかまつなな、編集協力:塚田智恵美)

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