話題
通園バスで見た保育士の〝許されない行為〟 障害者にもある差別の芽
相模原市の津久井やまゆり園で障害者19人が殺害された事件について、約1年前、車いすユーザーとしての思いをコラムで寄せてくれた篭田雪江さん。以降、篭田さんの生活から見える多くの気付きや違和感をコラムに書きためてくれました。そんな篭田さんがあえていま、改めて「あの事件」について考えを綴りたくなったといいます。きっかけは、ある身近な職員の何げない一言でした。
今は体を壊して辞めたが、私は地元の社会福祉法人が運営している就労継続支援A型の印刷部門で、DTPオペレーターとして働いていた。おなじ敷地には就労継続支援B型の製パン、軽作業部門や、就労サポート事業部門、相談支援事業部門もある。津久井やまゆり園とは少し形態が違うが、障がいを持つ方々が多く働いていて、私のパートナーは今も印刷部門で勤務を続けている。
夕食時、パートナーは職場のいろんな話をしてくれるのだが、先日気になる話を耳にした。
パートナーが所属するチームには、健常者の男性職員がいる。その男性は一時期、人手が足りないからとB型の軽作業部門へ出向いていた。そこでの男性は、障がいを持つ利用者の方々に人気があったらしい。本来のチームに戻る時も、上司や利用者の方々に惜しまれたようだ。
だがある日、彼のすさまじい怒鳴り声が廊下から響いた。パートナーが後で事情を聞くと、彼はB型の男性利用者がトイレをすませた後のスリッパの並べ方が雑だったので「叱ってやりました」と答えたという。ちなみに男性利用者は彼より年齢も勤務年数もずっと上のベテランだ。その対応に問題があると感じたパートナーは上司に報告したが、それが彼に伝わったかは疑問だと言っていた。
というのも男性職員はそのことがあってからも、頻繁に「職員」「利用者」という言い回しを使うからだ。
職場は結核回復者が自らの働く場を自らの手で、という理念のもと立ち上げた小規模作業所がその源流だ。以来半世紀以上、障がい者、健常者関係なく共に働き続けてきた、といった経緯がある。そのため「職員」「利用者」という、障害者自立支援法(2006年施行。現在は障害者総合支援法に改正)の制定によって、突然降ってわいたこの区分に敏感なひとは多い。「おなじ仕事をしているのに、どうして自分たちはサービスを利用しているということになるんだ」と。だが男性職員にはその心情を理解している節がない。
苛立ちまじりに語られたこの話を聞いた時、私はなぜか、植松死刑囚のことを思いだした。
誤解を招きかねないし厳重に念も押すが、男性職員は植松死刑囚のような、理解できない言動をしたり、思想を持ったりしているわけでは全くない。上に書いたように眉をひそめる部分はあるが明るく、仕事もよくできる。怒鳴り声を上げたのもその時の一度きりだ。そのできごとがあってからもB型利用者の方々に変わらず人気があり、時々廊下で親しく話しかけられてもいた。
それでもなぜ、このできごとに植松死刑囚を思い出したのか。その時、ちょうど一冊の電子書籍を読み続けていたからだ。『妄信 相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞社取材班著、朝日新聞出版)である(以下、本書とする。また〈 〉内はすべて本書からの引用)。
ページをめくりながら、主に植松死刑囚の言葉を中心に線を引いていった。
事件当時、テレビやネットのニュースを騒がせた言葉で、私もさんざん目にしてきた。その時から変わらず、怒りで吐き気をもよおした。
それまで詳細を知らずにいた、植松死刑囚が当時の衆議院議長宛に書いた手紙の全容も明らかになっていた。
どこまで身勝手なのだ、と思った。この〈身勝手〉という言葉は植松死刑囚本人からも出ている。起訴から4日後、ある記者が植松死刑囚に接見しているが、そこで彼は〈この度は私の身勝手な考えと行動で障害者の方を殺傷し、多くの方を怒りと悲しみで傷つけてしまい、本当に反省しています。〉と頭を下げている。しかしここで彼が発した〈身勝手な考えと行動〉は、記者も書いていたように〈障害者を介護する健常者の家族にとって身勝手だった〉という意味なのだろう。一応、事件について謝罪はしているが、それはあくまで〈障害者の遺族〉のためで、犠牲になった方々へのものではなかったのだ。
事件後、ネットには植松死刑囚を〈神〉と称賛するような投稿が相次いだ。〈我々の代弁者なんじゃないか? みんな偽善はやめて素直になろう〉。この件に関して、本書ではさまざまな識者による考察が紹介されている。そのなかで印象的だったのが自身もかつて障害者施設で働き、燃え尽きて退職した経験があるという明治大学大学院の深谷美枝教授の言葉だ。教授は施設での仕事を〈内なるウエマツさんとの闘い〉だと語っている。自身のなかの差別や虐待との葛藤ということだ。
この言葉には心をえぐられるものがあった。というのも、私自身もそのようなできごとを数えきれないほど目や耳にし、自分でも体験してきたからだ。
小、中学校の時、通園バスで養護学校に通っていた。そのバスには数人の保育士が交代で引率として同乗していた。
保育士のなかで一番若手の女性が同乗した時、ある光景を目にした。普段は一番前に座っているはずが、真ん中あたりの席に座っている。そこは脳性麻痺の女の子の席だった。その女の子は自力ではほとんど動けず、言葉も発することができない子だった。保育士はその子の隣に座り、自分の膝の上に乗せていた。不審に思ってよく見ると、保育士は女の子の耳や頬を唇でなでまわし、舌でなめたりしていたのだ。保育士は目をつぶり、恍惚という他ない表情をしていた。女の子はそれに抗うすべもなく、ただ目を宙にさまよわせていた。これはまずいんじゃないか。そう思ったが、怖くてなにも言い出せなかった。
高校生活は、普通校で過ごした。そこで体育の授業は見学が主だった。ソフトボールをしていた時、ひとりの男子生徒が立ちあがった。両脚を変にねじまげ、ぎこちなく歩いた。「障害者のまね」などと言いながら。私の目の前でだ。からだがかっと熱くなった。だが同時に気持ちもすくみ、喉がつまったようになって言葉が出なかった。
前職場で働いていたある日、先輩と打ち合わせをしていると、廊下を叫びながら走り抜けていった女性がいた。女性はB型利用者で自閉症を抱えていた。苛立ちを制御できなくなると、時々そうすることがあった。それを見た先輩は「ああいうのを見学者が来ている時にされると、困るよな」とつぶやいた。そんなことはないでしょ、と私は答えた。だが自分のなかにもそんな思いが少しでもなかったのかと考え、しばらく仕事が手につかなかった。ちなみに先輩は事故で左脚を欠損した障がい者である。
最初のエピソードも含めて書き出し、愕然としている。ひとによっては些細なできごとと思うかもしれない。だがこれらは明らかな「差別」「虐待」であり、植松死刑囚が起こした事件や、彼を〈神〉と称するネットの書き込みと地続きなのではないか、と。
前述の深谷教授が〈内なるウエマツさんとの闘い〉と語ったものを、私は以前から「差別と虐待の芽」と密かに名付けていた。その芽を内に抱えたひとたちは、残念ながら確かに存在している。植松死刑囚を〈神〉と称したひとたち、私を含む障がい者自身もそうだ。前述した先輩のつぶやきがそれを証明している。
前職場にいた軽度の知的障がいを抱えた男性が、おなじ程度の障がいを持つ同僚に対し「あのひとと一緒にはしてほしくないんですよね」と語ったという話も耳にした。養護学校でも、軽度の障がい者がより重度の障がい者をいじめる光景はしばしばあった。私自身はその加害、被害両方を経験している。今は改善されていると信じたいが、実際はわからない。一般的ないじめとおなじで先生のいる前でいじめを行う生徒などいないのだから。健常者だけでなく、障がい者も障がい者を差別することがあるのだ。
繰り返しになるが「差別と虐待の芽」を持つひとたちがいる。芽ひとつひとつは些細でも、その先には植松死刑囚、〈障害者は生きていても誰の得にもならなかった〉というネットへの投稿につながっている。芽はいつどこで歪なかたちの大木となり、新たな悲劇を生んでしまうかわからない。
どうすべきか。本書にも記されているように、直接現場を支える〈福祉職員の増員や待遇改善〉〈ワークライフバランスの確立〉〈福祉施設への現場への想像力〉が欠かせない。深谷教授は〈利用者を兄弟姉妹と言い切ることが、人間が人間であることのできるただ一つの道〉とも語っている(深谷教授はキリスト教を信仰する牧師でもある)。施設の〈地域移行〉も欠かせない。
では今の私を含めた、直接福祉の現場に触れる機会のないひとはどうするか。障がい者を含めた社会的に弱いひとたちと直接触れ合う場に出向く、本書のような書籍を手にするなど、方法はさまざまあるだろう。でも最終的には、自分自身のなかで芽を「つぶす」しかないと感じる。自分より弱い立場のひとたちに感じた差別的感情をつぶし、行動や言葉を閉ざす。ネットへの書き込みをする前につぶし、キーボードやスマートフォンから手を離す。そんな小さな行為が、バタフライエフェクトを止める効果を生むのではないか。自戒を込めてそう信じ、私もそのように生きていきたいと思う。
周知のように、植松聖はその後の裁判で死刑判決を言い渡された。彼は「死刑に値する罪とは思わないが控訴はしない」と言った。一年前、私は彼についてもう「どうでもよい」と思っていたが、今は違う。
彼には「最期まで生きるという罰」がある。
歪に育った巨木の詳細を、その日がくるまで語り続ける罰が残っている。語って再発防止の手がかりを残す。なにより、犠牲者や遺族の方々にはなんの慰めにもならないだろうが、犯した罪の重さを認め謝罪し、苦しみに泣き叫び、向き合い続ける罰がある、と。
そんな君を私は見つめ続けるつもりだ。その日がきて、その日が過ぎても。
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