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話題

職場で避けていた「相模原事件」 障害者に換わる呼び名、創造する時

満開の梅の花=2020年2月11日午後、筋野健太撮影
満開の梅の花=2020年2月11日午後、筋野健太撮影 出典: 朝日新聞

目次

車いすユーザーである篭田雪江さんは、心身に障害を抱えた人が働く職場で働いています。昼食時や休憩時間、仲間との会話で避けてきたと思うのが、相模原市の津久井やまゆり園で障害者19人が殺害された事件です。その理由を考える中で、「障害者、という言葉を使う勇気がなくなっていた」と言います。篭田さんは、今、「障害者」に換わる言葉を考えようとしています。事件の月命日である26日、「障害者という言葉の先」について、思いをつづってもらいました。

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ニュースの下に並んだ関連ワード

二カ月あまり前、私の住む街に、この冬はじめて雪が積もった。

水気の多い白に覆われた窓の外を眺めながら、「2020年代の未来予想図」について考えていた。とりあえず思いつくまま書き進めていたが、ふと目にふれたネットニュースにキーボードを叩く手が止まった。しばらく悶々とした後、書いていた本文を全て削除した。

「相模原障害者施設殺傷事件」の初公判のニュースである。

報道によると植松聖容疑者は起訴内容を認め、「深くお詫び申し上げます」と述べたものの、舌を噛んだり、口に手を入れるなどして暴れ出したため、急きょ休廷になったという。

そのニュースだけだったら、書きかけの本文を消すことまではしなかった。だがそのネットニュースの下に並んでいた関連キーワードのいくつかを読んだ時、気がつくと指はデリートキーを押し続けていた。書きたかったのはこういうことじゃなかった、と。

「植松聖ヒーロー」「植松聖神」「相模原事件やらせ」……。

相模原市の障害者殺傷事件の傍聴券を求めて並ぶ人たち=2020年1月8日午前9時50分、横浜市中区、北村玲奈撮影
相模原市の障害者殺傷事件の傍聴券を求めて並ぶ人たち=2020年1月8日午前9時50分、横浜市中区、北村玲奈撮影 出典: 朝日新聞

職場で話されたことはなかった

私は就労継続支援事業A型の印刷部門で働いている。

職場には私のような車いすユーザーの身体障害者をはじめ、聴覚、知的、精神と、心身に障害を抱えた人が多数働いている。私の所属するプリプレス部門は、約半数が車いすユーザーだ。

昼休みや三時の休憩の際、私たちはいろんな話をする。仕事の愚痴、ドラマの感想、野球やサッカーの結果、芸能人の結婚離婚、同僚の噂話……。ありふれた話題に花が咲く。健常者となんら変わることはない。

だが、そういう席で相模原の事件が話されたことは、今までなかった。少なくとも私の知る限りただの一度も。

数多いニュースのひとつとして流れていってしまったのか。特に興味がないのか。楽しい話題ではないからか。確かにそうだ。ワイドショーネタをなんやかんやしゃべった方がよっぽど盛り上がる。実際私もわざわざこのことにふれるくらいなら、好きな広島カープの話をしたいものだ。

でも、と思う。もしかして相模原事件の話題は、みんな敢えて避けているんじゃないか。本当は事件に関して言いたいことがたくさんあるのに。それを口にした瞬間、場が凍りつくのを恐れているんじゃないか。

「相模原事件の裁判がはじまりましたね」もし私が三時のお茶の時間、こう切り出したら。その時の空気が手に取るようにわかる。しん、ではなく、きん、と場が静まり返る。誰もなにも言わない。コーヒーをすする音だけが聞こえる。やがて誰かが別の話題を振る。沈黙が一気に解凍され、みんなその話題に食いつく。

そう、無意識に誰しもが思っている。

相模原事件の犠牲者は、自分たちとおなじ障害者だった。

障害者だったという理由で、やまゆり園のひとたちは殺されたのだ。

殺されたのは、おなじ障害者である自分たちだったかもしれないのだ。

障害者だから、障害者だから、障害者だから……。

事件後のやまゆり園。入所者名は消され「様」だけが残されていたげた箱=2017年7月6日、相模原市緑区千木良、飯塚直人撮影
事件後のやまゆり園。入所者名は消され「様」だけが残されていたげた箱=2017年7月6日、相模原市緑区千木良、飯塚直人撮影 出典: 朝日新聞

障害者、を使う勇気がなくなっていた

相模原の事件以来、ずっと考えていることがある。

障害者、という言葉についてだ。

この言葉を他の言い回しに変える習慣も、もうだいぶ社会になじんできている。障碍者、障がい者といったところか。

実はこういう言い替えに対して、違和感をずっと抱いていた。「言葉狩り」のような印象があったし、なにより安易に呼び方を変えるとかえって本質を見失うことになるのではないか、と。実際、私はあまりこういった言い回しを使ってこなかった。特にずっと書いてきた小説のなかに出したことはほとんどないはずだ。障害者という言葉を、障害者という存在を、できるだけ直視したかったから。

だが最近、この障害者という言葉に、言いしれない嫌悪と恐怖を覚えている。

理由はもちろん相模原事件、植松聖容疑者の存在である。

やまゆり園での、目や耳をふさぎたくなるような悲劇の詳細。
そして、植松容疑者の、破滅的かつ暴力的な言動。

「障害者を殺しにきた」
「障害者なんていなくなってしまえ」
「障害者は死んだ方がいい」
「障害者は安楽死させるべきだ」

植松容疑者の言葉だけだったら、一万歩ゆずればなんとか耐えられたかもしれない。
だが、この言葉たちは、別の暴力表現を生み出してしまった。
それが、先にあげたネットの関連キーワードだ。
「植松聖ヒーロー」「植松聖神」「相模原事件やらせ」

障害者という言葉が、今まで持ち得なかった新しい意味をはらんでしまったのではないか、と思った。

その新しい意味の正体がなんなのか、私にもわからない。というかわかるわけがないのだ。そもそも障害者という言葉にそんな意味はないのだし、ありえるわけもないのだから。
でも、現実としてこびりつけられてしまった。
黒々とした影のような。見えないようで見える亡霊のような。白くて美しいのに車いすを針付けにする道路の雪のような。
曖昧な、でも言いしれない嫌悪と恐怖と憎悪に、障害者という言葉はからめとられてしまったのではないか。

そう考えたら、障害者、という言葉を使う勇気がなくなっていた。

津久井やまゆり園の殺傷事件で亡くなった犠牲者を悼み、折り鶴を手向ける人たち=2016年9月21日、横浜市中区、越田省吾撮影
津久井やまゆり園の殺傷事件で亡くなった犠牲者を悼み、折り鶴を手向ける人たち=2016年9月21日、横浜市中区、越田省吾撮影 出典: 朝日新聞

あたらしい呼び名の創造

私は知識も見識もない。だから私たちのようなひとたちが生きやすくなる社会にするにはどうしたらいいのか、あまりいいアイデアを出せそうにない。

でも、これだけは変えたい、というものがひとつある。

障害者、という言葉にかわる、あたらしい呼び名の創造だ。

前述した通り、障害者という言葉には負の意味が背負わされてしまった。少なくとも私にはそう感じる。

だから、新しい言葉を考えたい。障がい者、障碍者ではない別の言葉を。これらは「しょうがいしゃ」という発音が含まれる。それではだめなのだ。この音ではなにも変えられない。

不遜ながら、とりあえず私から提案してみようと思う。

「ハンディキャッパー」

「ウォールクライマー」

前者はもちろん、ハンディキャップを負っているひと、という意味。後者はそのまま「壁を登るひと」。この壁とは障害のことだ。

……書いておいてなんだが、我ながらもっと他になにかなかったのか、とうなだれている。

語感がまず悪い。言いづらい。響きがひどい。なによりセンスがない。私はコピーライターには絶対なれないな、と思う。

だから開き直る。これはあくまで叩き台だ。もっといい言葉、言い回しがあればどんどん提案してもらいたい。できるなら私とおなじハンディを抱えているひとたちに、こんなのどうだ、とあげてもらえたら嬉しいと思う。もちろん、そんな言葉わざわざ必要ない、という意見もあるだろう。ハンディがあろうがなかろうがおなじひとなんだから、と。それもよし、だ。いずれにしろ自分たちの大切なことがらなのだ。自分たちで決められたら、こんなに意義のあることはないじゃないか。「私たちのことを私たち抜きで決めないで」2006年に国連で採択された、障害者権利条約の骨子になる言葉である。

障害者権利条約の成立を伝える2006年12月14日の新聞記事
障害者権利条約の成立を伝える2006年12月14日の新聞記事

障害者という言葉の障害

繰り返すが、私には私たちが生きやすい社会とは、と問われてもなかなかいい意見は出せない。
せいぜい、障害者、という言葉を変えてみよう、という吹けば飛ぶような提案のみだ。

でも、世界を動かすのはこういう小さな、虫のような一歩であるとも思う。

かつて私たちの先輩方は、乗車拒否をするバス会社に抗議しようと乗っていた車いすから降り、動かない体を必死に動かしてアスファルトを這っていき、乗車口へと乗り込んでいった。私たちにも乗る権利はある、と。

障害者という言葉の障害を、私たちは乗り越えていかなければならない。

事件後、畳がはがされた、やまゆり園の部屋=2017年7月6日、相模原市緑区千木良、岩堀滋撮影
事件後、畳がはがされた、やまゆり園の部屋=2017年7月6日、相模原市緑区千木良、岩堀滋撮影 出典: 朝日新聞

判決のニュースが流れ、思ったこと

上記の文章を書き終えてから二か月余り。雪はすっかり溶けてなくなった。
先日の通勤途中、通りかかった家の庭先に梅が咲いているのに思わず目を細めた。私の住む東北の町で見た、今年はじめての梅の花だった。年齢を重ねるたび、春の香りや彩りにこころがほころぶようになっている。

梅を見た二日後、植松被告の裁判員裁判が開かれ、死刑の判決がくだされた。
テレビやネットではあらためて被告の思想や言動の異様が明らかにされ、さまざまな意見が流れされた。
死刑は当然だ。極刑しかありえない。彼の考え方はやはり異常としか思えない。彼は控訴しないと言っているが、どうしてこの事件が起こったのか真相を明らかにするため裁判は続けるべきだ。

正直、そんな議論の波のなかに入る気になれなかった。
私の想いが向いたのは事件の犠牲者の方々、そして先日見た梅の花だった。
犠牲者の方々はあの日以来、梅の開花のようななにげない、でも愛おしい季節の変わり目を喜ぶことがなくなってしまった。これから咲くだろう桜の下で花見をすることもできなくなった。夏の日差しの下、かき氷やアイスクリームを食べることもできなくなった。秋の紅葉や、ちらほらと舞い降りる雪を楽しむことも。

皆さんに、会ってみたい。
判決のニュースが流れるテレビを消した時、そんな思いがよぎった。
いつになるかわからないがその時がきて、天国というものがあるのなら、皆さんに会いに行ってみようか。そしていろんな話をしよう。なんでもない話がいい。好きな食べ物はなんですか。芸能人は誰のファンなんですか。趣味とかありますか。おれですか?読書、とか言いたいところだけど、本当は家でごろごろしてるのが一番好きなんです。そうですねえ、そんなぐうたらじゃだめですよねえ……。

これから毎年梅の花が咲くたび、そんな想像を重ねるようになっていく気がした。


     ◇

この記事は、投稿コンテスト「#2020年代の未来予想図」(https://note.com/info/n/n917cb6a2e4e4)でwithnews賞を受賞した「「障害者」という言葉の先へ」が元になっています。

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