連載
発達障害の父親が悟った〝賭け〟自分を投げ出し「迷惑をかけよう」
5歳の娘に引っ張られてこなす家事
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5歳の娘に引っ張られてこなす家事
子どもが生まれたあとに分かった発達障害、うつ病、休職……。ASD(自閉スペクトラム症)・ADHD(注意欠如・多動症)の当事者でライターの遠藤光太さん(31)は、紆余曲折ありながらも子育てを楽しみ、主体的に担ってきました。娘が5歳になった頃の遠藤さんは、完璧主義だった自分を解き放って、相手に委ねることを試みます。その際、「最も信頼を寄せる他者」が妻でした。小学生の娘、妻との7年間を振り返る連載12回目です。(全18回)
「自分を大切にする」という考えを、僕は娘が5歳になる頃まで持てていませんでした。セルフ・ネグレクト(自己放任)のような状態だったとも言えます。
子どもの頃は、特性に起因する苦手なことを、バレないように必死で取り繕うくせがついていました。自分自身の「感情」や「希望」は、いつも二の次です。喜びや怒りを表現するのが苦手で、隠しているうちに、自分でもわからなくなっていきました。
「本当は1人でいたいのに」といった思いも、表に出せません。周囲に合わせて「良い子」でいられれば、問題が表面化せずに済み、結果として問題を先延ばしすることになってしまっていたのです。
結婚し、娘が生まれてからは、いつも「うまくいかなければ家族に申し訳ない」と考えていて、内省してばかりでした。「死にたい」と思っていたときでさえ、踏みとどまれたのは「妻と娘に迷惑をかけてしまう」と思ったからで、自分のためではありませんでした。
僕は自分自身を置き去りにしてしまっていました。
特性を取り繕うための完璧主義であり、強すぎる自責思考です。結果的に、過剰なストレスをため込んで崩れてしまい、近しい人に大きな迷惑をかけることも多くありました。
自分で何でも完結させようとしてしまうと、せわしない世の中に飲まれてしまうような恐ろしさが、僕には感じられました。
障害者雇用で経理の仕事に就いてからは、就業時間以外に勉強時間を作り、急いで簿記の資格を取得しました。これも、根底には「自分がなんとかしなければ」という焦りがあったように思います。
うつになって休職などを経験し、うまくいかない不安感や恐怖心が染み付いていたからこそ、自分でなんとかしようとするくせが強化されていきました。
結果的に資格を取れたのは良かったのですが、仕事をし、妻と分担して娘の送り迎えや家事をしながら勉強時間を作るのは、無理もありました。やはり完璧主義であり、自責思考が強かったと今は思います。
「パパもわたしみたいに片付けられる?」と、5歳になった娘が言います。「できなかったら言ってね。わたし上手だからね」と彼女が言う通り、片付けが苦手な特性を持つ僕よりも、娘の方がきれいに片付けています。
ひとりで何でもこなそうとするのではなく、おのおのの得意なことを照らし合わせて、役割分担をすればいい。言葉にすれば簡単なことですが、大人になってしばらく経つまでわかっていなかった僕に、娘や妻と過ごす時間が教えてくれました。
我が家では、娘は部屋の片付けを、妻は洗濯を、僕は皿洗いを「せーの!」で始めて済ませることがあります。きっかけを作ってくれるのはいつも娘で、「やるよ!」とたきつけられた妻と僕は、娘に引っ張られて家事をこなしていきます。娘は、いつの間にか片付けをやめて自分のお人形遊びに戻っていて、笑ったこともしばしばありました。
僕が読書や勉強に過集中してしまい、翌日の仕事に影響が出てしまいそうなとき、妻が「寝たほうがいい」と言ったら素直に従うようにしました。「休んで風呂入って本読んで好きなことだけしなさい」と言われ、「確かに今は強い負荷がかかっているな」と感じて、ブレーキを踏んだこともありました。
メンタルの管理がうまくいかず、家事ができなくなってしまうようなときには、妻に安心して任せ、僕はその分、普段は妻よりも少し多めに家事をするように心がけました。
妻は、最も信頼を寄せる他者です。良いところも悪いところも見せ合いながら、暮らしをともに作ってきた自負があるからこそ、判断やタスクを委ねることができます。
数年前の僕にはなかった考え方でした。やはり、何でも自分でどうにかしようとするくせがついていたからです。かつての僕は、仕事で成果を挙げ、強い父親になろうと考え、弱みを見せたり、誰かを頼ったりすることができなかったのです。
自分を解き放って「賭け」で相手に委ねることは、家族であっても難しいものです。家族だからこそ難しいのかもしれません。しかし僕は、自分を解体し、他者に頼ることを身につけ始めました。
のちに読んだ、岡田美智男さんの『弱いロボット』(医学書院)では、「賭け」について解説されています。もともと音声科学や音声言語処理の研究をしていた岡田さんによると、発話するほうは、誰が受け取ってくれるかもわからない言葉を「賭け」で投げかけているのだそうです。
岡田さんはそれを「投機的な振る舞い」と呼び、発話が他者とつながることではじめて成立するのがコミュニケーションのシステムだと教えてくれます。
「不完結」なままでも、自分を「賭け」で投げ出して、コミュニケーションを取ること。これは、生き方にも通じる考え方であるように感じます。
セルフ・ネグレクトで、自分の「感情」や「希望」に蓋(ふた)をしてため込むのではなく、妻や娘に早くオープンにしたほうがしなやかさが高まることを、僕は実感し始めました。そして「助けを求めよう」「適度に迷惑をかけよう」「借りを返そう」と考えるようになっていきました。
以前は、別居も真剣に考えていた僕たち夫婦は、一緒にいることがより良い人生につながるよう、暮らしを前向きに考え始めていきました。それぞれが互いに「賭け」をし合って、家族は強度を増していきました。
自分を尊重することは、僕の課題になりました。着たい服はどんなものなのか。食べたいものは何なのか。「投機的な振る舞い」を続けながら、今も自分の感情や希望がおろそかになっていないか、気に掛けるようにしています。
仕事を得て、家族との関係に改善の兆しが見えたとは言え、まだまだ不安になることもありました。障害者雇用で働いた3年弱の間、休職することはなかったものの、体調管理を試行錯誤し、仕事を休ませてもらう日もありました。
娘の体調が悪いと保育園から連絡を受けて昼に早退し、迎えに行ったところ、すっかり元気になっていたこともあります。多くの子どもによくあることでしょう。安心する一方で、「残っていた仕事を投げ出してまで迎えに来る必要はなかったのではないか」と堪えてしまう場面もありました。こうした急な対応は、特性上、苦手なものでした。
そんなとき、僕はSNSを通じて発達障害の当事者たちと出会いはじめました。本やテレビ番組、ウェブサイトから情報を得て、自分なりに対策を打っていただけだったのが、他の当事者の知恵に触れる機会を得たのです。
「障害」とは果たしてどういうものなのか、と僕は考えるようになっていきました。
遠藤光太
フリーライター。発達障害(ASD・ADHD)の当事者。社会人4年目にASD、5年目にADHDの診断を受ける。妻と7歳の娘と3人暮らし。興味のある分野は、社会的マイノリティ、福祉、表現、コミュニティ、スポーツなど。Twitterアカウントは@kotart90。
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