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「予約の取れない居酒屋」が自前で弁当配達 父を重ねて奮起した1年
「まさか、政府が『居酒屋に行かないで』という時代になるとは思ってもなかった」。神戸市で居酒屋を営む店主は、静かに語りました。予約が取れない人気店がコロナ禍で一変。試行錯誤を繰り返し、新たな挑戦を続けています。その熱意はどこから来るのか、店主の1年を追いました。
今年2月、神戸市の通販大手の「フェリシモ」の本社。近くに飲食店が少ないため、昼前になるとオフィスの一角に、社員が注文した様々な弁当が並ぶ。
「こんにちは、い草のお弁当です」。北川貴志さん(43)と妻の友美さん(41)が約40個の弁当を並べていく。この日のメニューはワカメと白ごまの混ぜごはんに、タラとれんこんのチリソースやエノキ茸とセロリの梅あえ、オクラの肉巻きバター、菜の花のナムルなど7種類のおかずが並ぶ。価格は698円だ。
フェリシモの総務部の玉野晶子さんは「野菜が苦手な私でも、い草さんのお弁当は食べられる。味付けが優しいからかな。見た目が華やかなのもうれしい」と話す。
この日の配達先は8件。午前9時から正午近くまで、北川さんはバイク、友美さんは自転車に乗って、神戸市内の会社や個人宅を回った。
「(弁当の宅配が)やっと軌道に乗ってきた。とにかくやるしかない」。北川さんはそう話す。フランス料理店や日本料理店で修業し、2006年に独立。手打ちうどん店やすし店などを経て、17年4月に三宮駅近くに居酒屋「い草」を開いた。
約20席のこぢんまりした店内で、旬の魚介やだしのきいたおでんを提供し、最後に自慢の手打ちうどんを味わえるのが売りだ。予約客で常に満席で、そろそろ2軒目を出そうと考えていた矢先、コロナ禍に巻き込まれた。
1年前の20年3月、神戸市内でも感染者が出始めた。お客やアルバイトの健康を考え、3月末で休業することを決めた。60件以上予約が入っていたが、電話で1件ずつ断りを入れた。
4月7日、兵庫県など6都道府県に緊急事態宣言が出された。繁華街から人は消え、周囲の飲食店もシャッターを下ろした。
休業すれば収入はない。でも店の家賃や借り入れの返済などで毎月約80万円が飛んでいく。国の持続化給付金100万円は固定費を支払うとすぐになくなった。北川さんは友美さんと小学生の長男、幼稚園児の長女の4人家族。休業期間中も毎日店に出て、客がいない店内で、何をするべきかを考えた。店を閉めて、違うことをしようかと思った。
4月中旬、スマートフォンを眺めていると、ZOZOの創業者・前澤友作さんのツイッターでの発言がニュースになっていた。前澤さんが新型コロナウイルスの影響で苦しむ飲食店の経営者だったらどうするのかという内容だった。
前澤さんはコロナの長期化を想定して新規事業を立ち上げる。だめだったとしても自分のせいではなく、コロナのせいだから仕方ない――。前向きな言葉に心が軽くなった。「ピンチをチャンスと思ってとにかく新しいことを始めてみるか」。
思いついたのがテイクアウトで人気のサバと穴子の棒ずしの宅配だった。パソコンは不得意だが、本を4冊買って、宣伝チラシを作った。5月中旬、棒ずしの配達を始めた。配達の合間、「コロナに負けてられへん」と心の中で何度もつぶやいた。
そのとき思い浮かべるのは、26年前、神戸を襲った大地震の光景だ。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災。北川さんは当時高校2年生だった。神戸市長田区で暮らしていたが、木造2階建ての家は全壊。半年間、体育館での暮らしを余儀なくされた。
父親は野菜の移動販売をしていたが、「地震になんて負けてられへん」と言って、すぐに働きに出た。同じ場所に家を建て、会社も再建した。そんな父親の姿を思い出し、自分を奮い立たせた。
2020年6月、県内の新規の感染者数がゼロの日が続くようになった。棒ずしの配達を並行して、店の再開を決めた。常連客が来てくれたが、在宅勤務の影響で売り上げは前年の6割ほどだった。
8月になっても、店の売り上げはなかなか戻らない。棒ずしは毎日食べるものではないので、なかなかリピート注文が増えないのが悩みだった。
寒くなるにつれ感染者が増え、また緊急事態宣言が出るかもしれない。新たな事業を考え、弁当の宅配を始めることにした。ほかの弁当と差別化するために、テーマは「きちんとしたお弁当」。食材から味付けまで、一品ずつ時間をかけて料理し、インスタグラムで映えるように見た目にもこだわる。
「料理には自信があった。ただ、『映え』は想像以上に難しかった」と北川さん。試作品を作ってみたが、最初は茶色や白色ばかり。友美さんから「おいしそうに見えない」と何度もだめ出しされた。
弁当の本を5冊買って、赤や紫、緑といった食材を使い、色彩豊かに見える並べ方を学んだ。頭の中は常に弁当のことばかり。メモ帳を持ち歩き、レシピを思いつくと書き留めた。その数は数百枚になった。
9月下旬から週替わり弁当の宅配を始めた。午前3時に起きて、午前4時に出勤して弁当作りを始める。おかずはいつも7~9品。メイン料理は重ならないように気を使う。
午前8時、友美さんが合流し、包装作業を手伝う。弁当のふたのQRコードには、読み込むとその日のおかずのレシピがわかるようにした。
前日までに予約が必要なこともあり、当初は1日に1個だけという日もあった。友美さんと二人でチラシを配布し、インスタグラムで発信。徐々に注文が増え、12月には平均20食、今は平均100食だ。
北川さんは配達後に必ず市場へ寄って旬の食材を選ぶ。配達を他人任せにせずに自分が行う。「八百屋さんや配達業者に任せればと思うこともあるけど、料理に関しては度を越すほどの真面目な人だから」と友美さんは言う。
最近は注文が増えてきたこともあり、調理と配達の補助を担当する従業員を採用しようと思っている。配達網を広げるため、軽ワゴン車を購入した。並行して店の再開に向けた準備も進める。
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