連載
#8 SDGs最初の一歩
「SDGs、ジェンダーも入れとこう」でいいの? 上野千鶴子さんの直言
「家事も労働」に主婦が猛反発した理由
SDGsの認知は高まったものの、具体的な行動まで起こせている人は、まだ少ないのが現状です。社会の第一線でSDGsに重なる活動をしてきた人は、今の状況をどう見ているのでしょうか? SDGsには「ジェンダー平等への実現」が入っていますが、社会学者として女性学を立ち上げた上野千鶴子さんは「優先順位が非常に低い」とばっさり。批判を覚悟でSNSの世界でも発信する上野さんに「(啓蒙活動の)バッチをつけただけで終わらない」SDGsについて聞きました。(FUKKO DESIGN 木村充慶)
上野千鶴子(うえの・ちづこ)
〈SDGs(Sustainable Development Goals)〉
地球環境や経済活動、人々の暮らしが持続可能になるよう、国や企業、個人が垣根を越え、2030年までに取り組む行動計画。2015年に米ニューヨークであった「国連持続可能な開発サミット」で、193の国連加盟国の全会一致で採択された。貧困の解消や教育の改善、気候変動の対策など17分野の目標がある。各目標の下に、「各国の所得下位40%の人々に国内平均より高い所得の伸びを実現」といったより具体的な169の目標を掲げている。
〈ジェンダー〉
身体の特徴など生来の性別の違いではなく、社会的、文化的につくられた性差のこと。「男は仕事、女は家事育児」といった「男はこうあるべきだ」「女はこうあるべきだ」とする性別による役割分担も含まれる。
――環境問題だけでなくジェンダー平等の実現も掲げられているSDGsについて、上野さんは、どう思われていますか?
SDGsのGを「ジェンダー」のGだと思っていたんですよ(笑)。ところがGは単なる「ゴール」という意味で。学校の授業で教えているらしいけど、17ゴールを見ても、全部覚えられないぐらい総花的。よいことばかりで反対する理由がありません。企業の方にお会いすると、啓蒙活動の「バッジつけています」というエクスキューズにしかなっていない。それが私の印象です。
――SDGsの中だと、5がジェンダーについてのゴールですが。
ジェンダーは優先順位が非常に低いと感じます。環境と復興には企業はすごく理解があり、巻き込みやすい。特に復興というのは一時「開け、ごま」みたいなマジックワードになっていた。最近だと環境もそうですよね。でも、ジェンダーについては本当に優先順位が低いと思います。「17の中にジェンダーがあるから、ジェンダーも入れとこう」みたいな。本気度が感じられません。
――ジェンダーの優先順位の低さについて実際に感じたことがあったのですか?
この前、企業に勤める女の人たちの集まりがあったのですが、「SDGsの中でジェンダーの優先順位はどれくらいだと思いますか?」と質問したら、ジェンダーについては10位以下という人が半分くらいでした。
――上野さんはそもそも、なぜジェンダーについて考えるようになったのですか?
両親の姿を見て、です。父親は内科の開業医、母親は夫に経済的に依存した専業主婦。父はワンマンで亭主関白、そのうえ夫婦仲が悪かった。自分が大人になったときのモデルが母の姿だと思うと、どう考えても割に合わないと感じました。
――いつごろからそう思ったのですか?
小さい頃からです。私には男の兄弟が二人いますが、兄弟たちは父親が誘導して、医学の道に進みました。けれど、私には何の期待もかけませんでした。女の子だったからです。
――「医者になれ!」ということはなかったのですか?
当時の女の子の選択肢は医者より医者の妻になる、弁護士より弁護士の妻になるのがステータスでした。中産階級の娘には、働くことは期待されていませんでした。
――そういった違和感は小さい頃から感じていたんですか?
小さい頃から、違和感を感じる環境に置かれていたんです。可愛がってはもらいましたが、「ペット愛」でした。それが、「ペット愛」であることは子どもでもわかります。
――「ペット愛」と感じていたのは、父親と母親の両方から?
母親はそうでもないですよ、育児の責任者ですから。母親は子どもにとっては自分の眼の前に立ちはだかる最初の「強大な大人」です。その母親が父親の前では顔色を見る。子どもは「そうか、上には上がいるのか」と学びます。私のまわりでは、ほとんどの家庭が、そうだったと思います。その父親が娘を可愛がるのに、つけこみました。虎の威を借りる狐よろしく、兄弟たちに大きな顔をしました。子どもは狡猾です(笑)。
――上野さん自身は、親の意向に沿わないことが多かったんですか?
親の意向と言っても、親は私に何の期待もしていなかったから、社会学なんて何の役にも立たないことをやってもよかったのです。美学でも、芸術でもなんでもよかったんでしょう。娘には期待していませんでしたから。
――昔だと、型にはめるみたいなことが多かったと聞きますが、親御さんから型にはめられるようなことではなかったんですか?
なかったですね。親バカで、ねこっ可愛がりされましたから。ねこっ可愛がりというのは面白い言い方で、本当に「ペット愛」ですね。
――そこで、反抗しようということは?
おかげさまで抑圧されずに育てられたので、「自己主張の激しい」、別の言葉で言うと「わがままな娘」になりまして、親には手に負えない子どもになりました(笑)。やりたいことに反対されなかったので、社会学を選びました。息子だったら許容されなかったでしょう。「医学部へ行け」と言われたはずです。
――手に負えないというのは具体的には?
父親が禁止したことをすべてやりました。とは言っても、子どものやることですから、かわいいもんですが。買い食い、立ち食い、夜遊び、それにちょっと言えないことも含めて(笑)。
――大学生になった後はどうだったのですか?
私が入学した時は学生運動の最中でしたから。学生運動の中で、とことん差別を味わいました。
――どんな差別だったんですか?
同じ仲間からの性差別です。当時学生運動を一緒にやっていて同志だと思っていた男たちから。団塊世代と一口にいいますが、「団塊男」と「団塊女」は別人種だと思います。団塊男は頭がどんなにリベラルでも体が動かない。母親に仕えられて育ってきていますからね。
――では、上野さんたち女子学生と、男子学生との間で軋轢みたいなのがあったんですか?
たくさんありました。女子は後方支援と「救対(救援対策)の天使」。バリケードの中ではおにぎりを握っていました。性別役割分担がそのまま持ち込まれました。
――同志なのに?
はい、正義と理想のために損得なく戦った同志だと思った男からさえ、差別を受けたわけだから、性差別は根深いです。
――そこで、上野さんは声をあげたと。
当時はムカついただけです。学生運動をする中で、セクハラまがいの経験をいっぱいしても、これがセクハラだという名前がないからセクハラだと言えない。私たちがやってきたことは、「これがセクハラだ」、「これがドメスティックバイオレンスだ」というふうに概念を作ってきたんです。概念があれば、過去の自分の経験に遡って、「何十年も前のあのときのあのモヤモヤはセクハラというものだったんだ」と経験の再定義ができるようになります。それを当事者目線でやってきたのが女性学です。その蓄積がやっとここまできました。
――そういった怒りから、研究の道に入ったのですね。
はい、女性学という学問に出会ったおかげでね。私たちは女性学を女性の経験の言語化、理論化と呼んでいます。自分のモヤモヤに概念と論理を与える。それにエビデンスをつける。そうしたら、「セクハラってそんなに多いのか」とか、「セクハラってどういう時に、どういう相手に対して、どういう男が起こすのか」とか、そういうことが経験的な調査研究から次々にわかってきました。それまで女の言うことは、聞く値打ちのないこと、とりわけ自分の下半身については口にしてはならないと思われてきましたから。
――自分が経験して、今まで疑問に感じていたことを定義して、学問として広げていったと。
そうです。女性学に出会った時、自分自身を研究対象にしてよいのかと目から鱗でした。
――今では日本の女性学・ジェンダー研究のパイオニアとなった上野さんですが、その出会いからジェンダーの課題が次々に顕在化して、口に出して言えるようになったんですか?
私だけじゃなく、同じことをやりはじめた女たちが同時期に世界中にいたんです。私が女子短大の教師だった時に、夏休みの課題に「おばあちゃんのライフヒストリー」という聞き書きを出して、学生たちに祖母へインタビューしてもらいました。そうしたら、レポートの最初に定型のように出てくる文章があったことが忘れられません。「よお、わたしのようなもんの話を聞きにきてくれた」「私の話なんて、なんの値打ちもないけれど」という枕詞がばあちゃんたちの話に必ず入るんです。そういう女性たちに口を開かせてきたのが女性学でした。
――自分がやってきたことが社会を変えたという達成感みたいなものはあるんですか?
社会の変化というのは、ある時突然じゃなくて、じわじわ起きるんです。とくにジェンダーみたいに根が深い問題は、少しずつしか変わりません。
その中でも、へぇーと感じることは何度かありました。私はもともと主婦研究からスタートした研究者です。私の母親が主婦だったので、「主婦ってなーに?」、「主婦って何をする人?」って研究をしたら、奥が深くて10年かけて1冊本を書きました。そのなかで「不払い労働」という概念にぶつかった。「女は働いている。ただ、それは不当に支払われない不利な労働だ」と。
「家事も労働だ」という発見に対して、猛反発したのは主婦たちでした。自分たちのやっているのは神聖な愛の行為で、労働なんかじゃない、と。経済学者からも、家事が労働だというのはキミたちが経済学に無知だからだ、と批判されました。
それがその後、1995年に北京で開かれた国連の第4回世界女性会議(北京女性会議)で「不払い労働」が国民総経済計算に占める割合を国連が全加盟国に対して調査しろと。それを受けて、当時の経済企画庁が動いて『あなたの家事の値段はおいくらですか?』という報告書が出ました。それで世の中が変わったんです。
――どう変わったんですか?
1990年代の後半から、統計が変わりました。何が変わったかというと、労働時間の統計に「有償労働時間」と「無償労働時間」が入ったことで、合計すると女の方が男より長時間労働だっていうことがわかりました。
それ以前に、さだまさしさんの「関白宣言」という歌が流行っていましたが、そこに「おれより先に寝てはならない、おれより後に起きてはならない」という歌詞があります。統計を見れば女性の労働時間は男より長く、睡眠時間は男より短い。あんたに言われるまでもないよ、って。
労働時間というカテゴリーが変わった。そうなると専業主婦も「働く女」だってことになります。そうやって徐々に変わるんです。最近「逃げるは恥だが役に立つ」というドラマが評判になりましたね。あの中で結婚したら家事労働の賃金を支払わずにすむとプロポーズした男に、主人公の女性が「好きの搾取です」と返しました。半世紀以上も前に論じられたことが、こうやって、マスメディアに登場するような「常識」になるのかって。感慨を覚えました。
ただしもとの英語は同じ「unpaid work」でも、政府が使う用語は「無償労働」とか「無収入労働」とかですが、私は断固として「不払い労働」を使います。そちらのほうがむかつきが大きいからです(笑)。
――「好きの搾取」話題になりましたよね。
「不払い労働」論のなかで、家事の値段はいくらかという議論が出たときに反発したのも主婦たちでした。「私たちの崇高な行為をお金に換算するとは何事だ」と。でも、半世紀経つと常識が変わります。私たちが言うのは、「常識は変わる。でも勝手に変わるんじゃなくて、私たちが変えてきた」ということ。そういう変化を起こしてきたプライドと達成感はあります。「逃げ恥」以外でも、「へぇー、半世紀経つと常識が変わったねー」と感慨を覚えることはあります。
――それ以外にも何かありますか?
#MeTooで「変わったな〜」と感心したことがあります。年長の世代の女の人たちが「私たちがガマンをしていたせいで、あなたたちにこんな目に合わせた。ごめんなさい」と言い始めたことです。これは画期的な変化でした。こういうものを画期的な変化だと認識するかどうかは、これまでどういう文脈を知っていたかによります。
伊藤詩織さんもバッシングを受けましたが、これまでは性暴力被害を告発する女性に対して、男性のみならず、仲間のはずの年長の女性を含めて被害者を責めるというのが定番でしたから。
――#MeTooとか#KuTooとか、SNSは社会を変える活動には有効なんですか?
SNSのおかげで、アクティビズムに参加するハードルが下がりました。情報発信が誰にも容易になりました。その代わりバッシングもひどいです。クソリプが怖くて萎縮する人もいます。
――上野さんのTwitterでも結構いろいろなコメントがありますよね。
クソリプもいっぱいきますが、時間の無駄なので、無視します(笑)。
――すごいですね(笑)。そういう良いところ悪いところ全部わかった上で、Twitterはやられているのですか?
もちろんです。もともとTwitterをやる前から、私のいるポジションは風当たりの強いポジションでしたから。いつも向かい風を受けてきました。
――向かい風の中、敢えてTwitterの世界に入ったと。
ネットの世界に出ていかないと、若い人たちに情報が届かないということがわかったので。私たちがWANをつくった最大の理由はバックラッシュ(揺り戻し)です。WANを設立した2000年代のはじめは、ネットの世界は今ほど広がっておらず、圧倒的にフェミ叩きの言説が優位でした。Google検索でフェミニズムって入れると、「フェミナチ」とかフェミニスト叩きの保守派のサイトがトップに来る時代でした。このままではやられっぱなしなので、対抗するしかないと、背水の陣でスタートしました。
――同世代よりも若い人にリーチさせたいんですね。
もちろんです。同世代だけでかたまる同窓会をやるつもりはありません。
――ちなみに、上野さんは同窓会とかは行かないのですか?
私は行きません。なんの興味もないので。
――そうなんですね……。
学校で知り合ったことがきっかけで興味のある人とは、その後も継続的に友人関係を維持しています。友達になる理由があるから、友達になるので。そうでない人と、ただ同じ時間と空間を学校時代に過ごしたというだけで、会う理由は私にはまったくない。そんな暇もない。それまで私の人生に関係のなかった人にわざわざ会いに行く理由がありますか?
――なるほど……。ただ、私のまわりだと、友達関係を気にして行く人もいる気がします。
そういう人は私のまわりにはいません(笑)。
――まわりのことを気にするとかはないですか?
私には理解できません。配慮と同調は違います。なにしろ私は「気配りの上野」と呼ばれているぐらいですから、配慮はしますが、同調はしません。例えば、政治ネタを振ったらひかれるから黙るとかいう人がいますが、そういう相手とはつきあわなければいいだけです。仕事で関わっている相手とかだと、利害が関わるので忖度することもあるんでしょうか。
――利害を考えるとだめだと。
そうですね。まわりを気にして動きを止めるとストレスがたまるでしょ。ストレスをためると、美容と健康に悪い。言いたいことを言うのと、言いたいことを抑えるのと、どちらが気持ちいいかといったら、言いたいことを言った方が気持ちいいですよ。
――言いたいことを言ったら、友達がいなくなるよとアドバイスされたことあります。
大丈夫です。別の種類の友達ができますから(笑)。去っていく友達はおそらく友達じゃなかったんだと思います。友達を選べばいいじゃないですか。
――上野さんはよく人生、手を抜かずに生きてきたとお話されていますね。
逆にお聞きしますが、何か課題が与えられたり、問題に直面したりした時に、自分の持てるパワーの6割とか8割で止めるということを、あなたはおやりになりますか?
――正直すべてに100%で向かっているかというと……。
私は注文を受けて仕事をしているわけではないので、自分で設定した課題に自分で取り組んでいるわけですよね。自分も当事者である社会課題に。それに対して、その時点で、自分が持てる力の100から120%は発揮する。
アスリートも同じ経験をしているんじゃないでしょうか。持てる力の8割でやめとこうなんてアスリートはいないでしょう。それだけでなく、120%力を出したら、力がなくなるのではなくて、その分力が伸びるんです。力を出すことにケチらないことですね。
――でも、120%の努力というのは辛くて、なかなかできない気がします。
辛いって、力を出すことの辛さじゃなくて、力を出しても課題が解決しない、あるいは壁を破れないっていう、そっちの辛さじゃないでしょうか。力を尽くすこと自体は、かえって快感だと思いますよ。そのうえ、力を尽くして壁を超えたらその達成感は大きいです。
忖度のない鋭い発言で、メディアやSNSで話題に事欠かない上野さんですが、今回も私の質問にズバズバと語ってくれました。まず、印象に残ったのは「自分自身が研究対象」ということ。上野さんは社会学者という立場でありながら、自らも“被害”を受けた当事者として課題に向き合ってきました。だからこそ、圧倒的な熱量で世の中を変える活動ができたのでしょう。様々な課題があって、つい客観的に見てしまうことが多いSDGsの中で、当事者意識を持てる課題に取り組むことの必要性を改めて感じました。
いざSDGsに取り組もうと考えた時の示唆もありました。SDGsの活動を進めようとする際、 “社会課題を解決するために”と安易に言ってしまいがちです。ただ、「無償労働時間」という統計のひと項目から世の中が変わり始めたと言うように、変化はちょっとずつ起きるもの。だからこそ、一気に大きく変えようと意気込むのではなく、一つずつ積み重ねるように行動していかなければならないと感じました。
世の中にメッセージを伝えるためのSNSの必要性も教えてくれました。思ったことをはっきり主張し、その上で思いを共にできる人と繋がって行く。そうすることで、上野さんは、小さな積み重ねを、少しずつ大きくしてきたのだと思います。
半世紀もの間、当事者としてジェンダーという大きな社会課題に向き合ってきた上野さんのメッセージは、SDGsの行動にとっても貴重な示唆になるはずです。
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