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「事故物件住みます芸人」大ヒットの理由 ニッチとSNSの潮流に乗る
稲川淳二の「怪談の系譜」をアップデートした松原タニシの魅力
ホラー映画『事故物件怪談 恐い間取り』が、公開日から2週連続で週末興行収入ランキング1位(興行通信社より発表)を記録するヒット作となっている。原作者は、「事故物件住みます芸人」として知られる松原タニシだ。2012年から番組の企画内で事故物件に住んで以降、松原の芸風に欠かせないものとなった。なぜ今、松原は求められているのか。オカルトや占いを武器として活動する芸人の系譜をたどる。(ライター・鈴木旭)
“怪談を語る芸人”と言えば、真っ先に思い浮かぶのが稲川淳二ではないだろうか。
とはいえ、そもそも稲川は芸人でも怪談師でもない。一般企業に勤めるデザイナーの一人だった。ある時、芸能美術に興味を持ち、舞台関係の仕事を探したことがきっかけで芝居の世界へ。職場を辞め、劇団員の一員として活動することになった。
怪獣ショーや子ども番組の司会など、舞台以外の仕事も受ける中、ある日友人から結婚式の司会者を任される。ここに日本放送の社員が出席していた縁で、1976年4月に『稲川淳二のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)がスタート。偶然が重なり、稲川は芸能界デビューすることになったのだ。(2019年4月に掲載されたWebマガジン「B-plus(ビープラス)」のスペシャルインタビューより)
稲川に芸人というイメージがついたのは、1980年代に『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)をはじめとするバラエティー番組で、「大量のヘビがうごめくプールの中を泳ぐ」「ワニ3000匹の池へ侵入し、動物歯ブラシで牙を磨く」といった“体を張った笑い”の印象が強いからだろう。
しかし、稲川の強みはあくまでも語りにある。先述の『稲川淳二のオールナイトニッポン』で思わぬ反響が起きたのも、リスナーから募集した怪談話を“稲川流”に読み聞かせるという放送回だった。ここで披露した「赤い半纏」が評判を呼び、テレビでも怪談家として声が掛かるようになる。
1986年に『オールナイトフジ』(フジテレビ系)で語った怪談「生き人形」が大きな話題となり、翌1987年には怪談を収録したカセットテープがオリコンチャート上位にランクイン。稲川のイメージは徐々にリアクション芸から怪談家へと変わっていく。
1990年代に入ると、お笑いタレントの桜金造、伊集院光らもバラエティー番組のワンコーナーで怪談を語るようになった。かねてより、漫画やアニメ、テレビ番組、雑誌などで心霊体験を扱ったものはあるが、彼らは“語り手”として支持された点で新しかった。
1993年からは公演「稲川淳二の怪談ナイト」をスタート。テレビ出演を制限した活動にシフトしている。この時期に稲川は、リアクション芸人のイメージを脱したと言えるだろう。
1990年代前半は、作家で霊能力者の宜保愛子が注目を浴び、テレビで何度も特番が放送されていた時期だ。また、僧侶で霊能者の織田無道もバラエティー番組によく顔を見せていた。
一方で、世紀末の地球滅亡を記したとされる『ノストラダムスの大予言』が大流行。1998年にはホラー映画『リング』が公開され、配給収入10億円を超えるヒット作となった。
バブルが崩壊し、オウム真理教の地下鉄サリン事件、阪神淡路大震災も起きた1990年代。日本が急激に保守的になった時期だ。稲川淳二がオカルト分野の先駆者として支持されたのは、こうした社会不安が重なった影響もあるだろう。
1990年代の社会不安を引き継ぐ中、2001年9月11日にはアメリカ同時多発テロ事件が起きた。旅客機の衝突で炎上するワールドトレードセンターは、「絶対的なものはない」という世情を象徴しているかのようだった。
そんな空気を反映するように、2000年代は芸人の多様化が進んだ。2001年から始まった『M-1グランプリ』(テレビ朝日系)では、それまでになかった漫才スタイルに注目が集まった。Wボケの笑い飯、小ボケ量産型のナイツ、ズレ漫才のオードリーといったコンビは代表的なところだ。
また、2003年4月からスタートした『アメトーーク!』(テレビ朝日系)では、「メガネ芸人」「ガンダム芸人」といった“○○芸人”にスポットが当たっている。このことで、いわゆる“ひな壇芸人”と呼ばれるポジションを目指す若手芸人が増えていった。
『やりすぎコージー』(テレビ東京)では、都市伝説に詳しい関暁夫が脚光を浴びている。2006年11月に発売された著書「ハローバイバイ・関暁夫の都市伝説 信じるか信じないかはあなた次第」(竹書房)は80万部を超える売り上げとなり、新たな都市伝説ブームの火付け役となった。
そのほか、占いの分野では島田秀平、ゲッターズ飯田など、お笑い以外の活動で脚光を浴びる芸人が目立った時期でもある。六星占術で知られる細木数子が、各局で多くのレギュラー番組を抱えていた影響もあるだろう。
『エンタの神様』(日本テレビ系)、『爆笑レッドカーペット』(フジテレビ系)といったネタ番組の全盛期ではあったが、ここで支持された芸人は“一発屋”と称されることが少なくなかった。
アメリカのテレビドラマ『ウォーキング・デッド』に世界中が熱狂した2010年代。日本でも漫画『アイアムアヒーロー』(小学館)が注目を集め、インディーズ映画『カメラを止めるな!』が異例のヒットを記録するなど、いわゆる“ゾンビもの”が大流行した。
一方で、スマホやSNSが普及し、自己プロデュースによって活躍する芸人が増えていく。その象徴的な存在が、キングコング・西野亮廣ではないだろうか。
レギュラー番組『はねるのトびら』(フジテレビ系)が2012年9月に終了すると、西野はツイッターを通じて独演会のチケットを手売りして話題となった。ある意味で“超アナログ”な手法だが、見方を変えれば「オンラインサロン」「クラウドファンディング」といったネットサービスの根幹とも言える。
その後、実際に西野はネットを通じたコミュニティーを生かして絵本「えんとつ町のプペル」(幻冬舎)をヒットさせ、絵本にちなんだ美術館建設や町づくりに奔走。今年2020年12月にはアニメ映画の公開も予定している。まさにマーケティング、広告・宣伝、ブランディングといったプロデュースを担う芸人だ。
相方・梶原雄太は2018年10月から“カジサック”と名乗り、YouTubeチャンネル『カジサックの部屋』を開設。人気チャンネルへと成長し、芸能人YouTuberの参入に大きな影響を与えた。
キングコングの2人以外にも、2016年にインスタクイーンと称された渡辺直美、2018年に「白塗りものまね」で注目を浴びたガリットチュウ・福島善成や野生爆弾・くっきー!、同年12月にアップしたYouTube動画「気配斬り」で時の人となったガーリィレコードなど、SNSを通じて活動の幅を広げた芸人は数多い。
テレビは最新情報を発信するのではなく、最大出力を持つメディアへと役割が変化していった。
「事故物件住みます芸人」として知られる松原タニシは、こうした時代の流れの中で生まれたという気がしてならない。
2003年、松原は大学在学中に松竹芸能養成所(現:松竹芸能タレントスクール)に入り、ピン芸人としての活動をスタート。その後、賞レースでは「R-1グランプリ」で準決勝に進出し、テレビでは『爆笑レッドカーペット』に出演するなど、まずまずの結果も残している。しかし、そこで飛躍することはなかった。
転機となったのは、2012年に出演したホラー番組『北野誠のおまえら行くな。』(エンタメ~テレ)だった。番組のトークイベントに出演したことをきっかけに、松原は事故物件に住むことになる。これが話題となり、イベント出演の機会が増えていった。
2015年からサブカルチャーをテーマとしたネット番組『おちゅーんLIVE!』のMCに抜擢(ばってき)され、この番組内で松原が発案した『OKOWA』(ジャンル不問で一番怖い話をする者を決める大会)も回を重ねるごとに盛り上がりを見せていく。
また、心霊スポットを訪れる模様をコンスタントにネットで生配信し、テレビの怪談企画、オカルトイベントなどにも積極的に参加。こうした活動を経て、2018年6月に発売された著書『事故物件怪談 恐い間取り』(二見書房)が8万部を超えるヒット作となり、「事故物件住みます芸人・松原タニシ」というキャラクターが広く知られるようになった。
独自のルートでのし上がった松原だが、2019年8月22日に掲載された東洋経済オンラインのインタビューの中で「本に関しては売れるとはまったく思ってなかった」と語っている。本どころか、今やヒット映画の原作者だ。なぜ今、松原は求められているのだろうか。
松原の得意とする「怪談」「事故物件」はニッチなテーマだ。しかし、それは今の時代と非常にリンクしている。
たとえばスマホの時代に入って、YouTubeは一大プラットフォームの一つとなった。その中で再生回数を伸ばしている動画の要素を考えるとわかりやすい。動画プロデューサー・明石ガクト氏によると、テレビとYouTubeとの違いは大きく二つある。
一つは「個人の世界をメディア化できること」だ。テレビは基本的に制作者と演者が異なるが、YouTubeは撮りたい動画を個人がそのまま発信できる。
もう一つは「グローバルニッチが支持されること」だ。ニッチな分野、趣味などを深掘りすれば熱烈なファンを獲得できる。それが思わぬ形で海外ユーザーから支持され、驚異的な再生回数を叩き出すこともあるのだ。
松原の場合は、それが本や映画だった。業界的には既定路線だが、ここから松原のYouTubeチャンネルやライブ配信に注目が集まることも考えられる。日本独自のコンテンツであることは間違いなく、字幕を出せば海外からも支持される可能性は十分にあるだろう。
【重版!20万部突破】
— 松原タニシ (@tanishisuki) August 18, 2020
『事故物件怪談 恐い間取り2』
『事故物件怪談 恐い間取り』
共に重版決定で
シリーズ累計20万部突破です。
ありがとうございます。
そして映画公開まであと10日!
盛り上がって参りましょう。#恐い間取り2#恐い間取り#二見書房#事故物件恐い間取り#中田秀夫#亀梨和也 pic.twitter.com/imLVBmozQC
また、松原の活動はキングコング・西野のスタンスにも通じるところがある。西野が本格的に絵画の世界へと没入し始めた頃、同業者や視聴者から「お笑い芸人がどこに向かっているのか?」と疑問の声が沸き上がった。それでも西野は独自路線を走り続け、新たなビジネスモデルを確立した。
松原も「事故物件に住む」という番組内での企画をきっかけに、これまでにない芸風を確立した。普通なら霊の災いを恐れ、しばらくして退居するのが妥当だろう。しかし、松原はこれを自身の“アイデンティティー”として定着させた。
今年、私が松原本人に取材した中でも「(事故物件に住み続けることは)前例がないから、なにかを間違えるとか周りからの評価に戸惑うことなく活動できるだろうと思った」と語っている。西野と同じく、「自分が興味のある分野を、自分のやり方でエンタメ化する」というスタンスなのだ。
映画『事故物件怪談 恐い間取り』がヒットした背景には、こうした芸人やメディアの変化が影響していると感じてならない。松原タニシは、「個人のメディア化」と「グローバルニッチ」、二つの潮流を見事にとらえ、SNS時代に怪談の世界をアップデートした第一人者と言えるだろう。
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