連載
#39 #父親のモヤモヤ
〝母親じゃなきゃ〟は「まったくの杞憂」それでも専業主婦を選んだ妻
メールを寄せてくれたのは、教員をしている30代の女性です。
2016年、第1子となる長男が誕生。育休中の18年には次男が生まれました。今年、2年半ぶりに職場復帰を果たしました。
同時に、やはり教員をしている30代の夫が育休をとることにしました。一転、家事育児は夫が中心に担う生活になりました。
女性はこう言います。「子育てを私自身がやってみて、大変ではあるのだけど、一方でこんなに楽しいものなのか、と思ったんです。そばで子どもの成長を見ていられる喜びは、なにものにも代えがたい。同じ気持ちを夫にも味わってほしいと思いました」
夫に育休をとることを提案すると、最初の返事は「考えてみる」。1週間後、「もう学校に育休をとると伝えてきた」と夫から言われました。
こうして始まった「逆転生活」。女性は子どもがまだ寝ている朝6時には家を出て、午後7~8時ごろに帰宅します。その間、家で家事育児を担うのは夫です。帰宅するころには子どもたちは食事が終わっています。夫が用意してくれた夕食を女性も食べます。
夫は日中、自治体の子育て支援センターや図書館の読み聞かせ教室に通います。それまで料理はできませんでしたが、スマホを片手にレシピをつくります。乳製品にアレルギーがある長男のために「除去食」もつくれるようになりました。
実は、女性には不安もありました。それは「家にいるのが母親から父親になり、子どもが落ち着かないのではないか?」ということでした。「子どもの夜泣きが増えるのではないか、とか、食が細くなってしまうのではないか、とか。子どもも『お母さんじゃないといやだ』って言うかもしれない。周りからも、そのようなことを言われることがありました」
でも、それは「私のまったくの杞憂でした」。当時2歳だった長男は、はじめのころは母親の不在を理解できなかった様子でしたが、すぐに慣れました。いまや父親にべったり。0歳だった次男は何かあれば頼るのは父親だと思っている様子。休日に女性がいるときでもハイハイして向かうのは父親になったそうです。
「父親と母親が同じレベルで家事も育児もできると、より連携がしやすくなります。不安のあった逆転生活ですが、やってみてよかったです。将来、子どもが大きくなったときに、『1年間はお父さんが家事育児をしていた生活だったんだよ』と伝えたいです」
来年4月、1年間の育休を終え、今度は夫が職場復帰する予定です。これを機に、女性は仕事を辞め、しばらく「専業主婦」になることを決めました。意外な決断のように思えますが、それはなぜ?
1年間、仕事中心の生活になるなかで、女性は「子どもが小さい時期はあっという間に過ぎ去る」と実感したそうです。知らない間に、長男は箸が使えるようになり、三輪車に乗れるようになりました。「見逃したなあ。もったいないことをしたなあ……」。そんな思いが募りました。
いまは、もっと子どものそばにいたい。自分の気持ちに向きあったら、自然とそんな結論になりました。子育てが一段落したら、また教職に戻りたいと考えています。
最後に尋ねました。「母性神話って、どう思いますか?」
「小さいときの子育ては母親じゃなきゃいけないということはない。この1年間の経験から、そう実感しています」
夫もメールで意見を寄せてくれました。
共働きの世帯が増えるのと比例するように、家事育児を夫婦でやりくりする家庭も増えました。いま、私たちは母性神話とどう向きあうべきなのでしょうか。発達心理学が専門で「母性愛神話の罠」(日本評論社)などの著書がある、恵泉女学園大学学長の大日向雅美さんに聞きました。
◇
1970年代に駅のコインロッカーに新生児が遺棄されることが相次いで発覚した「コインロッカーベビー事件」をきっかけに、社会のなかに存在する母性観に疑問を抱き、研究を始めました。
見えてきたのは、母性に対する神話ともいえる幻想がいかに女性たちを苦しめ、子育てを困難にしているのか、ということでした。
女性はもともと育児の適性を持っている。だから育児は母親がすべて担うべきで、子どものことはすべて母親の責任――。事件が起きると、「母性喪失の時代」「鬼のような母」と一斉に母親を責め立てる風潮になりました。
そんな空気のなかで、女性たちは「子育てがつらい」とか「子どもをかわいく思えない」などと口に出すことができず、孤独な子育てを強いられてきました。
「母性愛神話」は日本社会では政策的に、意図的に使われてきました。
戦後の高度経済成長期は重工業が中心で、体力があり、長時間働ける男性が労働を担い、女性が家庭に入って支える、というモデルがある意味で必然だった部分もあります。ただ、それを正当化するために「母親の不在が子どもの発育を阻害する」などと、根拠のない論理が持ち込まれました。
高度経済成長期が終わって低成長期に入ると、今度は福祉予算の削減のなかで、育児や介護を女性に専念させるために、母性愛神話が使われたと思います。
乳幼児期は安定的な愛情のなかで子どもが育つことが必要。それは、そのとおりです。でも、それが母親でなければいけないということはありません。この時期は愛を知ることが大切です。愛されることで、子どもは自信を持てます。そのときの愛は母親だけでなく、父親、祖父母、保育園の先生など、「この子を愛そう」とする一定数の人々の愛が必要です。母親だけに育児を担わせる考え方は間違いです。
母性愛神話は、女性たちを追い詰めるだけではありません。「育児は母親である妻の仕事」という母性観を強くもつ日本社会は、男性たちを父親にする機会を奪っていると言えます。共働きが当たり前になっているのに、男性に育児を許さない働き方を強いている企業社会の文化も見直さなければなりません。
女性だけでなく、男性のためにも、子どものためにも、母性愛神話から解放されないければいけないと思います。
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