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#2 #カミサマに満ちたセカイ

ラスボス感半端ない!SNS震撼、100m級「巨大仏」の深いルーツ

青空の下、車道越しに立ち上がる「仙台大観音」。日常の風景を突き破る存在感に、多くの人々が魅了されています。こうした仏像が「巨大仏」と呼ばれ、全国に点在していることを知っていますか? その深いルーツに迫ります。=半田カメラさん撮影
青空の下、車道越しに立ち上がる「仙台大観音」。日常の風景を突き破る存在感に、多くの人々が魅了されています。こうした仏像が「巨大仏」と呼ばれ、全国に点在していることを知っていますか? その深いルーツに迫ります。=半田カメラさん撮影 出典: 半田カメラさん提供

目次

あなたは全国に点在する、「巨大仏」を見たことがありますか? 鎌倉や、奈良の大仏のこと? いえいえ、もっと大きいんです。100メートル級のものもあり、SNS上には、インパクトある写真が流通。「ラスボス感半端ない」などと、度々話題を呼んでいます。「天をつく仏様」は、いかにして現れたのか? 歴史をひもとくと、平和への思いを起源に持ちながら、「色物」との批判に耐えてきた背景が見えてきました。時代を映す「鏡」とも言うべき、その存在のルーツを探ります。(withnews編集部・神戸郁人)

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「日常が特撮風味になる」

「巨大仏」と聞いても、はっきりとイメージが出来ないという人がいるかもしれません。まずは、どんなものなのかを確認してみましょう。

SNS上にはしばしば、空に届きそうなほど、背の高い仏像の写真が出回ります。代表的なのが、茨城県牛久市に立つ阿弥陀如来像「牛久大仏」です。東京・浅草にある東本願寺が、霊園「牛久浄園」のシンボルとして、1992年に完成させました。

花々に囲まれ、穏やかな雰囲気を漂わせる「牛久大仏」。
花々に囲まれ、穏やかな雰囲気を漂わせる「牛久大仏」。 出典: 半田カメラさん提供
凄まじいのは、その大きさです。寺によると、台座を含め、高さは約120メートルにもなります。米国・ニューヨークの「自由の女神」は、像だけで約40メートルなので、何と3倍ほど。95年には、世界一高い青銅製の立像として、ギネスブックにも登録されました。

仙台市郊外に立つ、コンクリート製の「仙台天道白衣大観音(仙台大観音)」も、ネット上で話題に昇る像の一つ。管理する「大観密寺」によれば、同市政の施行100年を記念し、1991年に完成しました。高さは約100メートルで、真っ白な塗装が特徴的な観音像です。

周辺は丘陵地帯を切りひらいた住宅街で、坂道に囲まれています。ファンに人気なのは、民家の合間から、「ぬっ」と顔を出す構図です。あまりの印象の強さに、「異世界ぶりが想像以上」「日常が特撮風味になる」などの感想が、引きも切りません。
「仙台大観音」は、どの角度から撮っても絵になる、との呼び声が高い。
「仙台大観音」は、どの角度から撮っても絵になる、との呼び声が高い。 出典: 半田カメラさん提供

現実と夢の境をなくす存在感

圧倒的な存在感を誇る巨大仏。その姿のとりこになった、プロのカメラマンもいます。

「何も無い空間に、人型をしたものが、こつぜんと現れる。他ではあり得ない光景ですよ」。熱っぽく語るのは、写真家の半田カメラさんです。全国で200体以上の大仏を撮影し、写真集『夢みる巨大仏 東日本の大仏たち』(書肆侃々房)などにまとめてきました。
牛久大仏と同じポーズでツーショットを撮る半田カメラさん。
牛久大仏と同じポーズでツーショットを撮る半田カメラさん。 出典: 半田カメラさん提供
高層建築物好きが高じ、巨大仏にひかれるようになったという半田さん。眺めているうちに、「現実と夢の境目がなくなる」感覚に襲われる点がたまらない、と言います。

野原や住宅地の真ん中に、仏像がすっくと立ち上がっている――。その不思議さは、確かに言葉では表しきれないものです。反響が大きいのもうなずけます。

その大きさに制約なし

話題を呼んでいる巨大仏ですが、実は昭和初期~平成中期に建立されたものが多くあります。古来の「大仏」と比べ、どんな点が異なるのでしょうか?

手始めに、大仏という言葉を辞書で引いてみると、次のように解説されていました。

◆巨大な仏像。丈六(像高約4.8メートル)以上のものをいう。
(三省堂「大辞林」第三版/コトバンクから)
「丈六(じょうろく)」とは、「一丈六尺」という高さの単位のこと。「お釈迦(しゃか)様の身長が一丈六尺だった」という伝説にちなんでいると言われています。
大仏といえば座った状態、というイメージが強いかもしれません。これは「坐(ざ)像」と呼ばれ、全長が「八尺(2.4メートル)」以上のものを指します。有名な「奈良の大仏」は約18メートル(台座を含む)「鎌倉の大仏」は13.4メートル(同)です。

 

鎌倉の大仏(左)と奈良の大仏。
鎌倉の大仏(左)と奈良の大仏。 出典: PIXTA
一方、巨大仏の高さですが、実は明確な決まりがありません。そのため、主観的に「巨大」と見なされる仏像は、全てこのくくりに入ります。

宗教的な制約が少なく、自由な進化を遂げた大仏――。そんな定義づけが出来そうですが、何だかモヤモヤした部分も残りますね。

そこで、旅行エッセイスト・宮田珠己さんの著作『晴れた日は巨大仏を見に』(幻冬舎文庫)をひもといてみました。すると、「全長40メートル以上」を一応の基準とする、という趣旨の一文が目に入ってきます。
「(身長40メートルの)ウルトラマンよりデカい」というのが理由ですが、不思議としっくりくるようです。今回は、この基準を元に、話を進めていきましょう。

実力者のアイデアを色濃く反映

昭和・平成の時代に、巨大仏がブームとなったことは、既に述べました。その中には、地域の実力者のアイデアを、色濃く反映しているものがあるのです。

昭和期以降に造られ、高さが40メートル以上のものは、1道9県にある11体――。宮城県岩沼市史編纂(へんさん)室の小田島建己専門員が、2016年発表の論文で示したデータです。このうち、約3分の1にあたる4体は、いわゆる「バブル期」に建設が進みました。

全長が40メートル以上ある、全国の巨大仏一覧。緑色に網掛けしたのは観音像で、全11体のうち、10体を占める。(宮城県岩沼市史編纂室・小田島建己専門員の論文「仙台大観音-胎内空間と巡礼-」から作成)
全長が40メートル以上ある、全国の巨大仏一覧。緑色に網掛けしたのは観音像で、全11体のうち、10体を占める。(宮城県岩沼市史編纂室・小田島建己専門員の論文「仙台大観音-胎内空間と巡礼-」から作成)
1991年完成の仙台大観音も、その一つ。元々、不動産開発などを手がけた郷土の実業家・菅原萬(よろず)さんが発案したものでした。自伝『ガキ大将の夢、ロマン』(踏青社)に「仙台市にもなにか名物になるようなものが欲しかった」と理由をつづっています。
他の3体は「会津慈母大観音」(福島県会津若松市・57メートル)、「慈母観音(加賀大観音)」(石川県加賀市・73メートル)、「北海道天徳大観音」(北海道芦別市・88メートル)。いずれもテーマパークの一施設として造られた、という点が共通しているのです。
「会津慈母大観音」。周囲に高い建物がなく、ひときわ異彩を放っている。
「会津慈母大観音」。周囲に高い建物がなく、ひときわ異彩を放っている。 出典: 半田カメラさん提供

「色物」「でかいだけ」痛烈な批判

バブル期以前に建てられた巨大仏の中にも、似た歴史を歩んできたものがあります。

「世界平和大観音」(兵庫県淡路市・約100メートル)は、代表的な事例です。先述の小田島さんの研究などによると、1982年に完成。こちらも地元出身の男性実業家が手がけ、一時は観光の目玉として、高額な拝観料を取り運営していました。

淡路島に立つ「世界平和大観音」。周辺に博物館なども配置され、かつては多くの人々が訪れた。現在は設備の老朽化が進み、敷地内に立ち入ることは出来ない。首の部分には、かつての展望台が残る。
淡路島に立つ「世界平和大観音」。周辺に博物館なども配置され、かつては多くの人々が訪れた。現在は設備の老朽化が進み、敷地内に立ち入ることは出来ない。首の部分には、かつての展望台が残る。 出典: 半田カメラさん提供

しかし次第に客足が遠のき、2006年に閉鎖。男性が亡くなってからは、正式な相続者がいないとされています。老朽化が進んだ結果、構造物の一部が落ち、周辺にある施設の屋根を突き破ったことも。安全面を不安視する声が、地域民から上がりました。

このような事情もあり、巨大仏は「ただでかく物珍しいだけ」「色物の仏像」といった批判に、度々さらされる憂き目にあったのです。

「平和のシンボル」となった大観音

果たして、巨大仏は「無用の長物」なのでしょうか? 仏像文化研究家の君島彩子さんを取材すると、「批判は一面的なもの」との答えが返ってきました。

君島さんは自身の博士論文で、昭和期以降に完成した11体の巨大仏のうち、10体が「観音像」である点に着目。「平和を象徴するモニュメントとなった」と指摘しています。どういうことか、見ていきましょう。
観音は「様々に姿を変えて人々を救う」と信じられ、色々な造形で表される仏様です。特に近代以降、白いローブのような衣をまとう、女性的な「白衣(びゃくえ)観音」の像が流行しました。君島さんによると、キリスト教の聖母・マリア像の影響も背景にあります。
京都市の東福寺が保管する「白衣観音図」
京都市の東福寺が保管する「白衣観音図」 出典: 朝日新聞
実際、白衣観音像の巨大仏は、数多く造られてきました。君島さんによると、この「観音ブーム」の先駆けとなったのは、1936年完成の「高崎白衣大観音」(群馬県高崎市・41.8メートル)です。
高崎市には当時、旧陸軍の歩兵連隊が置かれていました。過去の戦争では、多くの地元民が戦地に赴き、命を落としています。こうした状況も踏まえ、地域の男性実業家が、観音像を発案。亡くなった人々の冥福や、社会の安定を祈り造った、という経緯があるのです。
夕闇の中に浮かぶ「高崎白衣大観音」像。精巧なつくりと、美しい造形が特徴だ。地元民からの人気も高い。
夕闇の中に浮かぶ「高崎白衣大観音」像。精巧なつくりと、美しい造形が特徴だ。地元民からの人気も高い。 出典: 半田カメラさん提供
「もちろん、実業家が、自己顕示欲から提案した面もあるかもしれません。一方で、地域の人たちからは、『全国で一番美人な観音様』などの声が聞こえてきます。『平和のシンボル』として受け入れられているからこそ、と考えられるでしょう」

「異質さ×美しさ」で支持を獲得

高崎の観音像は、内部が九つの階層に分かれています。肩の部分に展望台もあり、自由に回れるつくりです。「胎内巡り」という名で人気を集め、全国から参拝者が訪れるように。戦後にできた巨大仏にも、この構造は採り入れられています。

「慰霊のため人を呼ぶ」という性格も受け継がれました。君島さんによると、1961年完成の「東京湾観音」(千葉県富津市・56メートル)が代表格です。東京大空襲の被害を知る実業家が、平和を願い建立。現在も地域の遺族会と、戦死者を弔う法要を続けています。
「東京湾観音」は、東京大空襲の犠牲者の追悼などを目的に建てられた。その優しげな表情に、安心感を覚える人が少なくない。
「東京湾観音」は、東京大空襲の犠牲者の追悼などを目的に建てられた。その優しげな表情に、安心感を覚える人が少なくない。 出典: 半田カメラさん提供
しかし高度経済成長期以降は、観光客向けの機能を、過度に重視した巨大仏が目立ち始めます。中には周辺住民とのつながりが薄く、維持費が集められなくなり、廃墟と化してしまうケースも。淡路の観音像は、その不幸な事例と言えるでしょう。
一方、地域の象徴として、定着しているものも少なくありません。仙台大観音を管理する、大観密寺の鈴木興相(こうそう)・住職代理は「体調の回復を願い、入院先から像の方向に手を合わせる人がいる。海外映画のロケ地となるなど、最近はランドマークの役割も果たしています」
こうした状況について、君島さんは、次のように分析します。「巨大仏は、新しい祈りの形を生み出しました。ある種の異質さと、美しさを両立させる。そのようにして、あえて宗教色を薄めたことで、幅広い層の支持を得られたのではないでしょうか」

仏様の数だけ、誕生までのドラマがある

調べてみると、深いルーツがあった巨大仏。先に登場した半田カメラさんは、「訪問前にぜひ、そうした歴史を知って欲しい」と呼びかけます。

例えば、半田さんが「目にした時、最も心躍らせた巨大仏」と語る牛久大仏。仏教の寺院が、教義を広める拠点としたことを始め、観音像とは異なる背景があります。内部には仏教世界をイメージした、CG映像を流すエリアがあるなど、一風変わった演出も魅力です。

ライトアップされる牛久大仏。敷地内では、季節ごとに、花火を打ち上げるイベントなども開かれる。
ライトアップされる牛久大仏。敷地内では、季節ごとに、花火を打ち上げるイベントなども開かれる。 出典: 半田カメラさん提供
牛久大仏は、仏教について、ある種エンターテイメント的に伝えようとしています。すごく『外に向けて開いている』感じがするんですよね。そんな風に、造った人の思いが伝わってくる点が、とても好きなんです」
「仏様の数だけ、誕生までのドラマがある。外見だけでは分からない面白さについて、広く共有してもらえれば素敵だな、と思います」
巨大仏は、その背の高さに注目が集まりやすく、「なぜあるのか」ということは見過ごされがちです。しかし大きな体の中には、建立に関わった人々の、確かな熱意が詰まっています。その点に思いをはせながら眺めてみると、豊かな景色が見えてくるかもしれません。

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