8月9日に公開予定の『ライオン・キング』は、ライオンの子どもシンバの成長を描いたディズニーの大ヒット映画のリメイク版です。「超実写版」として期待が高まるこの作品の舞台は、アフリカの大自然。しかし、来日した監督のジョン・ファヴローさんは、意外にも「動物以外のもの」が描かれていると明かします。
それは、テクノロジーによって変化しつつある現代社会における「自分と他者との関わり」。一度きりの人生、自分勝手に生きていいのか、それとも、社会への責任を果たすべきか……。『アイアンマン』『ジャングル・ブック』などの監督、そして俳優としても活躍するファヴローさんに、新作に込めた想いを聞きました。
※以下、一部にファヴローさんの過去の監督・出演作品のネタバレを含みます。鑑賞前の方は十分に注意してください。
――監督として、『ジャングル・ブック』(2016)に続くディズニー代表作のリメイク。責任重大ですが、プレッシャーはありませんでしたか。
もちろんあったよ! とても緊張した。
というのも、『ジャングル・ブック』はかなり昔の作品(1967年公開)だから、多くのことを変える余地があったんだ。でもアニメ版の『ライオン・キング』は公開からそこまで時間が経っているわけじゃない。「あれ、これって昨日製作されたものだっけ?」と感じるくらい色あせていない、不朽の名作だ。
僕は観客のみなさんのために映画を作っている。『ライオン・キング』と共に育ちました、という人たちがたくさんいることを僕は知っている。『ライオン・キング』が人生の一部だと感じている方々の期待を裏切るわけにはいかない。
一方で、僕は『ライオン・キング』を新しいものにもしたかった。これは逆説的な想いで、「オリジナルを大切にしながらどうやって新しくするのか」というのは本当に難題だった。
――最先端のVR技術とアフリカでの資料撮影を組み合わせ、生命そのものの躍動を観るものに感じさせる、たしかに新しいライオン・キングになっていました。北米映画興行収入で初登場1位と好発進ですね。
本当にホッとしたよ! 観客のみなさんに受け入れられるかどうか、これが一番、僕が大事にしたいことだったからね。
――ファヴローさんは監督としてだけでなく、俳優としても映画に関わりますよね。
僕にとっては監督も俳優も、どちらも同じ「ストーリーテリング」なんだよね。
アメリカでは、おそらく日本もだけれど、監督になる一般的な方法というのは映画の学校に行ったり、自主制作で映画を製作したり、ということだ。でも、僕は監督に必要なことはすべて、役者をしながら学んだ。役者として、すばらしい監督と一緒に仕事をすることで、それが身についたという順番かな。
――監督と俳優、両方の役割をする映画もありますが、混乱しませんか?
作品によるね。小規模な作品だと、監督をしながら自分で出演をするというのは、かえってやりやすいんだ。多くのことをコントロールできるからね。
逆に、大変だったのは『アイアンマン』(2008)。作品としての規模がケタ違いで、目を配る場所が多すぎた。
――『アイアンマン』は『アベンジャーズ』などが日本でも大人気のマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)シリーズの第1作で、ファヴローさんは以来、現在まで23作を数えるシリーズの映画の多くに、アイアンマン/トニー・スタークの運転手兼ボディーガードのハッピー・ホーガンとして出演されています。ファンから愛されるキャラクターですが……。
監督としての仕事に集中したいので、監督をした『アイアンマン』『アイアンマン2』ではハッピーのセリフはほんの少し。エキストラ程度の出番にしたんだ(笑)。
ファンに支持してもらっているとしたら、(MCU作品の)他の監督のおかげかもしれない。自分以外の監督の作品に登場するハッピー・ホーガンの方が、我ながらいい演技なんだよ。
――俳優としては比較的、自由に演技されているのですね。
俳優としては、その方がやりやすいからね。『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム(SFFH)』(2019)のハッピーは大活躍だったでしょ? 『アイアンマン』シリーズは端役なのに(笑)。あんまり色々、心配する必要がなくて、楽しく演技できるからね。
ただ、『アベンジャーズ/エンドゲーム』(2019)以降は、俳優としても責任を感じることが多くなった。
僕は2008年に『アイアンマン』の監督・製作総指揮をした。ロバート(・ダウニー・Jr)演じるトニー・スタークは、それから10年以上、シリーズの中心として多くのファンを魅了し、MCU自体の人気を大きく押し上げてくれた。
エンドゲームはトニー・スタークが大きな転機を迎え、SFFHはその後を描いた作品だ。もちろん架空の人物なんだけど、僕が最初に撮ったキャラクターが、ファンと共に10年以上、活躍してきた。
だからエンドゲーム、そしてSFFHにはぜひ、俳優としても参加したかったんだ。ファンのみんなが何を思っているのかわかるつもりだったから、それを代表するような演技ができればと思ったんだ。
――「責任」と「自由」は、まさに今作『ライオン・キング』のテーマでもあります。
そうだね。主人公・シンバやその父で王のムファサがいるサバンナでは、すべての動物が「サークル・オブ・ライフ」(命の循環)に責任を持つ。一方、ティモンとプンバァのコンビのモットーは「ハクナ・マタタ」(くよくよするな)。その前提にあるのが「人生は他者と交わらない直線である」というジャングルの自由な考え方だから。
――サークル・オブ・ライフとハクナ・マタタは作品の二大テーマでありながら、時に衝突するのではないでしょうか。
時にではなく、常に衝突するものだね。それはまさに、僕が『ライオン・キング』を2019年にリメイクする上で、提示したかったテーマでもあるんだ。
――『ライオン・キング』の世界で起きたことは、現代社会にも通じる、ということですね。
わかりやすいメタファーとして、シンバについて考えよう。シンバは幼い頃に深いトラウマを負う。子供時代のシンバにはジャングルのハクナ・マタタが必要だった。自分自身にプレッシャーをかけず、リラックスする。心配しない。自分を癒やす時間、余地が欲しかったんだ。
後にシンバが大人になって、サバンナのピンチを救うために、ナラがやってくる。「あなたが必要とされている」と頼むけど、「僕はハクナ・マタタだ」と断る。ナラは「サークル・オブ・ライフに責任を果たすべきだ」とシンバに詰め寄る。
ここからわかるのは、シンバにはハクナ・マタタの時期、自己中心的に過ごすような時期も必要だけど、やっぱりどこかで、サークル・オブ・ライフの階段を上らなくてはいけなかった、ということ。その後はシンバ、そしてプンバァとティモンでさえ、自分の考えを少し変えて、他者のために行動したわけだから。
――考えを変えた後の「人生は一直線じゃないのかもしれない」という解釈、同じような悩みを抱える人間としても、とてもしっくり来ました。
一人で生きているつもりでも、どこかで結局、関わってしまう。すべてはバランスなんだ。人生をストーリーだとすれば、そこには生や死、幸運も悪運、喜ばしいこともそうでないこともあって、我々はその両面にどうリアクションするか、常に問われている。
大事なことは、サークル・オブ・ライフもハクナ・マタタもどっちもあって、それぞれ必要。だからこそ、「責任」「自由」のどちらかに偏ってしまうのは危ぶまれることだ。
世界はみんなつながっている。テクノロジーによって、それはさらに狭くなった。この時代に、自分と他者との関わりについて、動物たちの物語をきっかけにぜひ、考えてみてほしいな。物語っていうのは、そういうことのためにあるわけだからね。