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「平成」彩る日産の傑作「シーマ現象」 バブルの象徴を振り返る

平成初めのバブル期に爆発的な人気を呼び、社会現象にまでなった日産自動車の初代「シーマ」。仙台で見つけた低走行フルノーマルの中古車から、「シーマ現象」に始まる激動の平成クルマ文化史をひもとく。

日産自動車の初代シーマ
日産自動車の初代シーマ

目次

新しい元号「令和」に沸く中、思い出してもらいたいのが、平成初めのバブル期に爆発的な人気を呼び、社会現象にまでなった日産自動車の高級セダン、初代「シーマ」だ。仙台の中古車店で見つけた低走行フルノーマルの一台から、「シーマ現象」に始まる激動の平成クルマ文化史をひもといてみた。(北林慎也)

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高級セダン像を一新

まもなく終わる平成時代、我が国のクルマを取り巻く環境は大きく変わった。つくる側も売る側も、そして買って乗る側も。
そんな激動の時代を最も象徴するうちの一台が、日産の初代セドリック/グロリア「シーマ」だろう。
初代シーマは1988年にデビュー。弟分のセドリック/グロリア(セドグロ)をベースに、より大柄な3ナンバーの専用ボディーをまとう上級派生モデルだった。
当時の国産高級セダンはタクシー仕様やバンなど多様な用途を、基本設計の同じ汎用的なボディーでまかなうため、どこかあか抜けないイメージがつきまとっていた。
かたや専用設計ボディーのシーマは、日本車離れしたスタイリッシュなピラーレス4ドアハードトップで、旧来の高級セダンのイメージを一新する。
また、動力性能にも優れていた。中でも、上級仕様に積まれた3リッターV6ツインカムターボのVG30DET型エンジンは、当時のスポーツカー顔負けの255馬力を発揮。柔らかめのサスペンションゆえにテールを沈めて猛加速するやんちゃな姿が、羨望の的だった。

255馬力を絞り出すVG30DET。当時の人気ドラマ『あぶない刑事』劇中車でおなじみの「レパード」にも用意された=日産自動車提供
255馬力を絞り出すVG30DET。当時の人気ドラマ『あぶない刑事』劇中車でおなじみの「レパード」にも用意された=日産自動車提供

バブル景気の申し子

この、最上位グレードで500万円超の高価なクルマが、発売直後から飛ぶように売れる。
世はバブル景気の真っ只中。500万円をポンとクルマ購入に充てられる、当座のキャッシュに不自由しない老若男女がたくさんいた。
あか抜けない他の国産高級セダンと、まだまだ高価だったガイシャ(輸入車)との間を埋めるシーマの絶妙な立ち位置が、水ぶくれした市場の潜在ニーズにうまくハマったのだろう。
この快進撃は当時、イケイケな世相を映す社会現象として「シーマ現象」と呼ばれた。

センターコンソールに据え付けられた、オプション装備の自動車電話。当時は最上級のステータスアイテムだった。しかし今となっては便利なのか不便なのか、いまいち分からない=日産自動車提供
センターコンソールに据え付けられた、オプション装備の自動車電話。当時は最上級のステータスアイテムだった。しかし今となっては便利なのか不便なのか、いまいち分からない=日産自動車提供

最終型の「92年式」

間もなく平成が終わるのを前に、そんな歴史的名車を間近に見たい――。
そこで、フルノーマルの低走行車があると聞いて訪ねたのが、仙台市宮城野区の中古車店「クライス」。
高橋清永社長(55)が一昨年、懐かしさのあまり個人から仕入れたという一台のシーマが展示スペースにあった。
純正アルミを履くフルノーマルの「タイプⅡリミテッドAV」。
フルモデルチェンジ間近となる91年生産の最終型だが、登録遅れ車両のため、店頭のプライスタグでは「92年式」となる。
走行距離6.4万キロで本体価格98万円、車検・整備付きの支払総額は120万円だ。
全国から問い合わせがコンスタントにあるが、高橋社長は「本気で売るつもりはない」と笑う。
当時モノの希少な純正エアロを趣味でストックしていて、いつか往年のテイストでカスタムして自分で乗るつもりだという。

細目で薄味なテールランプ。ゴテゴテした加飾が定番だった当時の国産高級セダンの中にあって、スマートさが際立った
細目で薄味なテールランプ。ゴテゴテした加飾が定番だった当時の国産高級セダンの中にあって、スマートさが際立った

「日産の全盛期だった」

名機VG30DETに火を入れると、交換時期のベルト類が緩んでいて「ヒュンヒュン」と異音がする以外、機関に不調はない。
この年代のクルマのエアサスは、ゴム類の劣化による空気漏れなどの不具合がないほうが珍しいぐらいだが、ノーマル車高で丁寧に乗られていたこのクルマのエアサスはまだ大丈夫だ。ただ、高橋社長は、万一のことを考えて壊れにくいバネサスへの換装を勧める。
また、このシーマには、リミテッドAVならではの豪華装備「マルチAVシステム」が付いている。
当時はまだ珍しかった車載テレビや原始的なナビゲーションを集約したシステムで、30万円超の高価なオプションだった。
しかし、高橋社長といろんなボタンを押してみたが画面は真っ暗なままで、動作が確認できたのはFMラジオだけだった。
エンジンルームには、誇らしげなロゴの「セラミックターボ」が鎮座する。
低回転域からの加速とレスポンスに優れた過給器で、当時の「技術の日産」の代名詞。
「とにかく速くてカッコ良かった。日産の全盛期だった」。高橋社長はしみじみ振り返る。

ラジオやエアコンの操作ボタンが集まるセンターパッドが固定された、ユニークなステアリング。3本スポークが『パタパタママ』の手足みたいに、左右にクネクネ動く
ラジオやエアコンの操作ボタンが集まるセンターパッドが固定された、ユニークなステアリング。3本スポークが『パタパタママ』の手足みたいに、左右にクネクネ動く

もう一台の申し子

そして、この店舗にはもう一台、バブル期を象徴する同時代のクルマがあった。
91年式の8代目トヨタ・クラウン2.0ロイヤルサルーン。
実用域を補うスーパーチャージャーが付いた2リッター直6の高回転ツインカムを、3ナンバークラスの寸法のワイドボディーに積む。バンパーがペチャンコな5ナンバーの寸詰まりボディーと違って、ドアパネルの抑揚など伸びやかなデザインが特徴だ。
こちらもフルノーマルで走行距離8.7万キロ、本体価格は68万円。
塗装の色あせなど年式相応のヤレはあるが機関類はしっかりしていて、エンジン始動やエアコン動作もスムーズでなめらかだ。

8代目トヨタ・クラウン。1955年のトヨペット・クラウンRSから続くトヨタ自動車の金看板。昨年に15代目となり、同じく三河がルーツの徳川将軍家に並んだ
8代目トヨタ・クラウン。1955年のトヨペット・クラウンRSから続くトヨタ自動車の金看板。昨年に15代目となり、同じく三河がルーツの徳川将軍家に並んだ

手ごわいハイソカー軍団

当時のクラウンは、マークⅡやクレスタ、チェイサー、ソアラなどトヨタのハイソカー軍団の頂点に君臨し、シーマおよびセドリック/グロリアと真っ向勝負を演じた。
急激な円高を背景に北米市場での利益率を上げる必要から開発・投入された、レクサスLS(国内では初代「セルシオ」として発売)との差別化に苦心しながらも、そのセルシオおさがりの4リッターV8エンジン搭載モデルを用意して、シーマに対抗する。
世界的な名車となったセルシオの陰に隠れて忘れられがちだが、この8代目もよく売れた。
クラウンはその後、バブル崩壊と重なる9代目など一時的なコンセプトの迷走や低迷がありながらも、昨年には15代目に進化。大胆なマスクで若返りを図りながら、ハイヤーや個人タクシーにも重宝される国産高級セダンの定番として、いまや比類なき存在だ。

8代目クラウンのこってりした肉厚のテールランプ。ここをあっさり風味にした9代目は不評で、マイナーチェンジで軌道修正を余儀なくされる
8代目クラウンのこってりした肉厚のテールランプ。ここをあっさり風味にした9代目は不評で、マイナーチェンジで軌道修正を余儀なくされる

トヨタと日産の明暗

かたやシーマは、4代目の生産終了でいったん途絶えた後、2012年にセドグロ後継車「フーガ」の派生車種として復活する。
後部座席分をストレッチしたボディーに今どきのハイブリッドシステムを積み、三菱自動車にもOEM供給するが、ほぼ系列企業の役員送迎でしか見たことがない。クルマ好きの中でも、今のシーマがどんな形だったかパッと思い浮かぶ人はそう多くないのではないか。
初代シーマを筆頭に、R32スカイラインやZ32フェアレディZ、初代セフィーロ、S13シルビア、初代プリメーラ、フィガロ……といった珠玉の陣立てでトヨタを猛追した平成初期の日産。
それから30年後のクラウンとシーマの対比は、ちょうどこの間のトヨタと日産の明暗を象徴するようで興味深い。

車高を低く抑えて頭上空間を犠牲にしながら、スタイリッシュさとパーソナル感を演出した初代シーマ。室内の広さは当時、必ずしもぜいたくなクルマの指標ではなかった
車高を低く抑えて頭上空間を犠牲にしながら、スタイリッシュさとパーソナル感を演出した初代シーマ。室内の広さは当時、必ずしもぜいたくなクルマの指標ではなかった

シーマからハイエースへ

日産がトヨタと好勝負を演じていたバブル期、クライスの高橋社長は、大工を経て20歳でこの商売を始めた。
「クルマを置けばすぐに売れた」。「シーマ現象」当時をそう振り返る。
自身もシーマに乗った。スタイリングの良さに惹かれたが、売れていたから自分も買ったというのが正直なところらしい。
乗っていると「社長のシーマを譲ってほしい」と、しきりに声をかけられた。
ところが「シーマ現象」からほどなく、パタリとクルマが売れなくなる。
不況とクルマ離れのダブルパンチが業界を襲った。地方における日常の足は、利幅の小さい軽カーが売れ筋になる。
20年ほど前に廃業を考えたが、借金しながら持ちこたえた。
そこに追い打ちをかけた、2011年3月11日の東日本大震災。60台ほどあった在庫車がすべて、津波浸水で廃車になってしまう。
しかし被災地には、同じように愛車を失い、生活再建のために新しく車を必要とする人たちがいた。
奮起した高橋社長は「ポンコツをかき集めて」、震災から2カ月後になんとか営業再開までこぎ着ける。
そして今は、トヨタの商用バン「ハイエース」の販売・修理が主な仕事だ。
現場仕事に欠かせないハイエースは好不況の波に左右されず、一定の需要を見込めるのに着目した。マイカーとしてカスタムに凝るマイルドヤンキー層の支持も厚い。

仙台市宮城野区の中古車店「クライス」。仙台港にほど近い立地で、東日本大震災では津波浸水の被害に遭った
仙台市宮城野区の中古車店「クライス」。仙台港にほど近い立地で、東日本大震災では津波浸水の被害に遭った

激動の平成、そして令和へ

振り返ってみれば、漢字のイメージとは裏腹に激動の時代だった平成。来たる令和はどんな時代になってほしいか? 高橋社長の願いは堅実かつ切実だ。
「良くも悪くもならず、今のまま変わらず商売がしたい」
取材中もひっきりなしに修理待ちの客が来る。
楽しみにしているシーマのカスタムは、もうしばらく先になりそうだ。

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