連載
#1 平成炎上史
「平成炎上史」はじまりとなった「二つの事件」不安さを照らす炎
平成という時代は、ネット発の社会現象である「炎上」が日本列島を席巻し、事件として取り沙汰されるニュースの数々を生み出した時代であった。「炎上」は、わたしたちの側の心のありようや、それに影響を与えている社会の状況と切っても切り離せない。「炎上」前夜ともいえる時期に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」と「秋葉原通り魔事件」から、あらためて「炎上」とは何かを考えてみたい。(評論家、著述家・真鍋厚)
今や日常風景の一部と化した「炎上」――。
2019年も西武・そごうの「パイ投げ」CM、ZOZOTOWNの前澤社長のお年玉キャンペーン、週刊SPA!の「ギャラ飲み」記事等々とどまるところを知らない。
「炎上」は、例えば企業の立場からすれば、「コンプライアンスの問題」になるが、すでに多くの人々が気付いているように、一概にそうとも言い切ることはできない。なぜなら、そもそも「炎上」している側が「おかしい」場合が往々にしてあるからだ。
その「おかしさ」については長大なリストが作れるほどで、「なぜ極論と誹謗中傷ばかりが横行するのか」「なぜ(他ではなく)この人物のこの発言だけが槍玉に上げられるのか」までさまざまである。
「〇〇は社会を映す鏡」という言葉が昔からあるが、今必要なのは「〇〇はわたしたちを映す鏡」という認識だ。問題を社会全体に拡散するのではなく、一人ひとりが自覚と責任を持たなければならない。「炎上」を起こしているのは、今、インターネットに接している自分だという自覚である。
そう、「炎上」は、先行きの見えない不安と社会的な関係性から排除されることの恐怖を抱える「わたしたちを映す鏡」であり、国民の面倒を見ることを放棄しているとしか思えない国家、家族やコミュニティが〝避難所〟として機能せず、「自己責任」を強制される社会に支えられている……。
平成はこのような動きが加速度的に進んだ時代であった。
ツイッターなどのSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)が舞台になりがちな「炎上」だが、インターネットが普及しはじめた「炎上」前夜ともいえる時期、すでに現在の状況を予見させるような出来事が起きていた。
時計の針を1999年に戻す。今からおよそ20年前だ。
当時の日本のインターネット人口は1508万人。「世帯への浸透を考えると、5軒に一軒は家族のだれかがインターネットを利用しているという状況」であり、利用は電子メールが90%を占めていた。チャットや掲示板は30%程度だった(インターネット白書編集委員会編『インターネット白書'99』インプレスR&D)。
巨大電子掲示板「2ちゃんねる」が開設された年でもあり、警視庁がハイテク犯罪防止の「サイバーパトロール」を開始した年でもある。
この時期にある一人の男性を「女子高生コンクリート詰め殺人事件」(1988年~1989年に東京都足立区で発生した殺人・死体遺棄事件)の犯人の一味だというデマを信じた者たちが、インターネットの電子掲示板に本人に対する悪口を書き込むようになった。
以降、この男性は、犯人が一斉検挙される2008年~2009年までの10年間を、ほとんど孤立無援の状態で戦い続けることになるのである。
言わずと知れた「スマイリーキクチ中傷被害事件」だ。
テレビなどでも取り上げられたため、事件の存在自体は知られてはいるものの、犯人として検挙された19人ほぼ全員が「正義感」から書き込みを行ない、デマを信じたことを含めて被害者意識を丸出しにし、誰一人キクチ本人には謝罪しなかった――といった詳細はあまり知られていない。
しかも、恐るべきことに犯人の大半が上場企業の会社員や公務員などの普通の人々だった。彼らは以下のようなことを口走って自らを正当化した。
ここにすでにSNSで頻繁に見られる匿名を隠れ蓑にした「無責任なコミュニケーション主体の原形」が見い出せる。
そして、おぞましい事実ではあるが、ネット上での書き込みという最小の労力で、「一人の人生を簡単に破壊することができる」=「オフラインの世界では不可能な暴力を行使できる」という最大の成果を得られることが可視化されたのである(しかも、書き込みの真偽は考慮の外に置かれる!)。
つまり、オフラインの世界に比べてオンラインの世界では、「自分は誰かを思い通りにすることができる」と期待して、どのような恥知らずな行為も実行に移しやすくなるのだ。
社会学者のジグムント・バウマンは、それを「支配」と「帰属」の概念で説明する。
この「オンラインの世界での支配」は、実生活における不満や不全感を抱え、手足をもがれた状態にある者ほど――「まるで環境をコントロールしているような気分」に浸れる――魅力的なポジションに映るだろう。
現に、程度の差はあれども、精神生活の基盤である家族やコミュニティをはじめとする人間関係の希薄化により、帰属意識や連帯意識が芽生えにくくなりアイデンティティが不安定になっている。
このため、感情レベルでは、自己肯定感が低く、取り残されることへの恐れ(FOMO)にさいなまれ、被害妄想を生み出しやすくなっている。
そして、過度のグローバル化や将来への不安に応えない国の政策などによる弊害がそれを後押しする。これがオンラインの世界に没入する大きな動機付けになっているのではないだろうか。
もう一つ重大なターニングポイントといえるのは、2008年の秋葉原通り魔事件である。
当初は、派遣社員の若者が「むしゃくしゃして」起こした計画的な無差別殺人とされ、事件直前に「派遣切り」に遭っていたため、過酷な労働環境や格差が引き起こしたという文脈で語られることが多かった。
しかし、犯人の加藤智大死刑囚は、自らの手記『解』(批評社)でこれを打ち消している。
加藤死刑囚は、直接の動機をネット上の電子掲示板における「成りすましらとのトラブル」、本質的には「一線を超えた手段で相手に痛みを与え、その痛みで相手の間違った考え方を改めさせようと」したなどと主張し、裁判でも同様の証言を行なった。
これには補足がいる。
普通の社会生活を送っている者からすれば、単に電子掲示板に現れた成りすましに対する怒りが、大量殺人の引き金になったと弁解されても意味不明だろう。「成りすまし」とは、他人の名前などを騙って掲示板への書き込みなどを行なう行為、あるいはその行為を行なう人物をいう。
ここで最も注目しなければならないのは、掲示板への入れ込みようが依存というレベルを超えてしまっていたことだ。このことについて加藤死刑囚は「全ての空白を掲示板で埋めてしまうような使い方をしていた」と述べ、それが仕事と友人を失うことでますます加速していったとしている。
もちろん、このような経緯があったからといって少しも罪は軽くならないが、「私の社会との接点は、掲示板でのトラブルだけ」という言葉はとても重い。
結果として、「相手の間違った考え方を改めさせるために大事件を起こして心理的な痛みを与える」という、傍からみれば支離滅裂としか思えない論理で人を殺めることとなった。
それは、自分が何者であるのかという「自己イメージ」のよすがが、「ネット上のトラブル相手」との関係性にまで切り詰められていたことを意味している。
「トラブル相手」が前述の「オンラインの世界での支配」でガス抜きをしているような人々であった可能性は高い。そうすると、この事件は「オンラインの世界での支配」と「すべての空白をオンラインで埋める行為」が化学反応を起こしたものという見方もできるだろう。
この二つキーワードは「炎上」の深層を理解する上で欠かせない。
実は事件と同じ年にTwitterとfacebookがそれぞれ日本語版のサービスを開始している。すでにこれらのSNSで巻き起こるであろう深刻な問題の萌芽が示されていたというわけだ。
このような「オンラインの世界」を不本意な境遇を埋め合わせる「代替物」とするライフスタイルは、アンダークラスやアッパークラスという貧富の差にほとんど関係なく、人々の分断と孤立が常態となりアイデンティティが不安定になればなるほど蔓延する。
燃え盛り、延焼し、ウェブ全体を焼き尽くす「炎上」の炎は、わたしたちの不安な身の上を赤々と照らし出しているのである。
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