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バニラエア騒動から1年半 木島さんが「障害者」と名乗らない理由
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奄美空港で1年半前、車椅子の木島英登(ひでとう)さん(45)が格安航空会社「バニラ・エア」の旅客機に搭乗を拒否され、自力でタラップをよじ登った出来事が、障害者差別として注目を集めました。ただ、批判は木島さんにも向けられ、「クレーマー」「プロ障害者」と中傷されました。問題の本質は何だったのか、いま何を思うのか、木島さんに聞きました。
あれから1年半。木島さんが今、何を考えているのか聞きたくて会いにいきました。11月下旬、大阪府豊中市の駅。車椅子をこぐ姿で、すぐに木島さんだとわかりました。
ネット上での炎上を体験し、さぞ大変だったのでは? そう尋ねると、「白髪が増えましたね」との答えが返ってきました。
「ネット上で、『航空会社からお金をもらった』『死ね』といったデマや中傷を受けました。『告発するために、わざと騒ぎを起こした』とも言われました。友人たちと奄美に旅行に行っただけなんですがね」
「ネット上の書き込みは気にしないようにしていましたが、ストレスがあったのでしょう。血圧が上がり、白髪が増えました。ただ、日常生活や仕事に直接の影響はありませんでした」
「懸念しているのは、この炎上騒動を見て、『やっぱり障害者が声を上げるとたたかれる』と萎縮してしまう人が出てしまうのではないかということです」
木島さんは、バニラ・エア問題の本質は、人間として当たり前の権利をどう考えるかだと、言います。
「私がバニラ・エアに求めたには、『移動させてほしい』、この1点です。私は、バニラ・エア側に『設備を用意しろ』とも、『手伝ってくれ』とも言っていません。ただ、飛行機に乗せてほしかっただけです。歩けないことを理由に、搭乗を拒否するのは人権侵害です」
「日本には、『移動の権利』という考え方が欠けています。これは、障害者だけの問題ではありません。地方では公共交通が経営上の理由で衰退し、車を運転できない高齢者は不自由な生活を強いられています」
木島さんは、バニラ・エアの対応について、鹿児島県と大阪府に相談。バニラ・エアは木島さんに謝罪し、階段昇降機を導入しました。国も今年10月から、車椅子の人が航空機に搭乗するための支援設備の完備を義務づけました。
「行政担当者や、バニラ・エアのその後の対応は評価しています。障害を理由にサービスの利用を拒否することを禁じる障害者差別解消法に基づく改善例として、今回の事例は参考になると思います」
一方、木島さんが、バニラ・エア側に事前連絡していなかったことにも批判の声が上がりました。
「わざとではありません。ネットで予約したときに、事前連絡する必要があることに気づきませんでした。たとえ事前連絡してもバニラ・エア側は乗せなかったこともメディアの取材で明らかになっています」
「そもそも私は飛行機に乗るのに、過度な負担の手伝いは必要ないので、事前連絡せずに乗っても問題ないと考えています。事前連絡すると、かなり手間がかかったり、たらい回しにあったりすることも多いのです」
「事前連絡は障害がある人を排除するための、ある種のフィルターになっている場合もあります」
木島さんは、「バリアフリー研究所」代表を務め、これまでに169カ国を旅し、世界中のバリアフリーの状況を見てきました。
「ハード面で言えば、建物のバリアフリーは進みました。ただ、過剰ともいえる豪華な設備があるのも日本の特徴です。そして、人々の『心のバリアー』が課題です」
「エルサレムを旅したとき、バスに5回乗ったら、5回とも、バスの手動スロープを乗客が出してくれました。日本だったら、バスの運転手が出すでしょう。世界では、なにげなく隣の障害者を助ける人々がいます」
「一方、日本では障害者への支援を施設側にすべてを任せ、そのことを健常者も障害者も当たり前だと思っています。でも、それでは健常者と障害者との距離は縮まず、心のバリアーは広がったままになるのではないでしょうか」
木島さんは17歳のとき、ラグビーの練習中、下敷きになって背骨を折り、半身不随になりました。それでも、大学進学や恋愛もあきらめませんでした。
「学校スポーツとして、安全への配慮が欠けていたと思います。それでも私は誰も恨まなかったし、親も学校に文句を言うこともありませんでした」
「ただ、将来自立するためには勉強しないといけないと思い、一浪して、国立大学へ進学しました。『障害者が大学に行ってどうするんや』と言われる時代でした」
「恋愛は、『可哀想』という障害者へのお情けが通用しない世界です。恋愛がうまくいくようになったのは、24歳の時、レズビアンの女性と知り合ったのがきっかけでした。愛する方法も、人それぞれのやり方でよいと考えられるようになりました。32歳のとき、今の妻と出会い、結婚して家庭を持つことができました」
日本人の「障害者観」に話が及ぶと、木島さんの語りは熱を帯びました。
障害学では、身体的な欠損そのものが「障害」ではなく、社会の障壁や差別による困難さを「障害」ととらえており、木島さんも賛同します。
「私は、自分のことを『障害者』とは表現せず、『車椅子に乗っています』と言っています。私の中で、歩けないことは特性の一つに過ぎません」
「私はパソコンの前では、不自由なく情報を収集し、発信もできるため障害者ではありません。バリアフリーが進んで、私が何の不自由もなく行きたい場所に行けるようになれば、移動の障害はなくなります」
木島さんは、どんな境遇に生まれても挑戦できる社会を理想としています。
「『障害者だから』『外国人だから』『女だから』『片親だから』といったレッテルや属性によって、選択肢が狭まることがない社会になればいいなと思います」
「もちろん、結果が伴うかどうかは本人の努力次第ですが、誰もが他人がはったレッテルに縛られることなく、やりたいことに挑むべきだと考えています」
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